琉球国の民の不幸の源流〜『西園寺家!』
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このnoteの連載の続きですが、これ単体でも大丈夫だと思う。
ラビ・マイケルライトマンから始まり、五井財団を調べもう終りと思った頃、琉球王国の建国秘話に当たった!(;´Д`A
手塚治虫の漫画のレベルの戦争認識で
世界を平和にすると述べる
五井財団の理事長 「西園寺裕」夫 氏
西園寺 裕夫
1949年生まれ。1971年学習院大学経済学部卒業、1973年ミシガン州立大学大学院修了(経営学修士)。1973~1986年日本精工株式会社海外本部に勤務。 1988年米国非営利法人May Peace Prevailon Earth理事長(国連広報局NGO)、1999年公益財団法人五井平和財団理事長に就任。
2008年インドの「聖シュリー・ニャーネシュワラー世界平和賞」を受賞。
2010年文部科学大臣より「社会教育功労者」の表彰を受ける。
2008年から2017年まで日本ユネスコ国内委員会委員を務める。
タイトルをよく見て!「西園寺塾!」
2014年春、立命館は、学祖・西園寺公望の名を冠した21世紀のグローバルリーダー育成講座「立命館西園寺塾」を開講しました。
2019年3月16日(土)、5年という節目を記念して、下記のとおり、
「立命館西園寺塾 5周年記念パーティー」を開催いたしました。
1~5期生97名の修了生のうち、56名の愚かな方々がご参加くださいました。
17:30~18:30 対談「日本の進む道、私たちが拓く未来」
ゲスト:福田康夫 先生(元 内閣総理大臣)
西園寺裕夫 様(立命館西園寺塾 名誉顧問)
【ポイント!】立命館の学祖は西園寺公望!
京都大学基金事務局
京都大学は 1897 (明治30) 年、2番目の帝国大学として創立された。
その立役者が、当時の文部大臣だった西園寺公望だ。
「自由かつアカデミックな雰囲気にしたい」という構想が、
今の京都大学の礎となっている。
公望が京都大学創立に込めた思いとは?
そして、これからの京都大学が果たすべき役割とは?
2022年に迎える創立125周年を、
新たな飛躍の契機にしようとスタートを切った京都大学。
その創立の歴史を振り返り、 未来を展望すべく、
公望の曾孫にあたる五井平和財団理事長の西園寺裕夫さんに、
公望の京都私邸であった清風荘で、 山極総長が話を伺った。
西園寺 公望
概略
戊辰戦争において官軍の山陰道鎮撫総督を務め、フランス留学後には伊藤博文の腹心となった。内閣総理大臣の伊藤博文の病気療養中は内閣総理大臣臨時代理を務める。明治39年(1906年)内閣総理大臣に。
その後は首相”選定”に参画するようになり、大正5年(1916年)に正式な元老となった。大正13年(1924年)に松方正義が死去した後は、「最後の元老」として大正天皇、昭和天皇を輔弼、実質的な首相選定者として政界に大きな影響を与えた。
また、教育(教化)にも尽力し、自らが創設した私塾立命館は現在の立命館大学の礎となった。
生い立ち
1849年12月7日(嘉永2年10月23日)、清華家の一つ徳大寺家当主徳大寺公純と妻の末弘斐子の次男として、山城国京都(現在の京都府京都市)にて誕生した。2歳の時に、同族で(ある)清華家の西園寺師季の養子となった。その年の7月に師季が死亡したため、西園寺家の家督を相続した。
孝明天皇が設置した学習院で学び、11歳の時からは御所に出仕し、祐宮(後の明治天皇)の近習となった。また近習の同僚であった”岩倉具視”ともこの時期に親しくなっている。
建学の精神
建学の精神は「自由と清新」である。教学理念は「平和と民主主義」である。
天皇の手下のTOPで議会へのスパイ。使いやすい悪党を天皇に進言し戦争をバカスカ起こした者が、戦後は「平和だの民主主義」で社会も歴史も知らないまだウブな学生を騙し教化する!(#・∀・)
西園寺家
西園寺家は、藤原氏北家閑院流の公家・華族である。公家としての家格は清華家。華族としての家格は初め侯爵家、後に公爵家。
支流に菊亭家・洞院家・伊予西園寺氏などがある。家名は、4代公経が1224年に北山山荘に建立した西園寺(北山殿)にちなんでいる。家紋は左三つ巴を使用。
藤原だから!西園寺家は天皇を輔弼する役目っ!!
西園寺家の家祖 『藤原通季』
藤原 通季(ふじわら の みちすえ)は、平安時代後期の公卿。権大納言・藤原公実の三男。官位は正三位・権中納言。大宮と号す。西園寺家の祖で、西園寺通季と表記する場合も。
大納言は、太政官に置かれた官職の一つで、唐名は亜相または亜槐。現代の国務大臣に相当する政府の高官。
※国務大臣は、内閣総理大臣が任命し、”天皇が認証する”。
主君:白河上皇→堀河天皇→鳥羽天皇
白河上皇(ホモ)
西園寺昌美(琉球王家の血筋)
西園寺昌美(1941年(昭和16年) - )は、白光真宏会第二代会長、ワールドピースプレヤーソサエティ代表、公益財団法人五井平和財団会長。旧姓名、尚 悦子。
男爵・尚順(琉球王家分家)の次男尚誠の長女として生まれ、1971年(昭和46年)に五井昌久の養女となり、五井昌美と改名。さらに1974年(昭和49年)10月18日、西園寺不二男次男の西園寺裕夫との結婚に伴い、西園寺姓となる。
尚 順(しょう じゅん、1873年(明治6年)5月2日 - 1945年(昭和20年)6月17日)は、最後の琉球国王・尚泰王の四男。男爵で貴族院議員。琉球新報、沖縄銀行(日本の華族界における十五銀行(別名、華族銀行)に相当する銀行の創立者。(現在の沖縄銀行とは無関係)
第一次琉球新報
第一次「琉球新報」は、首里出身の尚順、高嶺朝教、太田朝敷ら旧琉球王国の支配層によって創設。創刊目的[注 3] に明言してあるように、日本に国民的に「同化」することを目指した。
テメエが王族の癖に、民に酷い言葉!!(怒)
十五銀行とは?
十五銀行は、かつて日本に存在した銀行である。1944年、帝国銀行に吸収合併された。行章は桜花。「桜の銀行」といえば十五銀行を意味した。
ウィキややっこしい、こうなるわけ?
十五銀行(桜花)→帝国銀行(八重桜として引き継がれる)→三井銀行→三井銀行は太陽神戸銀行と合併→太陽神戸三井銀行(再び桜花、復活)→名前も「さくら銀行」と改称→2001年の三井住友銀行発足まで桜が使用された。
桜・・・・
琉球王国
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