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『パークゴルフ・ダンディ』       ~ロックンロール爺いども~高崎紫鳳


 スノーモービルを止め、空を見上げると、抜けるような青さとひんやりした空気が、辺りを包み込んでいた。岡崎隆一は、流れる汗を拭いながら、コースに撒いた融雪剤の模様を眺めていた。毎年3月上旬になると、パークゴルフ場のコース整備は、融雪剤の撒布から始まる。融雪剤のグレーと無垢な雪原の境目を目で追っていると、キツネの足跡らしきものが、川に向かって続いていた。
 岡崎は、グリーン・キーパーを引き継いでから半年になっていた。最初は、朝のパートでコース整備を二年間手伝っていたが、グリーン・キーパーの小林茂雄に気に入られてしまい、会社を辞めて入社。小林からコース整備のイロハを教え叩き込まれた。七十二歳の頑固親爺で、ここ『サンライズ・パークゴルフ場』の整備を十年間もしていた。更に、口も悪くぶっきらぼうな人であったが、整備の仕方は、かなり丁寧に教えてくれた。そして、或る日、コース整備が一段落して、一服中に告げられた。
「俺は、腰痛と帯状疱疹で、満足にコース整備が出来なくなった。コース整備の仕方は、お前に全て教えた。後は、お前に任せるので、社長に言っておく」と、秋の芝生の更新作業が終わった、九月中旬頃の話だった。
 このような経緯で、岡崎はグリーン・キーパーになっていた。パークゴルフ場は石狩市の花川東に在り、茨戸川の向こう岸には、『ホテル・テルメ』があり、そこからホテルのバスで宿泊客がプレイに来る事もあった。また、Aコースの9番ホールの奥には、翔陽高校があり、夏場は体育の授業で生徒がプレイに来ていた。
 最初は、「この広い36ホールのコースを整備出来るのかな?」と不安だった。そして、小林が辞める二日前に社長の東出月子から、ゴルフ練習場のラウンジに呼び出され、コース整備を任せられた。
「小林から、『岡崎に任せても大丈夫だから!』と聞いているので、お前さんに任せたよ。それから、二人付けるから、コース整備を教えてやっておくれ」
 六十代後半の二人のオヤジが助手として部下に付いた。農家を息子に継がせた山本貞夫と、サラリーマンを定年で辞めて、年金が少ないから働きに来た植田敏夫の二人だった。性格のまるで違う二人で、山本は、わりといい加減で雑な仕事で一服ばかりしている。もう一人の植田は、真面目なタイプで、言われた仕事はキチンとこなすので、安心して任せる事ができた。二人は、朝五時から八時までの三時間勤務のパートだった。パークゴルフ場のオープン時間に合わせた勤務体制である。
 しかし、この二人の助手は、もう少し雪が解ける三月下旬にならないと、コース整備には出てこなかった。人件費節約という事で、一人作業が続いている。
 また、パークに併設されている打ちっ放しのゴルフ練習場は、夏場は朝五時オープンなので、スタッフは三十分前に来てお客を迎える準備をしている。常連客は、ここで汗を流してから出勤したり、接待ゴルフへ出かけていった。
 
 三月下旬になり、四月二日のオープンに向けて、雪解けの遅れている日陰の残雪をスコップで起したり、顔を出したグリーンに散らばしたり、岡崎は汗だくになっていた。
「岡ちゃん。だいぶグリーンが出てきたね」
常連客の安友信夫が、缶コーヒーを持って近づいてきた。
「さっき、フロントで社長に会って年間パスの手続きをしてきたよ」
「一息つきな…」
安友は、持っていた缶コーヒーを岡崎に渡し、雪解けの進んだグリーンを見渡した。
「岡ちゃん、手稲前田公園の『パーク・ワン』は、昨日オープンしたよ」
「行ってきたの?」
「今朝、仲間と一緒に初パークしてきたけど、融雪剤がグリーンに残っていて、靴も道具も真っ黒け」
「札幌で真っ先にオープンするから、パーク好きは行ってるよ」
「だから社長から、いつオープンできる?と、しつこく聞かれたんだ」
岡崎は、苦笑いしながら缶コーヒーを飲んだ。
「人を入れてくれたら、後三日でオープンできるけどね」
安友は、黒く汚れたボールをポケットから取り出した。
「早く、きれいなグリーンでやりたいね…」
安友は、ボールを雪の上に落とすと、ボールに付いた融雪剤を雪で落とした。
「今週中に、仲間が年間パスの手続きに来るから、オープンが楽しみだよ」
そう言い残すと、安友は乗ってきた軽自動車で帰って行った。安友の所属するグループは十二人で、かなり賑やかなグループの一つであった。大騒ぎをしながらのプレイで、他のグループを圧倒している。しかもパークの『月例大会』になると、上位にグループ・メンバーが何人も入るので、他のグループからは一目置かれていた。
 
 オープンの三日前になり、山本貞夫と植田敏夫の二人がコース整備に加わった。グリーン上にある落ち葉や枝、飛んできたゴミ等を集めたり、設置されているベンチの雪囲いを解いてブルーシートを片付けたり、こまごました作業が続く。後はコースに備品を設置して、オープン前日に作業を終わらせた。オープンが近づくと、ひっきりなしに常連客が差し入れを持って作業を見にやって来た。
「岡~、作業は進んでるか?」と、背中の方から大きな声が飛んできた。
 安友の仲間、三国譲二がローリング・ストーンズの赤いベロを出したパーカー姿で、やって来た。仲間からはミックと呼ばれている。グループのお祭り男で、声と態度が大きく不良老人といった風情である。彼の愛車、黒のミニクーパーからは、「サティスファクション」が流れていた。車のリアガラスには、ストーンズのステッカーが貼っており、一目で彼と判るのが愛嬌であった。
「コースの出来はどうだい?」
「三国さん、見ての通りです」
「今年も、お前さんの整備したコースとの戦いだな?」
 不敵な笑みを浮かべた三国は、持っていたクラブで、岡崎の尻を軽く叩いた。
「去年は、お前さんの切ったカップの位置で、ずいぶん泣かされたよ」
「今年も手加減しませんから…」
「そうかい、面白くなりそうだな?」
 三国は、パーカーのポケットからジャック・ダニエルを取り出すと、岡崎に手渡し車に戻っていった。
「あの派手なジジイは、誰?」
 咥えタバコの山本が、熊手を肩に載せて立っていた。
「三国さんだよ。そうかオープン前に帰るから、メンバー知らないよね?」
「あれ?もしかして、三国モータースの社長?」
「そうだよ。自動車整備工場の経営者」
「オレのポンコツ、よく修理してもらったな~。そういえば、事務所の中もベロのステッカーで、いっぱいだったよ!」
「後、知ってるのは、安友さんくらいかな。去年の水撒きに来てたから」
 昨年は、北海道も残暑が厳しく、夕方のコースの水撒きに、安友も手伝いに来ていた。東出社長から頼まれて、ほぼ毎日来ていたので、山本と一緒に作業をしていた。主にスプリンクラーの届かないグリーンに水を撒いてもらった。その間に、岡崎はスミサンスイの黒いホースをフェアウエイのグリーン上に並べ、ホースを散水栓に繋いで、一晩水を出して芝が日焼けを起こさないように管理をしていた。ラフ以外のフェアウエイのグリーン下は砂地なので、天気が続くと刈り込まれた芝は、赤く焼けてしまう。この夏場の芝管理が、一番厄介だった。天気予報と気温のにらめっこが続く。
 

コース見取り図


 四月二日、オープン初日には、約三十人の客が来た。
既に入口の鉄扉の前には、オープンはまだかと、クラブを肩に担いで、タバコを吸いながらコースを覗き込んでいる。      
そして、常連の爺い共の再会を確認しあう光景がしばらく続いていた。
「ミック、相変わらず元気そうだな?」
「今年も、テルの説教を聞くことになるのかな?」
「そのベロ引っこ抜こうか?」
 相沢輝夫は、相沢建設の会長をしており、東出社長とは仲の良い友人の一人であった。またグループのまとめ役で、面倒見が良いので、メンバーからは慕われていた。
「ヤス、今日は何人集まりそうだ?」
「テルさん、遅れて来るのも入れると七人かな?」
「そうか、初日なんだから、顔出せって、集合かけてくれ!」
 安友は携帯電話を取り出すと、電話を掛け始めた。
 
 受付の椎名さおりが、スタートハウスの窓を開け、受付名簿を出した。そして、満面の笑みを浮かべて、鉄扉を開いた。
「皆さん、おはようございます。オープンです」
「サオリちゃん、会いたかったよう~」
 いつも単独プレイを楽しんでいる常連の佐藤和也が、さおりにウエストポーチから飴玉を取り出して渡した。さおりは、三十代後半のシングルマザーで、爺い共のアイドル的存在であった。さおりはゴルフ練習場のフロントも兼任していたので、混み具合を見ながら、パークゴルフ場のスタートハウスとの行き来をしている。
 

スタートハウスから見た池


 佐藤は、受付を済ませると、直ぐにAコースの打席に立った。軽く素振りをしてから、ボールをセットし、1打目を打った。ボールは、グリーン左横のバンカーの手前で止まり、「よし!」と小さく呟いて、フェアウエイをゆっくりと歩き始めた。佐藤は、心臓病を患っていた為、マイペースでプレイを楽しんでいる。そして、プレイが終わる頃には奥さんが迎えに来て、帰って行くのが日課になっていた。
 三国、相沢、安友の三人は入口近くにあるベンチに腰を下ろし、佐藤の1打目を眺めながら、メンバーを待っていた。すると、三国がすっと立ち上がり、さっそくクラブをマイクに見立てて歌い始めた。
「I Can’t get no.  satisfaction~」※(The Rolling Stones:Satisfaction)
と、腰をくねらせながら口からベロを出し、熱唱が続いた。
「ミック、ミック、最高!」
 安友が、こぶしを何度も振り上げながら、ノッていた。
そして、最後はクラブのグリップを黒のデニムに差し込むと「ステッキー・フィンガー」と、叫んでパフォーマンスを終了した。

