見出し画像

27--1990年9月11日、ジョージ・ブッシュが「新世界秩序」を宣言し、果てしない戦争を始める。その1

10114文字

2016年9月10日

今から26年前のこの日、1990年9月11日、ジョージ・ブッシュは議会と世界に向けて演説を行った。その演説の中で、ジョージ・ブッシュは戦争の準備をしながら「新しい世界秩序」を宣言しました。(トランスクリプト、ビデオ)

第一回新世界秩序スピーチ

私たちは今夜、ペルシャ湾で起こった悲劇的で重要な出来事の証人として集まっている。8月2日の早朝、イラクの独裁者サダム・フセインが武力行使をしないと約束して交渉した後、強力なイラク軍が信頼関係にある遥かに弱い隣国クウェートに侵攻しました...。

アメリカ人はまたしても、涙ながらに家族と別れを告げ 見知らぬ遠い岸へ旅立つのです。今この瞬間にも、彼らはアラブ人、ヨーロッパ人、アジア人、アフリカ人と共に、新世界秩序(New World Order)の理念と夢を守るために奉仕している。だからこそ、彼らは砂と暑さと太陽の下で汗を流し、労を惜しまない。

ジョージ・ブッシュの「新しい世界秩序」というビジョンは、この期間中、他の演説でも繰り返し語られることになる。

迫り来るイラク戦争

画像1

このテロと終わりなき戦争の物語は、ジョージ・ブッシュが最初に行った「新世界秩序」の大演説の数日前--1990年8月2日、イラクの「大統領」サダム・フセインがクウェートに侵攻し、全土を占領した日--から始まる。それから26年後の今、私たちはまったく異なる世界に生きている。おそらく「新しい世界秩序」の中で、戦争は決して終わっていない。


地政学的なシナリオ

第二次世界大戦直後から、世界はアメリカ主導の「自由主義」世界と、ソ連主導の「共産主義」世界に分かれていた。国際的な権力の二極化は、核兵器の大量蓄積による瀬戸際外交の緊張感をもたらした。相互確証破壊(MAD)の脅威によって、大規模な戦闘行為が発生するのを防いでいたため、この時代は冷戦と呼ばれるようになった。しかし、この状況は今、変わりつつある。

クウェート侵攻まで1年を切った1989年11月9日、ドイツの首都を東西に分断していたベルリンの壁が解体され、冷戦の終結とソビエト帝国の「敗北」を象徴する出来事が起こった。


事前のイラク情勢

1980年から1988年にかけて、イラクとイランの間で戦争が勃発し、約200万人が犠牲になった。戦争を始めたのはイラクですが、アメリカの同盟国はイラクに武器を提供していました。それと同時に、ロナルド・レーガンによる違法な作戦で、人質と引き換えにイランに武器を提供した。文字通り、アメリカは双方に武器を提供して血祭りに上げ、同時に両国の能力を低下させていたのである。

両国がようやく戦争を終結させた後、イラクはサウジアラビアとクウェートに援助の借りがあった。イラクは国家破綻を防ぐために許しを請うたが、クウェートは譲らなかった。むしろクウェートは、油田そのものが争われているにもかかわらず、傾斜掘削技術を駆使して国境のイラク側の油田を奪取した。イラクは文句を言ったが、何もなされなかった。イラクは油田での行動について同盟国である米国に頼った。しかし、その反応は、よく言えば曖昧、悪く言えば宣伝的なものであった。

1990年8月2日、イラクがクウェートに侵攻しました。サダム・フセインは、紛争地域を奪い、傾斜掘削を止めようとするだけでなく、国全体を奪った。


虚偽の残虐行為の実行

早速、クウェートの国連大使が、侵略してきたイラク軍の残虐行為の長いリストを作成したした。番号19番と20番には、「薬を奪われた」「すべての患者がいなくなった」という病院の描写があった。

やがて、イラク兵が保育器から赤ちゃんを取り出して床に放置するなど、赤ちゃんを殺しているという訴えに変わっていった。10月になると、ナイラは議会で恐ろしいことを証言した。彼女の名字は、彼女自身の保護のためと思われるが秘密にされていた。

ナイラは、実はクウェートの駐米大使の娘であり、長年の支配者であるアル・サバー家の一員であった。彼女は戦争を売り込むために話を作っていたのだが、誰も尋ねなかった。事件からだいぶ経った1992年、ニューヨークタイムズ(NYT)はこう報じた。

ここから先は

8,374字 / 2画像

¥ 500

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?