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2.ハッサン・アル・フデイビ 暗殺テロ組織エジプト・ムスリム同胞団を平和組織に改革しようとした人

3053文字

この2つのnoteのラストです。ムスリム同胞団の創立者の話と、ムスリム同胞団の話のオチは同じになったので、ラストだけ別記事にした。( ̄▽ ̄;)

ーーー本題ーーー


在職期間:1951 年 – 1973 年 11 月 11 日

ハッサン・アル・フデイビ(1891年12月 - 1973年11月11日)は、2年前の暗殺事件で死んだ創設者ハッサン・アル・バンナに次いで1951年に任命されたムスリム同胞団組織の2番目の「総合指導者」であった。アル・フダイビは1973年に亡くなるまでその職を務めた。

アル・フダイビは1930年代からムスリム同胞団の社会を認識しており、約10年後にハサン・アル・バンナに紹介された。アル・バンナとの友情は深まり、アル・バンナに対する非公式の個人顧問を務めるようになった。この秘密の関係を通じて、アル・フダイビは徐々に同胞団の内部事情について知っていった。

1948年の協会の解散と1949年のアル・バンナ暗殺の後、ムスリム同胞団の存続は危機に瀕していた。ムスリム同胞団が暴力的なエリートとしての評判を維持するのではなく、政治的・宗教的運動として継続したいのであれば、公共イメージを改善する必要があった。同胞団の指導的メンバー全員が暴力と危機の汚名に覆われていることを考慮して、指導者たちはアル・フダイビ氏を新しいムルシード、つまり指導者に任命した。アル・フダイビは同胞団による戦略的な選択だった。政治権力との強い結びつき、暴力への嫌悪感、そしてクリーンな世間のイメージにより、アル・フダイビはそのイメージがムスリム同胞団の正統性を取り戻すのに役立つアウトサイダーとみなされていた。

しかし、アル・フダイビ氏は協会の指導者に任命されたものの、当初はその役割は象徴的なものに過ぎなかった。彼の支持者を行政上の要職に任命する要求や、同胞団の秘密装置の解散を求める要求など、彼の要求の多くは当初無視された。


秘密組織との対立

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