アルバム「Sticky Fingers」


 相沢は、呆れた顔をしながら笑っている。それを見ながら安友も腹を抱えて笑っていた。
「もう、ミックは下品なんだから~」
 さおりは苦笑いしながら、母親のような目付きで、皆を眺めていた。それから、しばらくすると二台の軽自動車が駐車場に入って来た。中から六人のメンバーが出てきて、三人と合流した。
「ゴメン…、待たせたねえ!」
 小柄な前田義男が、真っ先に車から飛び出てきて、小走りで皆の元へ行った。
「ヨッシー!受付けしてよ」
 さおりの甲高い声が響いた。
「サオリちゃん、会いたかったよ~」
 前田は受付に来ると、後のメンバーの名前も一緒に書いた。
「サオリちゃん、いい人見つかったかい?」
「ここじゃ無理!まだ、介護はしたくないの」
「相変わらず、厳しいな~」
「今日は、九人のメンバーなので、三組に分かれてプレイする。まずはジャンケンで、同じ種類を出した者同士が組を作る事」
 相沢が、場を仕切ってスムーズに三組に分けた。グー組は三国、前田、吉田茂夫。チョキ組は、安友、宮本武、伊藤哲男。パー組は、相沢、高橋徹、加藤肇という組になった。
「それから、みんなブツを出してくれ!」
 相沢は、そう言うと被っていたキャップを皆の前に差し出した。
「これが無いと、燃えないからねぇ」
 三国がポケットから百円玉を取り出すと、相沢のキャップの中へ放り込んだ。すると、他のメンバーも百円玉をキャップへ入れた。
「今日は、メンバーも少ないし、優勝したら総取りという事で…、いいかな?」
 そう言うと、相沢は小さく折り畳んだ千円札をキャップに入れて、皆の顔を見回した。
「ダメだよ~、賭けわ。この不良ジジイども!」
 さおりの叫び声を無視して、九人の爺い共は、Aコースへ颯爽と歩いて行った。
スタートはグー組の三国達から始まった。
「サオリちゃん、優勝したらメシ食いに行こうねぇ~」
 三国がクラブを大きく振り回しながら、叫んでいた。そして、ティーグランド備え付けの抽選棒を引くと、一番を引き当てた。
「オレ様は、ノッてる!」
 三国は、腰のフォルダーから赤いボールを外してティーに載せると、グリーンのピンを凝視した。
「岡の野郎、また微妙な位置にカップを切ってるな…」
 岡崎は、前日に全ホールのカップを切り替えていた。Aコースの1番ホールは、48メートルのパー4。左にバンカー、右には池が有り、フェアウエイと池の間には、オンコの木が植栽されている。この木にボールをぶつけての池ポチャは、誰もが経験していた。
「安全策を取るか、リスクを犯してピンを狙うか…」
「オレが、安全策を取ったらロックンロールじゃねぇ~」 
 三国は、空を見上げてからピン目掛けてフルスイングをした。ボールはライナーで樹に当たり、鈍い音を残して、池の水を跳ね上げた。
「ミック、池にホールインワンでした」
 相沢は、大笑いしながら、ベンチで腹を抱えていた。
「これくらいのハンディをやらないと、面白くねえだろう!」
 三国は、ピッカーでボールを掬い、池側のラフから打ち直して、2打加算の5打でホールアウト。前田は3打、吉田は2打でホールアウト。吉田は含み笑いを浮かべながらスコアカードにメンバーの打数をペグシルで記入した。
 次のチョキ組のスタートは、一番を引いた宮本が、ティーグランドに立ち、イチローの仕草を真似しながらクラブを垂直に立て、ピンの位置を確認してから青いボールをティーに置いた。軽く滑らかなスイングとは裏腹に、ボールはバンカーに吸い込まれた。
「タケちゃん、やっちゃったな~」
 安友が笑いながら、宮本の背中を叩いた。
「池ポチャじゃないし~」
 安友は軽くスイングをしてフォームの感触を確かめてから、ピン側に狙いを定めて打った。ボールはピン側7メートル手前で止まり、2打で上がった。宮本はバンカー・ショットに手こずり4打、伊藤は手堅く3打でまとめた。
 最後はパー組で、一番を引いた加藤が膝の屈伸をしてから、ボールを打った。しかし、ダフッた為、ボールはティーから転がり落ちて、たったの3メートル。
「ハジメちゃん、どうしたの?」
 相沢は、加藤の肩に手を置いて、「ドンマイ!」と耳元で囁いた。
 次は、高橋が豪快にスイングをすると、ボールはピンを越えてグリーンの奥まで転がった。そして、最後は相沢が打ち、ピン側5メートル手前、2打でボールをカップに沈めた。高橋は、2打目をカップに蹴られて3打、ダフッた加藤は4打で上がった。
 1番ホールを終えて、トップは相沢、安友と吉田の2打、3打は前田、伊藤、高橋。4打は、宮本と加藤の二人で、三国は5打でビリになり出足で躓いた。
 しかし、三国は余裕で2番ホールに向かった。このホールは傾斜の強い滑り台のような砲台マウンドになっており、30メートルのパー3。打ちすぎるとグリーンからボールが転がり落ちるので、慎重なボール・コントロールが要求された。
 三国は、打席に立つと、ピンの位置を見つめた。
「今度はグリーン奥にカップ切ってるよ…。打ち過ぎると地獄を見るな」
三国は、力をセーブしながら、ピンの手前にボールを飛ばした。
「さすがミック、カップの手前で止めたね。あと2メートル位だね」
 前田が肩を回しながら上がってきた。
「ミック、マークしてくれる」
 三国はキャップからマーカーを外すと、ボールの後ろに置いて、グリーンから下りた。 
 前田の打ったボールは、力が足りなく止まった所から下まで転がっていった。
「ヨッシー、チビったね?」
 吉田が鼻歌まじりで上がってきた。前田はボールをマークすると、大きなため息をついて、吉田の打席を見つめた。
「ミックのマーカーを目印に打つよ」
吉田の打ったボールは、カップを掠めて、砲台マウンドの後ろへ転がり落ちていった。
「シゲちゃん、やっちまったな~」
 三国は、満足そうに笑みを浮かべて、2打でカップインを決めて、次のホールへ向かった。前田は、次も慎重に打ってしまい、今度はグリーンの横からボールが落ちていった。そして、思わず唸り声を上げた。
「このホールに捕まったよ」
「打つぞ~」
 砲台マウンドの後ろから吉田の声が聞えた。カット打ちされたボールはカップを掠めて、下の方へ転がっていった。
「参ったね…、オレも捕まったよ」
「後ろ、つかえてるぞ~」
 三国の嬉しそうな声が聞こえてきた。結局、前田は反対側にもボールを落として6打、吉田は5打とスコアを落としてホールアウトした。
 続く、チョキ組は、グー組の様子を見ながら、手堅くまとめ、宮本と安友は、共に3打のパーで上がり、伊藤は2打で上がった。波乱が無く、三人は涼しい顔でホールを後にした。
 そして、パー組は、加藤と高橋が3打で上がり、相沢は2打と、満面の笑顔で次のホールへ向かった。
3番ホールは46メートル、パー4。グリーンは瓢箪型で下方のグリーンは平だが、くびれから上はお椀型マウンドになっている、打ち過ぎるとグリーンから落ちてしまう。そしてカップは、くびれの手前で切ってあった。
 前田は、グリーンの手前にボールを付けると、マークをするためにフェアウエイを歩いていった。すると吉田が叫んだ。
「ヨッシー、マークはいいから」
 吉田は、ボールを強めに打ち、グリーン下まで持ってきた。そして三国も強めに打って、カップ側のグリーン下まで持ってきた。
「オレは、お先に行くよ!」
 三国は、直ぐにカップインを狙って打った。しかし、ボールはカップに蹴られ、反対側のグリーンへ落ちて行った。
「これだも!」
 三国は、いったんグリーンにボールを載せてから4打目でホールアウトした。それを見ていた吉田は、無理せずグリーンに載せて、3打でカップイン。前田も手堅く攻めて、4打でホールアウトした。
続くチョキ組は、安友が最初に打った。ボールは、グリーンの障害物になっている植栽の根元にぶつかり、OBになってしまった。
「今まで、無難に来たのに~」
 続いて宮本が打ち、グリーン手前3メートルに付けた。そして、最後は伊藤が打った。ボールは植栽の根元を掠めてグリーンに載った。
「やったね!」
 伊藤はガッツポーズをして、難なくカップインでホールアウト。OBの安友は、2打目をグリーンに載せて3打目でカップインしたが、2打加算で5打になり、重い足取りでホールアウト。宮本は、カップを狙った3打目がカップに蹴られ、4打でホールアウトした。
 最後のパー組は、加藤が最初に手堅く打ち、グリーン手前2メートルに付け、続く高橋は、植栽の根元を掠めて、グリーンに載せてガッツポーズをした。最後の相沢は、自身満々に植栽の根元を狙って打った。そして、ボールは無情にも木に当たり、跳ね返ってOBとなった。
「テル、しくじったね~」
 高橋が、嬉しそうに言った。
「こういう事も、あるさ!」
 相沢は、ボールをOBから出すと、余裕でグリーンまでの距離を入念に確かめた。
「それでは、お先に~」
 と言って打ったグリーン上の高橋は、2打目がカップに蹴られ、3打目も蹴られて、結局4打でホールアウト。続く加藤は、2打目をグリーンに載せ、3打目をカップに沈めて上がり、相沢は2打加算を入れて5打で上がった。
 このAホールの1番から3番は、「魔の入り口」と呼ばれ、初心者は、この3ホールで戦意を消失してスコアが崩壊し、しばらく立ち直れなくなる事が多かった。
 この相沢たちのグループは、「サンライズ・パークゴルフ場」の年間会員であり、このコースを主戦場にしている為、腕もメンタルも鍛え上げられていた。このメンバーが大きくスコアを崩すのは稀であった。
 そして、Aコースを終えて、トップが伊藤の25打で、2打差で相沢と吉田が並び、三国は更に2打離され、ビリ争いは前田と宮本が1打差で競っている。
 続いてBコースは、池を周る癒しのコースだが、気を抜くと池ポチャとOBの波乱がある、ドッキリ・コースになっていた。
 Bコースの1番ホールは、50メートルのパー4。グリーンは、池の中にあるアイランドで、しかも高台からの打ち下ろしで、フェアウエイがグリーンの手前で直角に曲がっている。しかも、パーク用のボールは、ゴルフ・ボールのように飛ばないので、池越えは無理だった。その為、コース・ルールでは「池越え禁止」になっている。
 このBコースでは、パー組の相沢達から打つことになった。一番手は抽選棒の1番を引いた加藤からだった。加藤は、打ち下ろしなので、手加減して転がすように打つと、ボールは池を囲っているネットに密着して、いきなりOBになってしまった。
「ついてねぇ~」
 続く高橋は、豪快に打って、フェアウエイの直角でボールを止めてみせた。
「ナイス!ハジメ、ノッテ来たね~」
 相沢は、鋭い眼光で、高橋のボールを目印に1打目を打った。ボールをライナーで打ち、高橋の手前1メートルで止め、グリーンに2オン出来る位置に付けた。
 ネットにボールを付けた加藤は、ボールをネットから1メートル離して、2打目を打ち、フェアウエイの直角まで持ってきた。
 続く高橋は、2打目でカップインを狙い、強く打ち過ぎた為、カップを掠めて、痛恨の池ポチャをしてしまった。高橋は、2打加算を含めて6打でホールアウトした。それを見ていた相沢は、手堅く攻めて3打で沈めた。そして、加藤は7打も打ってしまった。
 続く、チョキ組は、一番手が宮本で、スコアを上げる為に、顔を叩いて気合を入れ、打席に立った。緊張感みなぎるスイングは、フェアウエイの直角を越えて、OB手前のラフで止まった。
「危ねえ~」
 宮本のボールは、ラフが深ったので、助かった。
 続いて、安友が打席に立ち、クラブを大きくスイングしてから、ボールをティーにセットした。
「このホールは3打で決めるぞ~」
 力強い宣言をしてからボールをライナーで打つと、ボールはフェアウエイの直角でピタリと止まり、不敵な笑みを浮かべた。
「ヤス!やるね~」
 首をコキコキ鳴らしながら、伊藤が打席に立った。
「Bコースも、頂くとするか!」
 自信に満ちた顔で、スイングすると、ボールは安友の近くで止まった。そして、先にフェアウエイを下っていた宮本が、ラフの中からカット打ちで2打目を打った。しかし、クラブで土を削ってしまった為、ボールは力なく転がり、グリーンには載らなかった。
「手首にきた~」
 宮本は、顔を歪めながら、痛めた右手首を振っていた。
「タケ…、手首大丈夫?」
 安友が、心配そうに宮本の顔を覗いた。
「今日は、初日だから無理すんなよ!」
 伊藤は、ゆっくり歩きながら、余裕の表情で鼻歌を歌っていた。
「Got a feeling inside Can’t explain…」※(The Who:I Can't Explain)
 伊藤が、これを口ずさむ時は、調子が良くスコアに納得している時だった。
「テツの『I can’t explain』が、始まったよ」
 安友は、苦笑いしながら2打目をピン側に寄せて、ガッツポーズをとった。続いて、伊藤はカップインを狙って打つと、ボールは3人が見つめる中、カップに吸い込まれるように見えたが、ピンに蹴られて伊藤のため息が漏れた。
「ちょっと、強かったねぇ」
 この1番ホールは、安友と伊藤は3打で上がり、宮本は4打で上がった。
 最後は、グー組三国のグループが入った。抽選棒の一番を引いた吉田が打席に入り、一度大きく深呼吸をしてから、ボールをセットした。豪快にスイングしたボールは、ラフまで転がり、OBになってしまった。
「感覚が、掴めねえ~」
 吉田の嘆きを尻目に、三国がクラブを池の向こうに見えるピンを指した。
「狙ってみるか?内緒だぞ!」
「ミック、届かないよ。池ポチャだよ」
 前田が、無理無理と、ゼスチャー交じりで、ピンを指さした。しかし、三国はピンの方向に体を向けると、クラブをフルスイングした。するとボールは高い放物線を描いて、レンガで造られた池の縁にぶつかると、大きく跳ね上がって、グリーンに載り、そのままカップに吸い込まれた。
「マジ!」
 吉田と前田は、あっ気にとられた。
「初めて見たよ。池越えのホールインワン」
「何年前だったかな?」
「オレは、今のような打ち方で、ホールインワンを見たんだ」
 前田が指を鳴らすと、語り始めた。
「それ、三年前に亡くなったコジロウさんだ。六年前の『伝説のホールインワン』それから、みんな池越えを狙って打つようになり、池ポチャばかりするから、東出社長が禁止にしたんだよ」
「飛ばし屋」の異名を持つ、コジロウと慕われた佐々木大二郎は、札幌では知る人ぞ知るパークゴルフ界の「飛ばし屋」として名を轟かす存在だった。
「コジロウさんか、懐かしいな~。ロングホールのコジロウって言われたくらい、豪快なスイングで、見る者を圧倒したよ」
 吉田は、しみじみと思い出しながら、三国の方を見た。
「まぐれかな~」
「オレは、狙って打ったの!」
 三国は、口を尖らせて、ひょっとこのような顔をして、吉田の顔に迫った。それを見ながら、前田が最後にボールを打った。そして、フェアウエイの直角にボールを止めた。
「ナイス、ヨッシー。今日、一番のショットかな?」
 三国は、崩れた笑顔で1番ホールのピンまで歩いて行った。その後を吉田と前田が歩き、それぞれが打った自分のボールの位置に立ち、2打目以降を打った。吉田は2打加算を入れて5打、前田は3打で上がり、吉田が三人のスコアをカードに記入した。
 先行する二組は、Bの3番ホールで足止めを食っていた。相沢のグループの前でプレイしていた女性グループの一人が池に落ちた様子で、ちょっとした騒ぎになっていた。どうも池の縁に落ちたボールを打って、バランスを崩して落ちたようだった。池の縁は草で覆われている上に不安定な為、常連客は縁に落ちたボールをOBにして、無理に打たないのが常識になっていた。しかし、時おりOBを回避するために無理に打って、落ちる人がいる。毎年、数人は池に落ちているが、春先の寒い時期に落ちたのは、初めてのような気がした。
 その様子を見ていた相沢が、救急車を急いで呼んだ。びしょ濡れになった女性は、直ぐに担架で運ばれていった。そして、残された二人はプレイを止めて、救急隊員と一緒にパークゴルフ場を後にした。
 すっかり、水を差された感じになった九人は、Bコースをホールアウトすると、プレイを止めて、ゴルフ練習場のレストランに移動した。
 相沢は、集めた小銭を皆に返し、ホットコーヒーを振る舞った。
「今日は、初日で色々あったけど、感触は掴めたと思うので、明日から仕切り直しでスタートしよう」
 九人は、少し冷えた体をコーヒーで温めながら、談笑に花を咲かせた。すると、二階から東出社長が降りてきた。
「今日は、災難だったね!」
 小柄だが、貫禄のある姉御気質の東出美津子は、年間スケジュールを持っており、それを相沢に手渡した。
「四月末には、今年初めての『月例大会』があるから、お前さんたちの腕の見せ所だね」
「社長、ミックがBホールの1番でホールインワンでした」
 前田が、三国を指さした。
「ミック、池越えかい?」
「今年のプレイを占う上で、打ってみたのさ~」
 三国は、照れ笑いを浮かべながら、嘯いた。
「ミック、池越えは禁止だよ!今度やったら、5打加算だよ。いいね!」
 東出は、笑いながら三国を見た。
「でも、コジロウ以来だね。大したもんだよ!」
 そう言い残すと、東出は二階の事務所へ戻っていった。
 九人は、昼前に解散してパークゴルフ場を後にした。
 
 岡崎は、殆ど常連客が占めていたので、彼らのプレイを見ながら、機械の格納庫で、三連グリーンモアやフライングモア、刈り払機の始業点検をしていた。いつでも芝刈りが出来る状態に準備を進めていたのである。
 そして、今年使う備品のチェックをして足りない物を発注したり、慌ただしくオープン初日が過ぎて行った。今年も元気な爺いどもの世話が待っている。
 岡崎は、午後三時になり格納庫のシャッターを下ろして、受付の椎名さおりに挨拶をしてからゴルフ練習場の事務所に寄った。その時、東出社長からパークの年間スケジュール表を渡された。今年一年の大会スケジュールが記載されているので、このスケジュールに沿ってコース整備の年間計画も決まっていく。4月は月末に『月例大会』があり、ゴールデンウイークが終わると、コース全体の更新作業が始まる。コアリングをして、グリーンの芝を新陳代謝させる重要な作業であった。今は、太陽の陽を浴びながら芝が元気に成長していく期間である。色鮮やかな芝を見ているだけでも心が和む。
 岡崎は三連グリーンモアに乗りながら、美しく刈っていくのが好きだった。そして、刈った後を振り返り、綺麗になったグリーンを見ては悦に入る、そんな日々が待っている。そんな事を想像しながら、今年の整備計画を考え、日程をスケジュールの横に書き込んでいった。それが終わると、タイムカードを押してパークゴルフ場を後にした。
 
 パークゴルフ場がオープンして、一週間が経ち、コース整備も順調に進んでいた。そして、今朝からバンカーに砂を入れる作業が始まった。昨日ダンプカーが2台来て、砂を置いて行った。冬越したバンカーは雪の重みで締まっており、固くなったバンカーでは、面白さが半減してしまう。岡崎は、タイヤショベルで、軽トラックの荷台に砂を積み、各ホールのバンカーに砂を入れ、バンカー・レイキで均していった。
 最近は、新規客の姿も増えており、客入りも良かった。その中に、ひと際目を引くご婦人達のグループがあった。50歳前後の比較的若いグループで、中でも見とれてしまいそうな竹田洋子という女性が密かに注目を集めていた。
「岡ちゃん!あの美人さん、どうも未亡人らしいよ?」
 安友が、バンカーで砂入れをしていた岡崎に耳打ちをした。
「そんな情報、どこから仕入れたの?」
「な~に、Aコースの最初で躓いていたから、コース攻略の仕方を教えてたら、会話の中で知っただけだよ」
「名前は、サオリちゃんに訊いたら、名簿を指さして竹田洋子と判ったんだ。そしたらサオリちゃんの機嫌の悪いこと」
「そうなの?」
 安友は、楽しそうに話しを続けた。
「月末の『月例大会』の宣伝もしといたから、来るかもね?」
「ところで、腕前はどうなの?」
「並以下かな?オレが指導したら、もっと腕が上がると思うけどねぇ!」
 安友は、教えるのが上手かったので、このパークゴルフ場に新規で来たお客には、人気があった。ただし、教えながらお触りもしていたので、手を叩かれる事もしばしあった。
「ヤスさん、お触りは禁物だよ。来なくなったら、終わりだから!」
「分かってるよ!」
 安友は、少しムッとした表情で、岡崎から去って行った。何か、彼女を巻き込んだ騒動が起きそうな予感がした。メンバーには、奥さんを亡くした者もいて、再婚出来る相手を密かに探している者もいる。そんなわけで、未亡人情報をお互い共有して、パークゴルフを楽しんでいた。
「そういえば、三国さんも一人もんだし、ヤスさんも一人、吉田さんは、奥さんに逃げられて一人」
 岡崎は、あの未亡人に、メンバー三人は相応しくないと感じた。しかし、安友はご婦人グループに付いて、ホールの解説をしながら、楽しそうに回っている。それを面白くなさそうな顔で三国が見つめていた。岡崎は軽トラックを砂山に止めると、三国の元へ行った。
「三国さん、どうかしたの?険しい顔して」
「ヤスの野郎、調子にのってるな!」
「気になるんだ!」
「ヤスは、新規が入ると、真っ先に近づいて仲良くなるんだよ」
 三国は、吐き棄てるように言い放った。
「三国さんも見習ったら?」
「それが出来たら、とっくに再婚してるよ!」
 三国は、ベンチに座って、腕時計を見ながら貧乏ゆすりが止まらなかった。
「みんな集まるの遅いな~」
 三国は立ち上がると、マイカーに戻って、カーステレオを鳴らし始めた。スピーカーからは、ローリング・ストーンズの「Angie」が流れてきた。ストーンズには珍しいバラード・ナンバーである。
「悲しいのは、三国さん本人かも?」
 岡崎は、三国が、早くに奥さんを交通事故で亡くし、自動車整備工場を切り盛りしながら、男手一つで一人娘を育て上げた話しを東出社長から聞いていた。今は、結婚した娘の夫が工場を継いで社長になっている。三国は、会長という肩書だが、雨の日以外はパークゴルフ三昧で、ここに入り浸っていた。
 岡崎は、ホールを移動しながらバンカーにたっぷり砂を入れて回った。バンカーの数が大小合わせて十数カ所あり、けっこう重労働であった。そして、一息ついていると、ゴルフ練習場で飼っている、オスのトラ猫「ジロ」がAの1番ホールのバンカーに入って、素早くオシッコをして後足で砂を掻いて出て行った。
「ジロの奴、バンカーに新しい砂が入ると、やって来るな~」
 バンカーには、しっかりとジロの足跡と後足で掻いた跡が残っていた。岡崎は、バンカー・レイキで綺麗に均しながら、ため息をついた。
「ジロ~、余計な仕事を作らないで欲しいねぇ!」
 岡崎は人が増えてきたので、砂入れの作業を終わらせ、格納庫に軽トラックをしまった。そして、スタートハウスの方を見ると、普段見かけないグループが七人、受付を済ませて、池横にある練習ホールに陣取って、談笑をしていた。
「どこのグループだろう?」
 そんな事を考えていると、三国がやってきた。
「札幌北区のキンクス達が『月例大会』の為に、練習に来たようだ」
「北区のキンクス?」
「そう、北区『ノースランド・クラブ』の久住金蔵!通称「キンクス」と呼ばれてる」
「奴は、ほうぼうのパークで、ナンパしてるオヤジだよ!」
 岡崎は、七人のオヤジ共を見ながら、ひと際声の大きい男に注目した。身長もあり、中々の男前であった。
「あの人がキンクス?」
「あのタッパがあって、声のデカイ野郎だ」
「もしかして、三国さんのライバル?」
「あんなナンパ野郎と一緒にするな!」
 三国は、吐き棄てるように言った。
「ヤバいな~、あの美人に目を付けるような、気がする?」
「誰だい?その美人って」
「今、Bの5番ホールでプレイしている婦人グループに、ひと際キレイな人がいるでしょう」
 三国は額に手を当て、目を細めて三人のプレイを見つめていた。
「あ~、あの人かい?」
「キンクスに見つかったら、間違いなくナンパするね!」
 岡崎は、茶目っ気たっぷりに、三国をけし掛けた。
「三国さん、キンクスにさらわれて平気?」
「想像すると、嫌だな!」
「後、4ホールで9番ホールまで行くので、早々と接近遭遇しますねぇ」
 岡崎は、腕時計を見ながら呟いた。
「後、何分掛かるかな~?」
「早く、コースに出ろ!キンクスのバカ野郎が」
 三国が気を揉みながら、久住達を見守っていると、やっとメンバーが四人やってきた。
「やっと来たよ」
 三国は小走りでメンバーの元へ行った。すると、Aコースに移動しはじめた久住達が三国の姿を見つけた。
「ミック、久しぶりだな。今年も対決が楽しみだよ」
 久住金蔵が、三国を後ろから羽交い絞めにして、耳元で囁いた。
「キンクス!その汚い手を放せよ」
 久住は、手を放してお道化てみせた。
「ミック、怒るなよ!」
「オレはねぇ~、月例大会でミックと戦えるのが楽しみなんだ」
「今年は、他の野郎と戦えよ!オレは、飽きたよ」
「そう言うなよ、オレの相手になるのがいなくてねぇ~」
 岡崎は少し離れた処から、三国と久住を見ていた。すると、安友がやって来て、耳元で囁いた。
「あの二人、高校の同級生なんだ」
「そうなの?」
 岡崎は、驚いた様子で安友を見た。
「以前キンクスも花川東に住んでたけど、二十年前かな?北区の屯田に家を建てて引っ越したんだ」
「ヤスさんは、情報通だね~」
「この界隈は、オレの庭だからねぇ~」
 そう言うと安友は、メンバーと合流して、集まった六人のメンバーを二つに分けて、プレイを始めた。すると、入れ違いにご婦人達のグループがBコースをホールアウトして、ゴルフ練習場のレストランへ入って行った。
 岡崎が、格納庫で三連グリーンモアに燃料を補給していると、さおりがやって来た。
「隆ちゃん、何か起きそうね!」
「何が?」
「あのヨーコさんが、ここに通い始めてから、爺い共がざわついてるの」
「そうなの?」
「ヤスさんが、ヨーコさんが未亡人だ!って話してから、急に雰囲気が変わったのよ!」
 さおりが少し興奮気味に、話しを続けた。
「しかも、誰がヨーコさんをモノに出来るか?って、ヤスさんが話してたの」
「ヤスさんも一人身だから、チャンスを狙ってるのかな?」
「うちのメンバーは無理無理!」
「そうかな?三国さん辺りが、チャンスありそうだけど」
「隆ちゃんは、立候補しないの?」
 岡崎は、さおりの突然の振りに、慌てた。
「考えた事もないよ!ないない!」
「隆ちゃん、顔、赤いよ!」
 岡崎は、首に掛けていた手拭いで、吹き出した汗を拭った。
「何か、暑いな~」
「私には、関係ないけど」
 そう言うと、かおりはスタートハウスへ戻って行った。
「再婚か~」
 岡崎も、三十三歳の時に離婚しており、それから二十年も一人暮らしが続いている。その間、苦しい生活が続いていた為、結婚どころではなかった。社長からも、「再婚しないのかい?」と、何度か訊かれたが、その都度「そんな余裕ないですよ!」と答えて、お茶を濁していた。
「一人が、気楽なんだよ~」
 岡崎は、三連グリーンモアに乗ると、エンジンを始動してCコースに向かった。Cコースの1番は、小高い山に打ち上げて打ち下ろす、起伏にとんだコースになっていた。ここもスコアを落とす難所であり、1打目をしっかり打たないと、ボールが下に転がり落ちてくる、プレイヤー泣かせの薄情なコース設定になっていた。因みに41メートル、パー3に設定されてはいるが、滅多にパーでは上がれない。その為、急斜面のすぐ下には、レディース用の打席が用意されていた。しかし、ここを利用した場合は、コース・ルールで1打加算になる。
 岡崎は、フェアウエイを刈りながら急斜面を三連グリーンモアで登り、頂上のグリーンも刈った。そして、2番ホールのフェアウエイを下って、瓢箪型のグリーンを刈り、順番にグリーンを刈っていった。最後は、Ⅾコースを刈って入口のスタート地点まで戻ってきた。このCとⅮを刈るのに約一時間半は掛かってしまう。客のプレイ速度を見ながら、素早くコースに入っては刈り、プレイの邪魔にならない所に退避しながらの作業であった。こうして、客のプレイを見ながら、各ホールの攻略方法も自然に解っていった。
 岡崎は、三連グリーンモアを洗い場に持っていくと、ホースでロータリー状の回転刃を丁寧に水洗いしながら、こびりついた芝を洗い流した。春の日差しは暖かく、背中がほっこりとなり、作業を終えた充実感と一緒に眠気も襲ってくる。朝の四時起きは、やはりきついものがあった。しかし、楽しみなのは、グリーンの上で見る日の出の美しさであった。澄んだ空気の中で見る太陽は、格別な神々しさがあり、生きている充実感と感謝の念が不思議と湧いてくる。岡崎は、大きなあくびを何度もしながら、三連グリーンモアを格納庫にしまい、さおりの居るスタートハウスへ寄った。
「隆ちゃん、お疲れさま!」
「私の予想通り、面白い事が起きたの」
 さおりは、嬉々とした表情で語り始めた。
「キンクスが、あのヨーコさんを見つけてしまったのよ!」
「それで?」
「そしたら、キンクスがプレイ中のミックを捕まえて宣言したのよ!」
「何を?」
「ミック!オレは、彼女にアタックするぜ!」
「マジに?」
「そうしたらミックは、キンクスの襟を掴んで、『オレに勝ってからにしな!』と、言ったのよ」
「三国さんらしいな~」
「それで、『月例大会』三番勝負!お互い、スコアの良い方が勝ちで、もし、一勝一敗一引き分けの場合は、7月に一対一のマッチプレイで、決める事になったのよ」
「何か…、不良爺いの『真昼の決闘』みたい?」
「ところで、ヨーコさんは知ってるの?」
「知るわけないでしょう!いずれ、本人の耳に入ると思うけど」
「これはオフレコだから、誰にもしゃべるな!って、ミックが言ったらしいけど、ヤスさんが教えてくれたの」
 さおりは、大声で笑っていた。そして岡崎は、そんな勝負をする二人が羨ましかった。
「誰か、わたしの為に勝負する人いないかな~」
「ヤスさんとオレでどう?」
 岡崎は、期待を込めて言ってみた。
「もう~、冗談きついって、二人ともタイプじゃないから!」
 さおりは、涙を流しながら笑っていた。そんな様子を眺めながら岡崎は、苦笑いしてパークを後にした。
 

Bコース2番から見た池


 翌朝、岡崎が池周りのラフをフライングモアで刈っていると、三国がコースの中を一人で打ちながら回っていた。
「三国さん、久住さんと勝負するんですか?」
「誰から聞いた?」
「サオリさんからですよ」
「もう、伝わってるんだ?」
「ヤスの野郎だな!」
 三国は、舌打ちをしてから語り始めた。
「キンクスとは、高校からの遊び仲間で、よくサボって、単車を転がしたり、奴の部屋でロックを聴いたりしたな~」
「オレはストーンズで、奴はキンクスが好きだった」
 三国は、芝に腰を下ろしてタバコを咥えた。
「六十年代が、オレらの十代で、ロックの洗礼を最初に受けた世代だ」
「そうですか、僕らは七十年代が十代なので、ツエッペリンやパープルでしたよ」
 三国は、ゆっくりと煙をくゆらせながら、言葉を続けた。
「ミック・ジャガーは、最高にカッコいいよ。いつでもロックンロールしてる。しかも七三歳で子作り、オレにはマネできねぇ!」
「えっ、評価は、そこですか?」
「三国さんも、とても六十代には見えませんよ」
「子供だって、まだまだ、大丈夫ですよ!」
「バカ言うな、腰はガタガタ、もうロックンロールは無理!無理!」
 三国は、腰を前後に振る動作をして、顔をしかめた。
「腰、痛てぇ~」
 三国は、腰をさすりながら、座りなおすと、更に語った。
「オレは、奴と真剣勝負が出来ると思うと、嬉しいよ」
「奴は、十年前にカミさんを乳ガンで亡くして以来、寂しさを紛らわす為にパークゴルフを始めたんだ」
「一緒に始めたんですか?」
「いや、オレは七年前からだよ。娘の婿が、工場継いでくれたんで、暇・つ・ぶ・し。いつの間にか、手のタコやこびりついた油汚れが取れてしまったよ」
 三国は、空を見上げてから、タバコを池に投げ捨てた。
「三国さん、池に捨てないで下さいよ~」
「掃除は、お前に任せた!」
 三国は立ち上がって、3番ホールのティーグランドへ歩いて行った。
「岡崎さん、オープン前に打たせていいのか?」
 池の淵で、刈った芝を集めていた山本が、迷惑そうな顔をして近づいてきた。
「月例も近いし、オレが許可したんだよ!」
「そういう事?」
 山本は、不服そうな顔をしながら作業に戻り、軽トラックに集めた草を積み始めた。
「岡!そんなに池の縁刈ったら、ボール止まらんだろう!」
 三国が大声で、池に落ちそうになっているボールをクラブで指して言った。Bの3番ホールは、フェアウエイが池に向かって緩やかに傾斜しており、打球が弱いと自然に池に落ちるようになっていた。
「お前の切ったカップの位置が池よりで、あ~落ちる!」
「三国さん、どんまい!」
 岡崎は、湧き上がる笑いを必死にこらえながら、ピッカーを手に持った。
「ボールは落ちてねぇ~」
 三国は、足の位置をしっかり決めて、2打目をグリーンに載せると、3打目で沈めた。
「三国さん、ナイス!」
 三国は、親指を立て、ウインクをした。岡崎は、フライングモアを裏返すと、スカートの縁に溜まった草をヘラでこそぎ落とした。これを怠ると、伸びた草がキレイに刈れなくなる。
「後、オープンまで一時間か~」
 岡崎は、Aの8番ホールのすり鉢状の斜面に移動して、フライングモアで刈り始めた。間もなくすると、池の集草を終えた山本が軽トラックを持ってきた。
「岡崎さん、ここも刈るんですか?」
「三十分もあれば、この周囲の斜面を刈れるからねぇ」
「集草、頼むよ!」
 岡崎は、軽トラックの助手席から燃料の入った携行缶を下ろすと、すばやくフライングモアに燃料を補給し、エンジンを始動させた。このすり鉢状の斜面の上は通路になっており、最初に通路の縁を刈り、それから斜面を手際よく刈っていった。昨年、この斜面の草刈りを山本に任せたら、フライングモアを上手く操作できず、トラ刈りにしてしまった。それ以来、山本はフライングモアを操作していない。
「もう、そこまで刈ったの~」
 山本は、呆れたような顔をしながら、急いで集草の手を早めた。スタートハウスの方を見ると、既に常連客が集まり始め、練習ホールで、盛り上がっていた。すると、Ⅽコースの奥の方で草刈りをしていた植田がやってきた。
「集草するから、軽トラ持ってくよ~」
 植田は、ⅭとⅮコースの草刈りを担当していた。彼は、山本と違って器用さがあり、刈り払機やフライングモアの操作を難なくこなしたので、岡崎の負担を減らす存在でもあった。
「植田さん、集草終わったら、軽トラ持ってきてねぇ」
 植田は、手で合図をして軽トラックに乗り込むと、Ⅽコースへ消えていった。
「サッサと終わらせるか」
そう呟くと、岡田は、フライングモアを動かすスピードを上げて、一気に斜面を刈り上げた。まもなくして植田が軽トラックと一緒に戻り、斜面の集草を手伝い始めた。後、十五分程で、オープンになる。岡崎は、フライングモアを裏返して、溜まった草を取り除いた。それが終わると、斜面の集草も終わっており、二人は軽トラックに積み込んだ草を捨て場に持って行った。そして、二人が戻ってくると、空の荷台にフライングモアや刈り払機など作業道具を載せて、格納庫に戻った。程なくして二人が帰ると、スタートハウスでたむろしていたお客達が、それぞれのコースへ散って行った。
 
『月例大会』が一週間後に迫り、連日百名近いお客が、熱心に練習に励んでいた。安友達のグループも久しぶりに、十二名が揃い、四人三組で回っている。当然、久住達のグループも来ており、賑わいを見せていた。
「今年も、熱い戦いが始まるな~」

Cコース2番から見た風景


 岡崎は、Ⅽコースの山の上から各コースに散らばってプレイしているお客達を眺めながら、呟いた。そして、Ⅾコースに目をやると、竹田洋子の三人組がⅮの2番ホールのグリーン上にいた。一人は、グリーン下2mにあるバンカーにボールを落としており、そこからの打ち上げに苦労していた。すると、何処からともなく安友が現れ、バンカーからの脱出を自分のボールを使ってレクチャーしていた。
「ヤスさんも、密かに参戦してるな~。二人の戦いを尻目に、人柄で勝負を仕掛けている」
 すると、いつの間にか横に、東出社長が立っていた。
「あの人かい?ミックとキンクスのマドンナって」
「社長、その通りです」
「あの未亡人!けっこうな、美人さんだね」
 そう言うと、東出は、2番ホールのフェアウエイを下って行った。
「私の勘だけど、男はいるよ!」
「そんな噂、聞いて無いですよ!」
 岡崎は、清楚な洋子を目で追いながら、男の影を危惧した。
「そんな風には、見えないな~」
 岡崎は、格納庫に戻ると、ラフ刈り用の三連グリーンモアに燃料を入れ、客の動きを見ながらコースに出て行った。六十代から七十代のお客が、マイペースでプレイを楽しんでいる。岡崎はAコース6番ホールの砲台グリーンの斜面を刈っていると、メンバーの大迫健一が険しい表情で、グリーンの上で立ち止まり、呟いていた。
「あれ?何打、打ったっけ?」
「ケンちゃん、どうした?」
 一緒にプレイしていた加藤が、尋ねた。
「ハジメ…、オレ、何打かな~?」
「4打目だよ。しっかりすれよ~」
「実はオレ、去年から物忘れが激しくて、打数わかんねえ~」
「もしかして、認知か?」
「そうかもな~。今朝も、ここ来るとき、クラブ積むの忘れてよ~、おっかーが、玄関に置き忘れたクラブを持って、車庫から車出したオレに、心配そうな顔して渡してくれたんだ」
「ケンちゃん、スコアカード見せて」
 加藤が、大迫のスコアカードを覗くと、「?」マークの記入が続いており、大迫はうなだれていた。既に7番ホールに移動していた吉田と伊藤は、そんな事には気付かず、プレイに没頭していた。
「ケンちゃん、大丈夫!オレが数えるから心配するな」
 大迫は、うなだれていた顔を上げ、微笑んだ。
「ありがとう」
「オレ達は、仲間なんだから、遠慮するなよ!」
 大迫の目尻から、溢れるモノがあり、鼻水をすすりながら、加藤の後を歩いて行った。
 岡崎は、そんな二人のやり取りを見ながら、仲間の大切さを身に染みた。
「何か、切ないけど、いいな~」
 春のそよ風を背に受けながら、岡崎は斜面のラフを再び刈り始めた。青空に浮かぶ雲がゆっくりと流れ、笑い声や歓声、時には悲鳴がパークゴルフ場に響いていた。
 
 今日は、他にも珍しいメンバーが顔を出していた。相沢グループと回っている井上 仁が、元気そうにプレイを楽しんでいた。七八歳になるが、背筋を伸ばし、英国仕込みの紳士姿は異彩を放ち、佇まいに品があった。元々はゴルフを嗜んでいたが、ボールの飛距離が出なくなった為、十年前にパークゴルフに転向した口であった。それでも、井上のスイングは美しく、カップへのアプローチが上手いので、殆どスコアは崩れず順調にパーを重ねていた。
「ジンさんには、敵わないな~」
 相沢が感嘆の声を上げた。
「基本が出来てる人は、崩れない」
「テルさん、あなたも崩れませんねぇ」
 井上は、チョーネクタイの結び目に手を触れると、アプローチをして、3メートル先のカップに難なく入れてみせた。Ⅾの5番ホールを終えて、相沢グループは6番ホールへ移動していった。この相沢グループの後に三国達のグループが続いていた。
 4番ホールにいた三国達四人は、5番ホールに来た。このⅮの5番ホールは、55メートルのパー4。なだらかな下り斜面で、フェアウエイの中間部分に大きな赤松の木が二本並んで立っている。この松の木の右に打つか左に打つか、カップの位置でアプローチが変ってくる。しかも、グリーンの奥は1メートルの則斜面になっており、下には通路がある。その為、グリーンから転げ落ちると、OBという仕掛けになっていた。
 最初に打ったのは、山田守男だった。松の木の右側を狙うと、ボールはグリーンから僅かに顔を出していた木の根にぶつかり、大きくジャンプして、ラフの中に落ちた。
「根っこにぶつかったの?」
「山ちゃん、腐らない腐らない」
 そう言いながら安友が、ボールをセットした。
「ヤスさん、たまにOB叩いて、遊びなよ」
 三国が、軽口を言うと、クラブを野球のバットのように振った。
安友は、真剣な眼差しで1打目を打った。ボールは木の右側をすり抜け、カップの手前7メートルで止まった。
「ヤスさんも、崩れないねえ~」
 三国は、クラブを股に挟むと、手を組んで両手首を回した。
「ここは、2打で決める!」
 そう言うと、三国はコンパクトにクラブを振り抜き、ボールは、木の左側を通過してカップを掠めて、グリーン奥の縁で止まった。
「ヤバかった!落ちるかと思った」
「惜しかったな~、後ボール1個で落ちたよね」
 続く高橋が、残念そうに呟きながら打席に入った。
「オレは、どこに打ったらいいのかな~?」
 高橋は、二、三度素振りをしてからボールをセットした。
「オレは手堅く、いくよ!」
 打ったボールは、木の正面に当たって、10メートル程、手前に戻ってきた。
「トオル、手堅い手堅い」
 三国は、笑いをこらえながらグリーンまで小走りで駆けていった。
「先に打つからね~」
 三国は、宣言通り2打で沈めると、スキップしながら6番ホールへ向かった。
「ミックのスキップは見たくないね」
 山田が、ラフから2打目を打つと、ボールは無情にもカップを掠めて、グリーン下へ転がっていった。
「あ~、落ちた…」
 肩を落とした山田は、力なくグリーン下に行き、OBラインからボールを打ち上げた。すると、ボールはピンに絡み、1メートル側で止まった。それを沈めて4打、2打加算を含めて6打でホールアウトした。
 次は安友が、カップ目掛けて打ったが、山田の残像が残っており、ボールがショートして打ち切れなかった。そして3打目はカップに蹴られ、結局4打で上がった。最後は、高橋が気を取り直して、2打目を打った。ボールは木の右を抜けてカップの奥まで転がったが、OBは免れた。
「セーフ、セーフ」
 高橋が、小走りでボールの側に行き、呼吸を整えてからアプローチに入った。
「カップまでは、3メートルかな?」
 安友が、高橋のボールを見ながら、グリーン下の通路に立っていた。高橋は、慎重にボールを転がすと、ボールはカップを一周して吸い込まれた。
「ヤバかった!蹴られたかと思ったよ」
 高橋は3打で上がり、気分良く6番ホールへ向かった。三人は、三国の待つ6番ホールに着くと、三国はBの4番ホールでプレイしている洋子の姿に見とれていた。
「ミック、始めるぞ!」
 安友の声で、振り返った三国は、人差し指を口元に立て、首を横に振った。
「先に打ってくれ」
 三国は小声で言うと、尚も洋子の姿に見とれていた。
「あの、キレイな人は誰?」
 事情を知らない山田が、三国の横に立って一緒に洋子のプレイを見ていた。
「ミックの知り合い?」
「静かに」
「オレのマ・ド・ン・ナ」
 山田は、怪訝な顔をして、プレイに戻った。
「ミック、熱でもあるん?」
「後、もう一人、熱のある奴がいるんだ!」
 安友が、答えた。
「エッ、誰?」
「『ノースランド・クラブ』のキンクスだよ」
「あの、ほうぼうのパークで、ナンパしてるって噂のオヤジ?」
「そいつが、あの人をめぐって、ミックと『月例大会』三番勝負をするんだ!」
 山田は、頷きながら、含み笑いを浮かべた。
「あのキレイなご婦人も了承してるんだ?」
「あの人は、何も知らない!」
 山田は、堪えきれずに吹き出した。
「腹痛ぇ~。本人の知らない所で?」
 山田は、しゃがみ込んで、手で口を押えて涙を流していた。
「凄い、イベントになりそうだ!」
「山ちゃん!何、腹抱えて泣いてんだよ?」
 三国は、不思議そうに山田を見つめた。
「ミック、事情は聞いた。とにかく負けるな!」
 山田は、涙目で立ち上がると、打席に立って、クラブをピンに向けて、叫んだ。
「お前にロックオン!」
 鋭く振り抜いた山田のボールは、ピンを通り過ぎて、OBへ転がっていった。
「山ちゃん、ナイス、スイング!」
 三国は、笑いながら打席に入った。そして、腰を2、3回振ってからクラブをコンパクトに振り抜いた。ボールは一直線にピンに向かい、カップに蹴られて止まった。
「ミック、惜しい!ホールインワン逃したね~」
 高橋が、残念そうに笑った。
 このDの6番ホールは、45メートルのパー3、しかも直線のショート・ホールなので、比較的ホールインワンが出やすく、このホールでスコアを挽回したり、突き放したり、勝負を左右するホールでもあった。三国は、2打でホールアウトすると、直ぐに7番ホールへ向かった。OBの山田は、3打で入れたが、2打罰が加算されて5打で上がった。因みに安友は2打、高橋は3打で上がっていた。
 Dの7番ホールに立つと、正面には丘に打ち上げるCの1番ホールが見える。そこには、久住グループが打ち始めるところだった。三国は、直ぐに久住の姿に気付き、彼らのプレイを凝視した。久住のプレイは、三国と同じように強気で攻めていくスタイルだが、あまり大きく崩れないプレイは、三国と実力が伯仲しており、『三番勝負』はどちらが勝ってもおかしくはなかった。
 三国達は、Ⅾのホールが終わると、スタートハウス近くのベンチに腰を下ろした。そこでスコアの確認をした。
『サンライズ・パークゴルフ場』4ホールのパーの合計が132打なので、三国は125打の7アンダーで上がり、まずまずのスコアだった。しかし、満足はしていなかった。たぶん、優勝ラインは、110打前半の数字になるので、最低でも後10打は縮めないと、勝負にはならない。3打平均に近い感覚で回らないと、上位には食い込めなかった。
 三国達のグループは十二人いるが、常にトップ争いをしているのが、相沢を筆頭に安友、伊藤であり、次に吉田、加藤、井上が続く、三国は4番手位にいて、調子のいい時と悪い時の差が結構あった。三国は、その時の気分でスコアに影響が出るタイプで、ムラっ気があり、集中力が途切れない時は、神憑り的なスコアを残している。因みに、三国の最高スコアは113打で、この記録は、5年間更新していなかった。
 因みに、このスコアは、5年前の秋の『月例大会』で出した記録で、三国の名前が知れ渡る結果になった、記念すべき大会になっていた。休憩場の掲示板には、ここ十年の『月例大会』の優勝者と優勝スコアが掲載されており、三国の名前も載っている。しかし、三国はそれ以降、翌年に2回優勝してから遠ざかっていた。
 このグループで優勝回数が一番多いのが、ダントツで相沢だった。ここ十年で15回と、ほぼ毎年1回以上は優勝している。それに続くのが安友の9回、伊藤の6回、井上と三国の3回、後は加藤と吉田が1回という具合だった。
 三国のここ3年間の成績は、優勝に絡む事もなく、パー前後のスコアで終わり、低迷している状態だった。もっぱら、『燃え尽きたロックンローラー』と、揶揄される事も多く、三国は、その言葉に甘んじていた。
 岡崎は、プレイの終えた三国達に近寄って行った。
「三国さん、今日のスコアは。どうでした?」
「Paint It ,Black!」
 三国は、そう言い残すと、他の仲間とは会わずに車に乗り込み、窓を全開にすると、大音量で『Satisfaction』を鳴らし、愛車を急旋回させて出て行った。
「『黒く、塗れ!』か、こんなに悔しい三国さんの姿を見たのは久しぶりだな~」
「ヤスさん!三国さんのスコアは?」
「ミックのスコアは125打、並のスコアだよ」
「ヤスさんは?」
「オレは、121打で、同じく並」
「高橋さんは?」
「オレに訊くなよ、129打のアンダー3!」
「山田さんは?」
「エヘッ、今日が練習初日だったので、135打!」
 
 4コースのラウンドを終えて、一番良いスコアが、相沢の119打で、続いて井上の120打、安友と伊藤は121打という成績だった。そして、いつものようにゴルフ練習場のレストランに移動すると、昼食を注文したり、持ってきた弁当を拡げたりして、スコアの寸評に花が咲いた。
 そこに、プレイを終えた竹田洋子の一行が入ってきた。ひと際洋子が目立ち、微かに香る香水の匂いに、他のお客達も振り返る始末だった。
「あのヨーコさん、ええおなごや~」
 前田が、しげしげと見ていると、安友が、前田の靴を踏みつけた。
「あまり、ジロジロ見るなよ!」
 安友の低い声と睨んだ顔に、前田は恐れをなして、足を引っ込めた。
「ミックが惚れるのも無理ないよ!」
 今度は、宮本が小声で呟いた。
「そういえば、キンクスもここで5、6回優勝してるよね?」
宮本が相沢を見ながら尋ねた。
「確か、7回のはずだよ!」
 相沢は、持ち歩いているファイルを開いて、『月例大会』の記録に目をやった。
「キンクスは、7回優勝で、彼の最高スコアは111打」
「ミックの113打の上を行ってるね!」
 宮本が、更に尋ねた。
「テルさんは、更にその上ですよね?」
「オレの最高スコアは、九年前に出した107打!」
「在り得ないスコアですね!しかも、3打平均を僅かに切っている」
 宮本は、首を横に数回振ると、大きくため息を吐いた。
「何か、岡ちゃんが来てから、カップの切り方厳しいよな~。ハイスコア出すのも至難だよ」
 安友がポツリと呟いた。
「確かに、カップの位置、厳しいよね~」
 伊藤が、安友の言葉に同調した。
「何か、普通に120切るのも、しんどいし」
 更に、伊藤のボヤキが続いた。
「少し、カップの位置を優しくしてくれるように、岡さんに頼みますか?」
 山田が、周りを見渡してから提言した。
「それを言っちゃ~、お終いよ!」
 話を聞いていた高橋が口を開いた。
「ここは、上級者がプレイする難度の高いコースで有名なんだ。わざわざ難度下げたら、ここの価値が無くなるよ!」
「確かに、トオルの言ってる事は正論だよ」
 相沢が、大きく頷くと、コーヒーを飲み干した。
「今年の優勝ラインは115前後と見ている。それを目標に練習あるのみ!」
 その後、相沢、大迫、井上が帰り、既に三国が帰っているので、残った8人が再びコースに出て、プレイに没頭した。
 
 大会を一週間後に控え、参加予定者の熱も帯びてきた。午後三時を過ぎても、帰る者も少なく、パークゴルフ場の閉門ぎりぎりまで残って、練習している者ばかりだった。
 岡崎は、午後三時に格納庫のシャッターを下ろすと、パークゴルフ場を後にした。今年は、三国と久住の熱い戦いから始まる。この二人に、どのような結末が待っているのかは分からない。しかし、六十代半ばを過ぎて、一人の未亡人に「告白」を掛けて戦う姿には、「男のロマン」を感じてしまう。どちらかが勝って、未亡人に告白しても振られてしまう可能性の方が高い。その一見、無謀に思える行為に周りが応援する姿も微笑ましい。この爺々い共が、元気にプレイしている姿に岡崎は、いつの間にか看過されグリーン・キーパーとしてコース管理への責任感が芽生えていた。この二人の熱い戦いを見守りながら、今年はコース・コンディションを整えていく事になると、考えていた。
 
 その一週間が過ぎ、4月の『月例大会』を迎えた。大会を運営するスタッフは、午前七時半には会場に来て、テントを設営し、賞金や参加商品を展示して午前九時スタートに備えた。この大会の参加人数も百名に迫り、グループ分けも事前にしてあり、来場した者から受付をして、グループとスタート時間を知らせて、胸にはスタート・コースを示す色分けしたバッジを着けてもらった。Aコースは青バッジ、Bコースは黄バッジ、Cコースは赤バッジ、Dコースは緑バッジという風に色分けしてあった。そして、バッジには同じ番号が書かれたのが4枚有り、後は、グループの順番を示す番号が記されている。
 午前八時を回ると、続々と参加者が来場し、途端にスタートハウス周辺は、賑やかになっていった。参加者は受付でバッジを渡され、一緒にラウンドする相手の名前を知らされる。そして、バッジを着けた人を見ながらグループになった者同士の挨拶があちこちで始まっていた。
 このグループ分けにも悲喜こもごもあり、全く知らない者同士がグループになると、相手の癖やプレイ・スタイルに慣れるまで時間を要したり、そんな人に左右される事無くマイペースでプレイ出来る人もいる。『月例大会』は、あくまでも個人戦なので、やはりメンタルの強い人が、最後の詰めで力を発揮していた。
 午前九時になり、司会の椎名さおりがマイクを持って、駐車場に集まった参加者に整列を促した。参加者九六名、二四グループが4コースに分かれ、6組が順番にスタートする。さおりは、笑顔を振りまきながら、大会主催者の東出社長を紹介した。
「参加者の皆さん、おはようございます!」
「今年もパークゴルフの季節がやってきました。よく晴れ渡った青空の下、皆さんと再会出来て、私も嬉しい限りです。皆さんの日頃の練習成果を発揮してください。優勝賞品や、盛りだくさんの副賞も用意しています。皆さんの健闘を祈ります」
 東出社長の短いスピーチが終わると、次は、運営スタッフにもなっている相沢が、スピーチに立った。
「運営責任者の相沢です。知った顔も多いので、野暮な説明は致しませんが、正々堂々と不正をする事無く、楽しくプレイすることを望みます。後は、午前2コース午後2コースと昼食を挟んで、大会は進んでいきます。予定では、午後三時位に全てのプレイが終わって集計に入ります。そして、午後三時半には、表彰式に移りたいと思います」
 続いてコース・スタッフの十二名が紹介された。さおりは各コースのスタート・スタッフは時計を見ながら、十分間隔でグループをスタートさせる事。後は、各コース二名のスタッフが配置され、プレイが順調に進むように協力をする事。最後は、無線を通じてスコアが逐次スタートハウスに集まる事等を説明した。
 さおりは、九六名のスコアを記入する役目もある為、緊張感があった。昨年の夏から、『月例大会』の司会を担当するようになり、慣れてきたとはいえ、半年ぶりの大会には、やはり緊張感があった。特に、無線で知らされる各人のスコアは、数字の間違いがないか?神経が磨り減る作業でもあった。そして、プレイが終わったグループからスコアカードを回収して、さおりが集計したスコア表と擦り合わせて、間違いがないかを確認する。
 何故、さおりが集計しているかと言うと、昼休憩の時に途中経過を発表し、各人がどの順位に居るのか?それを目安にしてもらうのが、集計の趣旨だった。自分が、どの位置にいるかを知って、午後のプレイに役立てて欲しいという主催者側の配慮だった。
 大会がスタートし、参加者全員が各ホールに移動して、グループのスタートを待つ。しかし、4番スタートから6番スタートは、三十分以上の待ち時間がある為、割と自由に過ごす事が出来た。ただし、スタート時間に集合していなければ、遅れた者は失格となるので、気を付けなければならなかった。
 過去にも、時間に遅れて失格となり、涙を飲んだ者もいた。その一人が三国であった。それは、二年前の夏の大会であった。前日に酒を飲み過ぎて二日酔いの状態で参加してしまい、ベンチで寝込んでしまった。仲間が起こしに行っても目が覚めず、起きた時には、午前十一時を回っており、そのまま自宅に帰って行った。その為、相沢からはこっ酷く説教され、愛想をつかす仲間もいた。それ以来、三国は精彩を欠いており、集中力が落ち、スコアの出来不出来も目立っていた。今回は理由はどうあれ、三国の復活が期待されていた。本来の実力が発揮されれば、優勝を重ねてもおかしく存在であると、誰もが三国の実力を認めていた。
 相沢も三国の復活を願っていた。グループ全体の年齢が上がり、体調を崩してグループを去る者が増えている。且つてグループの一員だった佐藤和也は、心臓病でグループを離脱、大迫も認知症が酷くなり、練習に来ない日も増えており、いつ離脱してもおかしくなかった。そして、大迫は今回の大会を直前でキャンセルしていた。それと、八十歳近い井上は、練習量を減らして大会には参加しているが、足腰が弱くなったせいで、プレイが遅くなっており、グループを離脱する日が近づいていた。井上は相沢に、今回の大会を最後にグループを引退して、後は個人的に健康維持の為、パークゴルフを楽しむと伝えていた。
 また、新しいメンバーを獲得するのも相沢の役目であった。石狩市でパークゴルフを嗜む者も多いが、ここはコースが難しい為、敬遠する人も少なくなかった。多くの人は、発寒川の河川敷にある『緑苑台パークゴルフ場』か、茨戸川の河川敷にある『茨戸パークゴルフ場』に行く場合が多かった。それらのコースは平坦で回り易いのが特徴であり、初心者には優しい、人気のあるパークゴルフ場であった。
 
 安友は、Aコースの3グループになり、スタートまで二十分の余裕がある為、スタートハウスに寄って、メンバーがどのように散らばっているのか、さおりに名簿を見せてもらっていた。
「ボスのテルは、何処かな?」
「テルさんは、Bの2グループで…、キンクスと一緒よ!」
「Bコースの優勝候補だね」
「次に、ロックンロール・オヤジのミックは?」
「ミックは、Dコースの1グループで、もうスタートしているね!」
「後、伊藤のテツさんも、Dコースの3グループ…」
「あれ?名簿にヨーコさん、載ってないけど…」
「実は、ヨーコさんにも大会勧めたけど、『私は下手だから、パスします!』って、スルーされたの…」
 安友は、それだけ聞くとAコースへ戻って行った。そこには、4グループの前田も暇そうにタバコをふかしていた。
「ヤスさん、メンバーの行き先分かった?」
「テルさんはBコースで、何とキンクスと一緒」
「激しいバトルになりそうだよ~」
「それでミックは?」
「Dの1グループ!」
「誰か、上手そうな奴混じってる?」
「…知らない名前ばかりだったな~」
「それから、ミックのマドンナは?」
「『下手だから出ない!』って、スルーしたみたい」
 前田は、残念そうに空を見上げた。
「オレには、雲の上のような人だけど、今日は雲一つないねぇ~」
「つまり、手が届かない!って、ことさ」
 安友と前田は、顔を見合わせて笑った。
 
 Cコースには、2グループの井上と4グループの高橋が立ち話をしていた。
「ジンさん、大会終わったら、グループ引退するって、本当ですか?」
「トオルくん、引退すると言っても、パークを辞める訳じゃない。これからも、健康維持の為に、ここには来るよ」
「でも、グループの重鎮が居なくなるのは、寂しいですよ」
「競うのに…、疲れた。そんな心境ですよ」
 高橋は、井上の言葉に、返す言葉が見つからず、悲しい表情を浮かべた。井上は、四菱商事の商社マンとして、若い頃はロンドン、ニューヨークで実力を磨き、日本へ戻ると、長らく札幌支社長として辣腕を振るっていた。そんな、井上の横顔には、穏やかな老兵の姿があった。
「トオルくん、順番が来たようだから、お先に失敬するよ!」
 井上は、いつもと変わらず、蝶ネクタイに手を触れてから打席に入り、1打目をフルスイングした。ボールは、勢いよく斜面を駆け上がり、グリーンに載せられる位置に着けた。
「引退する老人の打球じゃないねぇ~」
 高橋は、井上のブレないスイングに舌を巻いた。
 
 Bコースでは、既に相沢と久住の対決に火花が散っていた。
久住は、1番ホールを3打、2番ホールを2打で終え、相沢も同じく1番ホール3打、2番ホールを2打で打ち終えて、互いの実力がぶつかっていた。
「久住さん!やはり優勝回数7回は、伊達じゃないですね」
「相沢さんの優勝回数に比べたら、まだまだですよ」
 二人は、大会で何度も顔を合わせているが、一緒に廻るのは初めてだった。
「あなたの攻めのプレイを見ていると、うちの三国を見てるようだ」
「三国は、高校時代の遊び仲間だったから、パークでも奴には負けたくない!そんな気持ちにさせられる」
「今の三国は冬眠中だよ…。集中力がない!」
「春だ、起きろ!って、ケツ叩いてやりますよ」
 相沢は、久住の言葉に救われるような思いがした。
「これから3カ月、奴の目を覚まさせますよ!」
「と?いいますと」
 相沢は、とぼけたように訊き返した。
「奴と、個人的な『三番勝負』をしてるんで…」
「何か、賭けでも?」
「ま~、そのうち分かりますよ!」
 久住は笑いながら、3番ホールの打席に入った。Bの3番ホールは、90メートルのパー5。フェアウエイは池に向かって緩やかな傾斜が付いている。その上、岡崎の切ったカップの位置は、グリーンの池寄りに切ってあり、力の無い打球はカップに到達する前に、お辞儀をして傾斜に捕まる。そして、池の中に吸い込まれていく。そんな絶妙な位置に切ってあるカップを、久住は傾斜を計算に入れ、敢えてカップを狙わず、グリーンに載せる事だけに集中した。そして1打目は見事にグリーンを捉えた。
「ナイス、ショット!」
 相沢は、称賛しながらも焦りを感じた。そして、1打目をカップ側に着ける為、冒険を試みた。直接カップインをイメージして、打席に入った。相沢の鋭い打球は勢いよく転がったが、カップに近づくにつれ速度を落とし、最後はお辞儀をして、池の淵まで転がって行った。
「もう一伸び…、足りないか~」
 相沢の落胆した様子が、久住に伝わった。後の二人は、この二人のバトルを見ながら、一人はフェアウエイ左の植栽に打ち込んでOB、もう一人は、打ちそこなって直接池に打ち込んでOBという結果になっていた。
「お先に!」と、元気な久住の声が響き、ボールは7メートルの距離を一気に縮めたが、カップに蹴られてしまった。相沢は、それを見て胸を撫でおろした。久住は渋い顔をして3打でホールアウト。相沢は、2打目をグリーンに載せ、3打目でカップイン、お互い譲らない展開が続いていた。
 
 Ⅾコースの三国は、1番ホール45メートル、パー3を2打で通過すると、早くも2番ホールで捕まっていた。1打目のボールがグリーンで止まらず、グリーン下のバンカーに落として5打と、いつもの崩れるパターンに入る気配を見せていた。しかし、3番ホールの下り70メートル、パー4を3打で乗り越えると、続く4番ホール上りの80メートル、パー4も3打で沈めて調子を上げてきた。三国は、孤独な戦いに打ち勝つ事を念頭に、メンタルを切らさない為に、結果に腐らない事を肝に命じてプレイをしていた。相沢の危惧とは裏腹に、三国は目覚めていた。
「あの女がオレに振り向くか?そんな事よりも、キンクスには負けられない!」
 三国の闘争心に火が点いており、グループの他の三人を尻目にアンダーを積み重ねていった。まるで一人舞台といった感じで、Ⅾコースを終えようとしていた。また、3グループの伊藤も手堅くまとめてグループのトップを維持していた。
 
 Aコースでは、安友のグループがスタートしており、安友が手堅くスコアをまとめてグループを牽引していた。続く4グループの前田は、早くも3番ホールで捕まり、スコアを崩していた。
 スタートハウスでは、さおりが逐次入って来る各人のスコア情報を名簿に書き記し、忙しくしていた。そんな様子を岡崎は眺めながら、格納庫でノンビリ過ごしていた。参加者の歓声や落胆の声がパーク全体を包み込む。コース整備をしてきた期間が報われた安堵の思いが岡崎の顔に表れた。
 午前十一時を回ると、2コースを終了したグループが、スタートハウスに戻り始め、さおりの元にスコアカードが集められ、一覧表に書き写した打数に間違いがないか、チェックに余念がなかった。
 メンバーで最初に戻って来たのは、三国達のグループだった。ⅮコースとAコースを廻り、三国が満足そうな顔をして帰ってきたのが、印象的だった。そして、昼十二時前には、全てのグループがホールアウトして戻ってきた。束の間の昼休憩が参加者の張りつめた緊張感を解し、午後からの戦いに活力を与えた。
 
午後十二時半が過ぎ、スタートハウスを通り過ぎようとした三国に向かって、さおりが声を掛けた。
「ミック、ベスト5に入ってるよ!」
「トップは誰?」
「手稲から参加している、出口さん!」
 出口邦雄は、手稲前田の『パーク・ワン』を主戦場にしている強者だった。この5年間の『月例大会』で、9回の優勝経験があり、優勝候補の呼び声も高かった。
「それで、2番は?」
「東区の成田さん!」
 成田純一は、『福移の杜パーク倶楽部』の「魔術師」と言われるテクニシャンで、ここ2年間で5回も優勝をしていた。
「そして、3位がキンクス、4位はテルさんで、ミックは5位よ!」
 三国は、順位を聞いて、Dの2番ホールを悔やんだ。
「サオリちゃん!オレとキンクスの差は何打?」
「3打差よ」
「そうか…、サオリちゃん、『ブラウン・シュガー』あるかい?」
 すると、さおりはクーラーボックスから、コーラの赤い缶を取り出し三国に渡した。
「サンキュー!」
 三国は、大きく叫ぶと、Bコースへ歩いて行った。
しかし、その後ろ姿は、やる気満々の闘気で充ちており、午後の後半戦に向けた、決意が見て取れた。
「ミック!応援してるから~」
 さおりがスタートハウスから出て、三国の背に向かって大きく叫んだ。三国は、振り返らずに右手を上げると、テキサス・ロングホーンのサインをした。
「ミック、スタンハンセンのつもり?」
 さおりはクスリと笑うと、スタートハウスへ戻った。
 
 午後一時になり、参加者は各コースへ散らばって行った。三国達のグループは、Bコースの一番スタートで、既に三国はスタンバイして待っている。そこに、スタッフと一緒に他の三人もやって来た。
「三国さん、早いですね!」
 このグループの杉田が、声を掛けてきた。
「オレは、今5位に着けている。面白くなってくるよ~」
 三国は不敵な笑いを浮かべて、打席に立っていた。この場所で出したホールインワンの感触を思い浮かべて、1打目をスイングすると、ボールは、フェアウエイの直角で止まり、他の三人がどよめいた。
「凄い!」
 三国は、後に続く三人の打席を見守り、余裕でフェアウエイの真ん中を歩いてボールの側に立った。ピンを見据えて2打目を模索すると、ラインが見えてきた。
「チャージするか!」
 三国は、両手で頬を叩くと、迷わず2打目を振り抜いた。ボールは三国の見えたライン上を走り、約20メートル先のカップに吸い込まれていった。カップの中を乾いた音が響き、三国はガッツポーズをした。そして、池に架かる「光福橋」を渡って、2番ホールへと向かった。三国は、他の三人が来るまで、タバコに火を点け、はやる気持ちを抑えて、頭の中では、次の打席のイメージを何度もシミュレートしていた。
「三国さん、我々に構わないで、先に行ってもいいですよ!」
 グループの一人、上田が呆れた顔をしながら言った。すると、慌ててスタッフの一人が打ち消した。
「あくまでもグループで移動してもらうので、勝手な行動は慎んでください」
 三国は、靴の裏で火を消すと、吸い殻を胸ポケットから出した「携帯灰入れ」にしまった。そして、おもむろに打席に立つと、ピンに向けてクラブを立てた。Bコースの2番は、65メートルのパー4。三国は2打で入れるつもりで、コンパクトに振り抜いた。ボールは一直線にカップに向かい、あわやホールインワンかと思わせた。しかし、ボールはピンに弾かれて、2メートル前に転がった。
「惜しい!」
 後の三人も、息を吸ったまま吐くのを忘れるくらい、拳に力が入っていた。
「勝負にならんな~」
 上田が諦めムードで、打席に立った。力を抜いてリラックスしたフォームで打ったボールは、40メートル弱転がって止まった。後の二人もそれに続き、三人はパーでホールアウトして、3番ホールへ向かった。
 この3番ホールはフェアウエイが池に向かって緩やかに傾斜している。90メートルのパー5は、一見真っ直ぐに打てば入りそうに思えるが、打球速度が減速して池に落ちていく「魔の3番ホール」と言われている、緊張感の走る名物ホールであった。
 三国は、池に近いカップを狙わず、グリーンに載せる事に集中した。このホールを乗り越えれば、スコアを崩さず何とかホールアウトが見えてくる。そんな思惑で打席に立つと、大きく深呼吸をしてピン横3メートル付近に目をやった。そして、クラブをフルスイングするとボールは一直線に進み、グリーンに載るとピン側5メートル付近で止まった。
「三国さんには、敵わんな~」
 上田が呆れた顔で打席に入った。
「こっちはマイペースでいきますよ!」
 上田の打ったボールは、50メートルを過ぎた地点で、お辞儀をして池に吸い込まれた。そして、続く杉田は、池に落ちないように警戒しながらの1打は、植栽に飛び込んでOBになってしまった。そして、最後に打った西川は、グリーンの手前10メートル付近でボールが止まり、胸を撫でおろした。
「ラッキー!」
 三国は、三人の結果に目もくれず、4番ホールへと進んでいった。
 
 Aコースには、午前中2番手に着けていた、成田のグループが3番スタートでプレイしていた。
 成田は、一見すると華奢で非力に見えるが、ボール・コントロールが正確で、離れた所からいとも簡単にカップインさせる技術に長けていた。
 成田は、1番から3番のクセのあるホールを難なくクリアすると、他の三人の悪戦苦闘を尻目に、快調にスコアを伸ばしていった。
 
 Ⅾコースには、午前中のトップに立っていた出口が1番グループでスタートを切っていた。出口は、1番ホールを2打でクリアすると、2番ホールは、グリーンの手前10メートルに小山があり、しかもカップの位置が見えないホールになっており、その上、グリーン下にはバンカーがある。そんなホールに挑んでいった。このホールは、55メートルのパー4になっており、出口は1打目で山を越え、グリーンをキープして2打目で入れる計算でいた。しかし、山を越える為に、ショットに力が入ってしまった為、ボールに勢いがつき、グリーンを越えてバンカーに落とす痛恨のミスをしてしまった。その為、結果的に5打となった。続く3番ホールは、下りの70メートルでグリーンはホッケースティックのように先端が左にくの字に曲がっている。その為、下りのショットが強すぎると、フェアウエイを飛び出してOBになってしまう。ここも慎重なショットが要求される難ホールであった。
 出口は、前のミスが響いており、スコアを縮める為に少し強めに打つと、天気の良い青空の下、フェアウエイが乾いてきた為にボールが走り、フェアウエイを飛び出しOBとなってしまった。再びこのホールも2打加算を加えて5打となり、手痛いミスの連発で、順位を下げていった。
 その後を、相沢と久住のグループが続き、二人の熱い戦いが展開していった。相沢と久住は、1番、2番ホールは、難なくクリアしたが、3番ホールで捕まってしまった。相沢は出口と同じように、やや強めに打ったショットが、フェアウエイを勢いよく転がり、OBを超えて行った。
「やってしまった!」
 相沢の悔しがる横顔からは、血の気が失せていた。このショットを見ていた久住は、ゆったりとした構えから、力をセーブしたショットに切り替え、見事ボールをグリーン手前で止めてみせた。
「ナイス、ショット!」
 相沢以外のメンバーが、久住のショットに賛辞を送った。久住は、2打目も下りを配慮した慎重なショットでボールを転がすと、見事にカップ側2メートルに寄せ、3打目でホールアウト。スコアを着実に伸ばしていった。相沢の方は出口と同じように5打で上がり、青空を見上げながら、気持ちを切り替えて逆転のチャンスを狙って、4番ホールへと向かった。
 
 Cコースに目をやると、安友のグループがプレイをしており、前田のグループは打席の側で順番を待っていた。3番手でプレイを始めた安友は、1番ホールの1打目を豪快に振り抜くと、ボールは斜面を駆け上がり、丘の上の奥の方まで転がって行った。
「何か、打ち過ぎた予感?」
 安友が、やや不安そうな顔つきで斜面を登って行くと、ボールは木の根元で止まっていた。しかもテイクバックを取れないような位置に止まっており、ボールの位置からグリーンのピンを見据えると、距離は約20メートルあり、安友はしゃがみ込んだ。
「参ったね~」
 安友は、気を取り直してクラブのヘッドを反対に向けると、スイングも逆にして軽く振り抜き、ボールを5メートル程、グリーンに近付けるショットで、リカバリーをした。先に打っていたグループの二人は、安友のショットを見て、目を丸くしていた。安友は、根元のボールを1メートル木から離して打つという選択肢もあったが、1打加算されるので、自分の技術に掛けたのである。
「安友さん!器用ですね~」
「良いモノ、見せてもらった。次は真似させてもらいますよ」
「参考になりましたか?」
 安友は、笑顔を浮かべながら、呟いた。
「そう簡単に、真似は出来ませんよ」
 安友は、このホールを4打のパーでしのぎ、2番ホールへと進んで行った。
 この2番ホールは、65メートルのパー4。丘を下るホールになっており、下り斜面の終わりには、Ⅾコースの5番ホールのフェアウエイに飛び込まないように、小さな1メートルほどの壁があった。しかも、その壁の下はバンカーになっており、転がって来たボールの勢いを止める緩衝材の役割を果たしていた。もし、打ち損じて、万が一壁を外してしまったら、隣のコースに飛び込んでOBになってしまう。そして、グリーンはバンカーの左斜め10メートル先に瓢箪型の立体グリーンになっていた。ここも気の抜けないホールになっており、プレイヤー泣かせの名物ホールであった。
 このグループの1番手の大川は、打席に立って、普通にスイングをすると、ボールは勢いよく転がって下り、壁にぶつかって大きくジャンプすると、隣のフェアウエイまで転がって行った。
「やってしまった…」
 大川は、次に続くプレイヤーの顔を見ながら、肩を落とした。これを見た2番手の橋本は、振りを小さくしてボールを転がし、上手く壁で跳ね返ったボールはバンカーの上で止まった。続く安友も、橋本と同じようなスイングでボールを転がすと、橋本のボール近くで止まった。そして、四番手の小杉が、同じような感覚で打つと、フェアウエイから僅かに飛び出ていた木の根っこに当たり、左横の藪の中へと転がって行ったボールはOBとなった。
「あ~、根っこにぶつかるかな~?」
 小杉の嘆きを背に、他の三人はフェアウエイを下って行った。最初にOBを打った大川が、2打目をグリーン側に寄せると、続いて小杉が藪からボールを探し出し、斜面のフェアウエイから打った。ボールは壁下のバンカーまで転がって止まった。
 そして、橋本と安友は2打目でグリーンを捉え、二人は共に3打でホールアウトした。大川と小杉は2打罰を加えて6打でホールアウトした。
 
 午後三時になり、全ての参加者がプレイを終えて、スタートハウス周辺に集まり、集められたスコアカードと集計を擦り合わせていった。
 戦いを終えた参加者達は、お互いの健闘を称えあいながら、タバコを吸う者、清涼飲料水で喉の渇きを潤す者、持ってきたお菓子を出し合って分けたりしながら、結果発表を待っていた。
 そして、午後三時半になり、大会スタッフが結果発表を始めた。
「それでは、最初に『ブービー賞』から発表します。スコア156打の三井浩二さん。辛くも2打差でビリを免れました。おめでとうございます。賞品は、北海道米5キロ一袋です」
「続いて、各コース別『ハイスコア賞』を発表します」
「Aコースの『ハイスコア賞』は、28打の出口邦雄さん。おめでとうございます。出口さんは、午前中は56打でトップを走っていました。賞品は、腰フォルダーとボール2個です」
 そして、Bコースは久住金蔵、Cコースは三国譲二、Dコースは成田純一がハイスコアを上げていた。続いて『ホールインワン賞』の発表があった。
「今年初の『ホールインワン賞』は、Aの2番ホールを沈めた、出口邦雄さんです。おめでとうございます。そして、もう一人は、Dの6番を沈めた。成田純一さんです。おめでとうございます。お二人には、ミズホのゴルフ・シューズがプレゼントされます」
 そして、次は6位から8位入賞までが発表された。
「8位は橋本郁夫さん、7位は伊藤哲男さん、6位は安友信夫さんです。おめでとうございます。賞品は、北海道米10キロ一袋になります」
 次は、4位と5位が発表された。
「続いて5位は出口邦雄さん。4位は相沢輝夫さんです。おめでとうございます。二人には、10キロと5キロの北海道米を一袋ずつプレゼント致します」
 最後は、1位から3位の発表があって大会が大きく盛り上がった。
「それでは、3位の発表をします。3位は三国譲二さん。おめでとうございます。賞品は、ミズホのクラブとサンライズ・パークゴルフ場のロゴ入りキャップとウインドブレーカー、そして、北海道米10キロ一袋です」
 参加者の中から大きなどよめきが起こった。
「あのミックが復活した!」
「飲んだくれミックの復活劇だよ~」
 三国は、どよめきの声を聞きながら、小声で「Satisfaction」を口ずさんでいた。
「続いて2位は、久住金蔵さんです。おめでとうございます。惜しくも1打差でした。賞品は、ミズホのクラブと皮手袋、そしてロゴ入りキャップとウインドブレーカーに北海道米10キロ一袋なります」
 久住は、1打差で敗れた事に、肩を落とした。
「ホールインワンで差が出たねえ~」
「キンクス残念!女に見とれてたかな~?」
 久住は、口の悪い奴らの方を睨みつけた。
「キンクスは、プレイが始まったら、女は眼中にないよ」
 三国は、久住の肩を軽く叩いて、フォローを入れた。
「それでは、今年最初の『月例大会』栄えある優勝は、成田純一さんです!スコアは114打でした。おめでとうございます。優勝賞品は、ミズホのクラブとポロシャツにパンツ。ロゴ入りキャップとウインドブレーカー。そして北海道米10キロと5キロの一袋ずつになります」
 参加者からは、商品の多さと成田の強さに、ため息が漏れた。そして、参加者全員に50位までは、ロゴ入りTシャツ、後は、ロゴ入りボールペンが配られた。
 次に、優勝した成田のスピーチが始まった。
「今年も伝統あるサンライズ・パークゴルフ場主催の『月例大会』に参加できて光栄です。ふだん私は、『福移の杜』でプレイしてますが、ここはグリーンの整備が行き届いており、いつも清々しい気持ちで練習に打ち込む事が出来ました。グリーン・キーパーさんに感謝いたします」
 岡崎は、成田の言葉を聞いて、思わず涙がこぼれ落ちそうになった。オープンして一カ月、日々のコース管理が報われた瞬間だった。三国が優勝出来なかったのは残念だったが、復活を印象付けたのは、大きかった。
 相沢は参加したメンバーを集めて、大会の総括をした。
「みんな、お疲れさん!参加した十一人のうち、五名が10位以内入賞になりました。3位のミック、4位は私、6位はヤスさんで、7位はテツさん、10位はジンさんでした」
「メンバーのトップは、ミック。復活おめでとう!」
 相沢は、にこやかに三国を称えた。すると、三国はお道化て、クラブのグリップをデニムに入れると叫んだ。
「ステッキー・フィンガー」
 メンバーは、三国の瞬間芸に笑い、それが落ち着くと再び相沢が話し始めた。
「それと、ジンさんから挨拶があります」
 井上は、蝶ネクタイに手を触れると、一呼吸おいて話し始めた。
「私からは、長年テルさんと一緒に、ここのクラブで活動をしてきましたが、よる年波には勝てず、皆さんと一緒にプレイをしても、追いつくのが大変になってきました。そこで、グループを引退する事にしました」
「ジンさん、パーク辞めるの?」
「イヤイヤ、引退と言っても、グループは抜けるけど、パークは続けます!健康維持の為です」
「それを聞いて、安心した」
 話を聞いていた吉田が、安堵の声を上げた。
「後、もう一つ報告があります」
 相沢は、軽く咳をしてから、改まった顔つきで話し始めた。
「長年、グループで一緒にプレイしていた、ケンちゃん事、大迫健一さんが認知症の為、介護老人福祉施設に入所する事が決まりました。昨日、ケンちゃんの奥さんから、私に電話がありました」
 するとメンバーの顔が曇り、重苦しい空気が辺りを包んだ。すると、おもむろに加藤が口を開いた。
「実はケンちゃん、打数が分らなくて、スコア書けなかったんだ」
「そういえば、道順忘れて迷うから、迎えに来て欲しいって、言ってたな~」
 今度は、高橋が思いついたように語った。
「確かに、予兆はあったけど、こんなに早く認知が進むとは、思っていなかったよ」
 再び加藤が、腕組みをしたまま話した。
大会の表彰セレモニーが終わると、参加者は乗って来た車で帰途に付いた。すると、三国と久住が何かを話していた。
「キンクス、来月は負けないからな!」
「ミック、やっと目覚めたねぇ」
「それから、あの人にチョッカイだすなよ!」
「お互い、抜け駆けは、無しって事で」
 このような会話が為された後、三国は車に乗り込み、大音量で「Satisfaction」を流して出ていった。続いて久住は、ワーゲンのゴルフに乗り込み、「You Really Got Me」を流しながら出て行った。
「隆ちゃん。キンクスの曲分る?何か、聴いた事あるような」
「分かるよ。キンクスというバンドの『You Really Got Me』だよ」
「どんな歌なの?」
「そうだな、『お前は、オレを夢中にさせた』という感じかな~」
「何か、イギリス流の言い回しね!アメリカだと『オンリー・ユー』って、ストレートに言うのにね?」
 さおりは、後片付けをしながらクーラーボックスから、赤い缶を取り出した。
「飲む、ブラウン・シュガー?」
「ありがとう!」
 岡崎は、赤い缶を受け取ると、それを飲みながら、設営したテントの後片付けに加わった。大会が終わり、明日からはゴールデン・ウイークのお客がやってくる。それが過ぎたら、芝生の更新作業が始まる。
 
 ゴールデン・ウイークが終わり、岡崎はコアリングの機械を整備していた。最初に芝生のコアを抜く為のタインを取り付け、フェアウエイに出て試し抜きをしてみた。機械の調子も良く、そのままAの1番ホールから順番にフェアウエイとグリーンのコアリングを始めた。間もなくして、植田が板レイキを持ってくると、フェアウエイのコアを寄せ、山本が軽トラックをコースのラフに止めると、寄せたコアを軽トラックに積み始めた。二人はスイーパーの役目をしていたが、コアが増えるにつれ、コアの集草が追い付かなくなっていった。
 そこに、安友が現れると、一緒に板レイキでコアを寄せ始めた。
「安友さん、助かった」
植田が、汗だくになって、コアリングの機械の後ろに着いて、コアを寄せていた。
「東出社長に頼まれてさ~」
 安友が慣れた手付きで、コアを板レイキで寄せていった。岡崎は、機械を止める事無く、コアリングを進め、スイーパーの三人は、汗だくになりながら、コアを集草しては軽トラックに積んでいった。この作業を36ホール続けていく。
「岡崎さん、この作業…、何日掛かりそうですか?」
 植田が訊いてきた。
「そうだな…、四日で終わりたいけど、五日は掛かると思う?」
「その後は、目砂に同じ日数が掛かるので、来週いっぱいは、この作業が続くねぇ~」
 植田は、滴る汗を拭いながら、足を止めてコアリングの機械を見つめていた。コアを抜くタインは、田植え機のように忙しくコアを抜き取り、グリーンの上を散らばしていった。
「こんなに穴さ開けて…、大丈夫かい~」
 山本が、不思議そうな顔をしながら集草したコアを軽トラックに積んでいた。
「この作業をしないと、芝が弱って枯れてくんだよ」
「半年間は、この芝の上で毎日、多くの人がプレイするので、踏まれてグリーンが固くなる!」
「言ってる事、解かるよね?」
 山本は、大きく頷くと、タバコに火を点けた。
「分かったから、一服させて…」
 岡崎は、三人を一服させながら、機械を止める事無く、コアリングを進めていった。
 
 午前八時になり、オープン時間になると、いつもの常連客が入り始めた。
「グリーンに穴が空いてるねぇ。今年も芝の更新が始まったか~」
 一番に入って来た、佐藤が穴の空いた芝生を撫でながら、持っていたボールを手で転がし、グリーンの状態を確かめた。
「思った通り、ブレーキかかるな~」
 佐藤は、打席に立つと、いつもより強めの打球を打った。そして、バンカーの手前で止まったボールに向かって、ゆっくり歩き始めた。
 岡崎は、Aの7番ホールで作業を終えると、コアリングの機械を格納庫に移動させていた。そして、植田と山本は軽トラックに乗って、集草したコアを捨て場に持って行き、安友は、板レイキを肩に担いで岡崎の後ろを歩いていた。
「岡ちゃん、ミックとキンクス、どっち勝つかな?」
「このままだと、キンクスだけど」
「月末の『月例大会』で、早ければ結果でるね~」
「ヤスさん、あの人に、話すつもり?」
「まだ、早いかな~」
「でも、いずれ話さないと、突然告白されても困るだろうねぇ~?」
「どのタイミングで、本人の耳に入れるか?少し、探りを入れてみるか」
 岡崎は、振り返って安友を見た。
「どんな探り入れるの?」
「もしかしたら、彼氏いるかも知れないし?」
「そっか、未亡人とはいえ、ヨーコさん綺麗だからねぇ」
 岡崎は、東出社長の言葉を思い出した。
「そういえば、社長が言ってたよ」
「何て?」
「私の勘だけど、男いるね!って」
「あの社長の勘は、けっこう当たるから怖いんだ!」
 岡崎は、格納庫に着くと、安友から板レイキを受け取った。
「岡ちゃん、家でシャワー浴びてから来るよ」
 安友は、タバコをふかしながら、車へと向かった。
それから岡崎は、コアリングの機械からタインを外し、詰まっているコアを取り除き、明日のコアリングに備えて整備を続けた。このタインの掃除を怠ると、コアが抜けなくなり、タインが損傷する原因にもなる。入念に筒状のタインを掃除すると、再びタインを取り付けて作業は終わった。
 岡崎は、スタートハウスに目をやると、ちょうど洋子のグループが受付をしていた。
「あら~、ヨーコさん久しぶり」
 さおりの明るい声が響いてきた。
「ゴールデン・ウイークは、来ませんでしたよねぇ~」
「私たち、洞爺湖のウインザーホテルへ行ってたの」
 洋子のグループの一人、内山恭子が、自慢そうに話した。
「立派なホテルですよねぇ~。私も行ってみたいな~」
「サオリさんは、ここのアイドルという噂だから、素敵なオジサマに頼んだら、大丈夫ですよ!」
 今度は、進藤玲子がにこやかな顔で、茶目っ気たっぷりに言い放った。
 さおりは、苦笑いしながら、ムカつきそうになっていた。
「そんな素敵なオジサマが、いなくて!」
 洋子は、そんな会話をよそに、軽く会釈をしてコースへと向かって行った。
「ヨーコさんて、ミステリアス!」
 さおりは、洋子の後ろ姿を眺めながら、不思議な感覚を覚えた。
「サオリちゃん、ヨーコさんは、どんな人?」
 岡崎が、スタートハウスの受付に来て、尋ねた。
「何か、不思議な人!よくわかんない?」
「これから、フロントに行くので、隆ちゃん受付お願い!」
 岡崎は、スタートハウスの中に入ると、ウトウトしながら椅子に座って、まどろんでいた。
「岡~、起きろ!」
 受付の前には、三国が立っており、他に安友と伊藤が笑いながら立っていた。
「岡ちゃん受付、サオリは?」
「ゴルフ練習場のフロント」
 三国は、冷えた赤い缶を岡崎の頬に着けた。
「オレのブラウン・シュガーで、目覚ましな~」
「ありがとう~」
 岡崎は、冷えた缶で眠気が引いていくのを感じた。
「三国さん!あの人来てますよ」
「そうかい、抜け駆けはしないって、約束なんだ!」
 安友は、意味深な笑いを浮かべて、三国と一緒にコースへ出て行った。岡崎は、綴った名簿ファイルを眺めながら、洋子のグループが、週二回のペースで来ている事に気が付いた。
「ミステリアスねぇ?」
 岡崎は、人の事を詮索するのが苦手だったので、安友が色々調べて教えてくれる事に期待した。今日も何かしらの情報を得るはずだと、思いながら、受付に二時間も張り付けになっていた。
「芝刈りは、皆が休憩に入る昼からにするか~」
 岡崎は、車から弁当を持ってきて、早弁をしながら、パークに来たお客の対応をしていた。
 最近は、新規客も増えてきた為、ここのコース・ルールを説明する事も多くなっていた。元々は、ゴルフ練習場のショート・コースをパークゴルフ場に改造した為、ゴルフ場のミニチュア版という趣があった。その為、他のパークゴルフ場とは違って、池が有ったり、バンカーが多かったり、植栽も至る所に有り、更に起伏に富んでおり、およそ初心者が楽しめるコースにはなっていなかった。プレイヤーが腕を上げ、平坦なコースに飽きた人が訪れる。そんな、上級者向けのコースになっていた。その為、ここの評価も二つに別れていた。初心者からは、不評を買い、上級者からは面白いコースという評価であった。
「隆ちゃん、受付ありがとう!」
 さおりがフロントから戻ってきた。
「三国さん達が来てるよ」
「ヨーコさんのグループと接近遭遇ね~」
 さおりは、何かを期待しているという顔つきで、椅子に座った。
「これからグリーンモアで芝刈るよ」
 岡崎は、スタートハウスを出て、格納庫へ向かった。空を見上げると真っ青な空に真綿のような白い雲が浮いている。そして、周りの木々も新緑で淡い緑が芽吹いている。コース内の桜も散り始め、フェアウエイのグリーンには薄いピンクの花びらが散っており、季節の移り変わりが見てとれる。
 岡崎は、携行缶の燃料を三連グリーンモアに注入すると、エンジンを始動させ、コースへと出て行った。最初にDの9番ホールから順に遡っていく感じで芝刈りは進んでいった。そして、7番ホールを刈っている時に、洋子のグループがCコースから、帰って来るところだった。
「このコース、難しいのよねぇ~」
 グループの一人、内山が不満そうに同意を求めて言った。
「でも、そこが面白いのよ!」
 今度は進藤が、内山をたしなめるように、弾んだ声で応えた。
「そうかしら?カップの位置も悪いし!」
 すると、内山は岡崎を見つけて叫んだ。
「ちょっとキーパーさん、カップの位置悪すぎですよ!」
 岡崎は、突然のクレームに驚き、返す言葉が見つからなかった。三人は、三連グリーンモアを取り囲むようにして立ち、内山が岡崎の目の前で腕組みをして立っていた。
「そんなにカップの位置、悪いですか?」
「ゼンゼン、パー取れないし!」
「そうですか?」
「どうせ、私の腕が悪いって言いたいんでしょう!」
 岡崎は、貝のようになってしまい。ただ内山のクレームを聞いていた。
そこに、Bコースをホールアウトした三国達が来た。
「岡ちゃん、何かあったの?」
 三国が、汗を拭きながら、事の真相を尋ねてきた。
「私、キーパーさんに言ったの!カップの位置が悪いって」
 内山は、悪びれる様子もなく、まくし立てていた。
「そうか~、悪いけど岡ちゃんのせいじゃないんだ」
「どういう事?」
 内山は、三国に鋭い視線を向けた。
「カップを難しく切るように、オレが岡ちゃんに頼んでるんで、責任はオレにある!」
「この人、スコア悪いから怒ってるのよ」
 進藤が、三国に向かって、事の真相を打ち明けた。
「このコースは、慣れないとスコア伸びないから~」
 今度は、安友が口を開いた。
「何だったら、コース別攻略法を伝授しますよ」
「あなた、この前Aコースで私のここにタッチしましたよね!」
 内山は、自分のお尻を指さし、興奮のボルテージが止まらなかった。
「ヤスさん!勘弁してくださいよ~」
 岡崎は安友に呆れて、泣きだしそうになっていた。
「あれは、レクチャーの流れの中で、たまたま触れてしまったのかな~?」
 安友は、誤魔化すのに必死だった。
「お詫びに!レストランでご馳走しますので、岡ちゃんとヤスを許してやってください」
 三国がキャップを取って、頭を下げた。それに続いて安友と伊藤もキャップを取り、お辞儀をした。
「それで、手打ちね!」
 内山は、怒りを納めて三国の提案に乗り、六人はレストランへ向かって行った。
「ヤバかった~」
 岡崎は胸を撫でおろし、六人の背を眺めながら、再びエンジンを始動させ作業を再開した。そこにさおりが走ってきた。
「隆ちゃん、大丈夫?」
「三国さんに助けられたよ」
「さすがミックね!あの内山って女、ヒステリー持ちね」
「あのかん高い声が、スタートハウスまで聞こえたのよ」
「そうなの?」
 岡崎は、心臓に手をやり、胸元を見つめた。
「隆ちゃん、チキンなの?」
「ノミよりは、大きいかな?」
 さおりは、岡崎の背中を叩いて笑った。
「ところで、ヨーコさん、何か話した?」
「そういえば、一言も無かったよ」
「ホントに、ミステリアスでしょう?」
 さおりは納得した様子でスタートハウスへ戻って行った。ただ、洋子はにこやかな表情で内山のクレームを聞いていたに過ぎない。心は別な方へ向いているとしか思えなかった。
「心ここにあらず~」
 岡崎は、7番ホールを刈り終えると、6番ホールへ移動した。
 レストランに移動した六人は、大人数が座れるテーブルに着き、メニューを見ていた。
「皆さん、何にしますか?お好きなモノを注文してください」
「え~と、お名前が」
「三国と言います」
「ここのお薦めは、何かしら?」
 内山が、メニューを見ながら尋ねてきた。
「ここの、かしわ蕎麦は美味しいですよ!」
 安友が答えた。
「じゃー、それにするわ!ヨーコとレーコさんも同じでいい?」
 二人は、頷いて六人全員がかしわ蕎麦を注文した。待っている間、しばらく沈黙が続いた為、三国が気を利かせて、自己紹介を始めた。
「あの~、お互いの名前を知らないので、簡単な自己紹介をさせてもらっていいですか?」
 三国は、洋子の方を見ながら口火を切った。
「まず私から、三国譲二と言います。ここの近くで、三国モータースという修理工場の~、オーナー?そんな感じです」
 続いて安友が自己紹介よりも先に、三国のプロフィールに補足説明を加えた。
「ミックは、もとい、三国さんは早くに奥さんを交通事故で亡くし、男手一つで娘を育て上げ、今は娘の婿さんが工場を継いで社長になり、悠々自適な生活を送ってます」
「ヤスさん~そこまで言わなくても」
 三国は顔を赤くして、安友の足を踏みつけた。
「因みに、奥さん募集中です!」
 三国は、更に顔を真っ赤にして、ポケットからハンカチを出し、滴る汗を拭いた。そして、安友が自己紹介をした。
「私は、安友信夫と申します。今は年金暮らしで、自由にやってます」
「ヤスさんも一人です」
 伊藤がそう言うと、安友は鋭い視線を伊藤に向けた。
「余計な事言うなよ」
 安友が、小声で呟いた。
「私は、伊藤哲男と言います。妻と二人で年金暮らしです」
 そして、洋子の番が回って来た。
「初めまして?竹田洋子と申します。二人に誘われて、ここ来ています。まだ、パークゴルフは初心者なので、教えてください。以上です!」
 続いて内山が、話し始めた。
「私は、内山恭子です。ヨーコの友人で、昨年末に夫を癌で亡くして鬱っぽくなっていたヨーコを引っ張り出してきました。コースが難しいので苦戦していますが、グリーンとロケーションが良いので、来ています」
 内山が話し終えると、最後に進藤が話し始めた。
「ちなみに、内山さんの旦那さんは、石狩市役所の偉~い人です。私は、進藤玲子と申します。実は、東出社長の友人でして、篠路の社交ダンス教室で社長を教えています」
 三国達は、顔を見合わせて、驚いた。
「社長が、ダンスねえ~?」
「玲子先生、いらっしゃい!私がダンスしたら可笑しいかい?」
 二階の事務所から東出が降りてきた。
「皆さん、お蕎麦冷めないうちにね」
「小林さん、食べ終わったらコーヒー出してね。私からの差し入れ!皆さん、ゆっくりしてって下さい」
 東出は、そう言い残すと、外に待たせてあったタクシーに乗って出かけて行った。
 六人は、一時間程レストランで食事と談笑をしながら過ごしていた。特に、安友がコース攻略の蘊蓄を面白可笑しく語った為、大いに場は盛り上がり、三国を印象付けるのにも一役買っていた。しかし、洋子は窓の外を眺めながら、ぼんやりした表情で時たま笑顔を見せては、相変わらず外を眺めていた。
 そして、昼食が終わると、三国達は再びコースに戻り、洋子達のグループは、お開きという事で、帰って行った。
「ヤスさん、オレの事、しゃべり過ぎだよ~」
「これくらいしないと、ヨーコさんにアピール出来ないよ」
 安友は、笑いながら三国の尻を叩いた。
「あなた、私のここにタッチしましたよね!」
 三国は、笑いながら内山の真似をした。
「ミック、それは内緒だから~」
 安友は、持っていたクラブで三国の首を締めた。
「ヤスさん、ブレイク!ブレイク!」
 伊藤は腹を抱えて笑いながら、二人の様子を後ろから眺めていた。
「二人とも、何じゃれてるの?」
 スタートハウスからさおりの声が響いてきた。
「ヨーコさん達は?」
「何か、用事があるとかで、帰ったよ」
 三国が答えると、さおりは意味深な笑みを浮かべた。
「ヨーコさん、ミステリアスでしょう?」
「旦那さんを癌で亡くして、鬱気味という~」
「それで未亡人という事~」
 さおりは納得した顔で三国を見た。
「キンクスとの勝負はどうするの?」
「勝負は続けるよ」
 三国は、拳を握ってからロングホーンのサインを作り、手を高く上げてコースへ歩いていった。
「ミック、大丈夫?」
「ミックよりも、ヨーコさんの方が大変そうだ」
 安友は、ため息をつくと、三国の後を追った。
「彼女、ヤスさんの話し、上の空だったよ」
「そうなの?」
「窓の外、ぼんやり眺めてばかりだったな~」
 伊藤が洋子の様子を伝えると、小走りで二人の後を追っていった。
 
 午後三時になり、岡崎が芝刈りを終えて、三連グリーンモアを洗い場に運んで行った。いつものように回転刃を洗っていると、さおりがやって来た。
「ヨーコさん、昨年、癌で旦那さんを亡くして未亡人になったみたい」
「それで未亡人ねぇ~」
 岡崎は、ブラシでタイヤに付いた草も洗い流していた。
「それで?」
「それだけ~」
 岡崎は、拍子抜けした顔で、さおりを見た。
「他には?」
「特に~」
 さおりも、困った顔で岡崎を見つめた。
「三国さんは、勝負を続けるのかな?」
「ミックは、続けるつもりよ!」
 岡崎は、水を止めてホースを片付け始めた。
「ヨーコさん、心の整理ついてないのよ」
「まだ、若いし、どうなるのかな?」
 岡崎は、三連グリーンモアに乗ると、エンジンを掛け格納庫へと向かい、さおりはスタートハウスへ戻って行った。
 
 翌朝、晴れ渡る青空の下、岡崎はコアリングの機械をAコースの8番ホールへ運び、コアリングを始めた。すると、間もなくして植田と安友が合流してスイーパーを始めると、山本が軽トラックをグリーンに横付けした。
「岡崎さん、今日は何ホールまで?」
 山本が、眠そうな顔で訊いてきた。
「そうだな?Bの6番ホールまでは行きたいね!」
 岡崎は、黙々とコアリングを続け、スイーパーの三人は汗だくになって、フェアウエイとグリーンのコアを集草していった。それから、コアリングの作業を予定通り五日で終えると、土日は作業を空け、来週の月曜日から目砂の作業を始めた。
 
 コアリングの作業が終わり、5月も半ばが過ぎると、月末の『月例大会』に向けて、再びお客の数が増えてきた。そして、大会の一週間前から久住が練習に現れた。
「サオリちゃん、ミックの調子はどうだい?」
 スタートハウスの受付に、久住が立っていた。
「ミックの調子は上々よ!」
「このまま、ストレート勝ちしたら、つまんないな~」
 相変わらずの久住の態度に、さおりはうんざりした。
「でも、次で終わりにするよ!」
「そんなに上手くいくかしら?」
 さおりは、皮肉たっぷりに言ってみた。
「オレの実力、見ただろう?」
「見てないわ!スコア表とにらめっこしてたから~」
「オモシロいねぇ~」
 久住は笑いながら、コースへ向かいながら言った。
「ミックに、惚れるなよ~」
「ジジイに興味ないわ!」
 さおりは、二人の勝負の行方よりも、洋子の様子の方が気がかりだった。夫を亡くした喪失感に浸ってるのが見て取れた。さおりも離婚してシングルマザーになり、一人で娘の子育てをしている時は、家庭を失った喪失感と不安感でメランコリックになり、地に足が着いていなかった。
「シングルになって五年か」
「棺桶に片足突っ込んだ、ジジイ共じゃね~」
「ミックは、ミニに乗ったドン・キホーテかな~?」
 さおりは、苦笑いしながらスタートハウス周辺の掃除を始めた。
「サオリちゃん、キンクス来てるんだね~」
 受付から三国の声がした。
「今日は一人で回ってるよ!」
 さおりは、ベンチ前の灰皿を拭きながら返事をした。
「一人か、珍しいな~?」
「サオリちゃん、あの人は来るかな~?」
「ど~だろう?」
 さおりは、能天気な爺い共の相手より、素敵な経済力のある四十代の男性はいないか?と、ゴルフ練習場のフロントで、気合が入っていた。しかし、現実は、四十代のお客は家庭持ちが多く、しかも遊びで誘ってくる事が多かった。
「サオリちゃん、今日は上の空だね?」
 三国は、ベンチに腰を掛け、タバコをふかしていた。
「私も、誰かいい人いないかな~?って」
「サオリには、岡がいるだろう!」
「タイプじゃないわ!」
「あのね~、サオリちゃん。好きなタイプと一緒になって、失敗したんだろ?」
「確かに、そうだけど~」
 さおりは、口を尖らせ、三国を睨んだ。
「オレは、結婚したら上手くいくかを観てるの!」
「恋愛感情は、二の次」
 さおりは、不服そうな顔を三国に見せた。
「だって、ときめきたいの!」
「それじゃ~、訊くけど、結婚してもときめいていたのか?」
 さおりは、渋い顔になり、顔を横にそむけた。
「もう、ガキじゃないんだから、きちんと家庭を築ける相手を選ばないと」
さおりは、三国の方に向き直り、言い返した。
「ミックは、ヨーコさんを幸せに出来るの?」
「オレは、そのつもりだ!あの人の、ポッカリ空いた心の隙間を埋めてみせるよ」
「その自信、どこから来るの?」
 さおりは、呆れた顔のまま空を見上げた。
「娘が結婚してから、オレの心もポッカリさ~」
 三国は、ポツリと呟くと、ベンチから立ち上がり、コースへと歩いて行った。
「ミック~」
 さおりは、明るく振る舞う三国の影を見たような気がした。
「キンクスも奥さんがいないのよね~」
「お互い、引けない戦いか~」
 さおりは、スタートハウスの中へ入ると、もの思いに耽っていた。
「隆ちゃんが旦那さん?」
「やっぱり、想像できない、無理ね!」
 岡崎は、コース整備を終えて、軽トラックに乗って格納庫へ戻って来た。そして、荷台から作業道具を下ろすと、格納庫の外にあるベンチに座り、ペットボトルの水を飲んでいた。
 岡崎は、月末の『月例大会』に向けて、コース整備に余念がなかった。五月は季節の中でも一段と緑が美しく、スタートハウスの池側では、ツツジが満開に咲き誇り、お客沙織おり足を止めて、眺める事もしばしあった。そして、スタートハウスのさおり元へ行った。
「サオリちゃん、久住さんが一人でプレイしてたよ」
「ミックも来たわよ」
 さおりは、名簿を見つめたまま、素っ気なく答えた。
「隆ちゃん~」
 さおりは、顔を上げると意味深な笑顔を浮かべて、岡崎を呼んだ。
「なに?」
「私と結婚する?」
 岡崎は、あっ気に取られたまま、大きく目を見開いた。
「えっ~、?」
 頭の中が真っ白になり、岡崎の思考は固まった。
「気にしないで、訊いただけ!本気にしなでねぇ~」
 さおりの言葉に、岡崎は正気にもどり、肩から力が抜けていった。
「あ~、驚いた」
「からかうの、好きだねえ~」
 岡崎は、気を取り直して、格納庫へ戻ろうとした。
「隆ちゃん、用事あったんでしょう?」
「今ので、すっかり忘れたよ~、思い出したら、また来る」
 さおりは、今まで岡崎の存在を眼中に置いていなかった。しかし、三国の一言でほんの少し眼中へ入ってきた。
「仕事が真面目で、しっかりしてるけど、ときめかない!」
「ときめかない!ときめかない!ときめかない?」
「きちんと家庭を築ける相手か~」
「ミックやキンクスのように、危険な匂いがしないのよね~」
「絶対、モノにする!という気迫?みたいな~」
 さおりのとりとめのない妄想が、なおも続いた。
「隆ちゃんは、優しさは〇、真面目さも〇、経済力は?、ワイルド感は✕ね!」
「ミックは、優しさは△、真面目さは✕、経済力は〇、ワイルド感は◎って、ところね~」
「キンクスの方は、優しさは✕、デリカシーがない。真面目さは✕、ナンパ師だし。経済力は?まだ聞いてないし、興味もない。ワイルド感は◎ね。危険な匂いがプンプンする!」
 さおりは、ふと疑問が湧いてきた。
「この4項目で、男を選んでいいのかな?」
 そんな所へ、相沢が久しぶりにやって来た。
「サオリちゃん、おはよう!誰か来てる?」
「ミックと、キンクスも来てるよ!」
「テルさん、ちょっと訊いていい?」
「何かな?」
「あの~、結婚相手に良い男性って、どんな感じ?」
「いきなりだね~」
 相沢は、驚いた様子を見せながら、的確なアドバイスを送った。
「ウソをつかない、裏切らない、約束は守る、以上!」
 さおりは、あまりの明快な即答に、言葉を失った。
「あたしの男を見る目って、ガキレベルって事ね!」
 相沢の後ろには、安友が立っており、話しを聞いていた。
「サオリちゃん、気になる人でもいるの?」
「ヤスさんには、教えない~」
「水臭いな~」
「だって、すぐ広がるから!」
 安友は、頭を掻きながら、相沢の後を付いていった。
「ウソを付かない、裏切らない、約束を守る!」
「離婚した旦那は、ウソがばれる、裏切ってばかり、守れない約束ばっかりだったな~」
 さおりは、高校を卒業してすぐに野球部の先輩と結婚していた。その先輩は、エースピッチャーで女子の人気が高く、マネージャーをしていたさおりは、その立場を利用して先輩と仲良くなることが出来た。しかし、その時は既に複数と付き合っており、その中を勝ち抜いて彼女の座を射止めたのであった。その先輩は、人当たりの良さもあって、教頭先生の口利きで、首尾よく札幌市役所に入っていた。その市役所の野球チームのエースとしても活躍していたので、モテモテであった事は、結婚後に分かった。さおりはファッション系の専門学校への進学が決まっていたが、卒業式を前に妊娠が発覚、そして、専門学校の夏休み中に中退して秋に出産して入籍するという過去があった。
「旦那は、五年も職場に結婚を伏せており、残業と称して遊び歩いていた」
 さおりは、自分の過去を振り返り、気が重くなった。
「それがあたしにバレて、四歳の娘を抱えて離婚。その娘も、来年は成人式か~」
 さおりは椅子の背にもたれ、娘の為に必死に生きてきた自分を褒めたい気分になっていた。
「サオリちゃん、ファイト!」
 気を取り直して、受付に来るお客の接客をしていると、Bコースを終えた久住が、受付に寄った。
「あの人は、来てるかい?」
「ヨーコさん、最近見えないけど」
「実に素敵な人だ、そう思うだろう?」
 さおりは、素っ気なく言い放った。
「何も知らないクセに!」
「何も知らなくても、彼女の切ない思いは、オレには分る」
「どういう事?」
「あの人を見てると、以前の自分が見えるんだよ」
「はて、?」
 さおりは、意味が解らなかった。
「知ってると思うけど、オレは十年前に乳ガンで女房を亡くしてる。なんか、太陽が沈んで月も出ない『Starless』な世界が続いたんだよ!」
 さおりは、急に涙が溢れそうになり、椅子を回して後ろを向いた。
「漆黒の闇が、いつまでも続いていた」
 久住は、そう言い残して、Cコースへと向かっていった。
「キンクス…」
 さおりは、孤独を抱えて生きているのは、自分だけではないと、思った。
「サオリちゃん、どうしたの?」
「久住さんに、何か言われた?」
 受付の前に、岡崎が立っていた。
「ちょっと、目にゴミが入っただけ…」
 さおりは、直ぐに笑顔を作って、テッシュで目元を拭った。
「隆ちゃん、何かあった?」
「思い出したんだ…」
「何を?」
「これ見て」
 岡崎は、封筒からチケットを取り出した。そのチケットは、さおりの好きな『エグザイル』の札幌ドーム公演であった。チケットには、『AMAZING WORLD in 札幌ドーム』と印刷されていた。
「それ、どうしたの?」
「当ったんだよね~」
「でも、あんまり興味ないし…」
「それ、私に?」
「行くだろう?」
「隆ちゃんと一緒に?」
「オレは、興味ないから~」
 岡崎は、さおりに封筒を渡すと、格納庫へ再び戻って行った。
「相変わらず、不器用ね~」
「なんか気の利いた事、言えないのかしら?」
 さおりは、落ち込んだ心に光が射したような気持になった。
「そういえば、隆ちゃんが一人の理由って、何だろう?」
 さおりは、岡崎に対して恋愛感情が無かったので、気にもとめていなかった。しかし、人の優しさに触れると、どんな人か興味が湧いてくるのは、今までに無かった不思議な感情であった。
「今度、訊いてみようかな、教えてくれるかな?」
 さおりは、心地よい風を感じながら、チケットを眺めていた。しばらくすると、三国と相沢、安友の三人がBコースから戻ってきた。
「みんな、お疲れ様!」
「サオリちゃん、いい人出来たんだって?」
 三国が、冷やかすように、訊いてきた。
「もう、ヤスさん、適当な事言わないでよ!」
「テルさんとの話を総合すると、結論は候補が居るという事になるんだけどな~」
 安友は、バツが悪そうに取り繕っていた。
「サオリちゃん、家庭をしっかり守ってくれる男が、いい男なんだよ!」
 相沢の一言が、さおりの心に重く響いた。
「誰か? 守ってくれる人、いないかな~」
 安友が、自分の方を指さし、アピールをしてきた。
「ヤスさん、ゴメン! タイプじゃないから~」
 三国が、大声で笑い、口ずさんだ。
「She comes and goes. Good by Ruby Tuesday ~」
※(The Rolling Stones:Ruby Tuesday)
「ミック、今日は月曜日よ!」
 今度は、相沢が楽しそうに笑っていた。
「懐かしい曲だね。これが流行ってた時、ビートルズと勘違いしてたんだ」
 相沢も、三国とハモルように続いた。
「Why she needs to be so free…」
 さおりは、この爺い共の、調子っ外れのハーモニーを聴きながら、心が和んでいた。
「ミック、どんな歌なの?」
「さよなら、ルビー・チューズデイ。僕は、君が居ないと寂しいよ~」
「センチな曲だよ」
 相沢は、珍しく遠くを見つめるような目で、ポツリと言った。
「テルさん、奥さんは?」
「元気いっぱいだよ~」
 相沢は、にこりと笑うと、Cコースへ向かって歩き始めた。その後を、三国と安友が鼻歌交じりで、着いて行った。
 さおりは、封筒の中からチケットを取り出すと、誰と行こうか?思案を始めた。
「公演は六月五日の火曜日、『月例大会』が終わってすぐね!」
「時間は、午後五時開演」
 さおりは携帯電話で、友人に電話を掛けると、平日なので行くのは無理と、ことごとく断られていた。
「私、一人で行くの?」
「娘と行くとするか」
 さおりは自宅に帰ると、娘の薫にチケットを見せた。
「カオル、一緒に行かない?」
「チケット、どうしたの?」
「会社の同僚から、いただいたの~」
「その日は、予定入ってるから無理!」
 薫は、洗面所の鏡に向かって、化粧を落としていた。
「じゃ~、一人で行けって言うの?」
「お母さん、そのチケットくれた人と行ったら?」
「別に、彼氏じゃないし!」
「あれっ、彼氏いたっけ?」
 さおりは、膨れっ面をしながら、薫の顔を睨んだ。
「じゃ~、チケット返したら?」
「せっかく、くれたのに、返すのは失礼よ!」
「もう、好きにしたら!」
 薫は、タオルを首に掛けてバスルームへと消えていった。さおりは、チケットを見ながら、頭を抱えた。
「誰かいないかな?」
 さおりは、携帯番号をスクロールしながら、ゴルフ練習場に来る常連の新谷に電話をした。
「新谷さん、さおりです。六月五日の夜なんですけど~。コンサート・チケットがあるので、一緒にどうですか?」
「ありがとう。お誘い嬉しいけど、夜は厳しいな」
 新谷は、コンビニのオーナー社長をしていたが、経費節減の為、夜のパートを削減して新谷が店に立っていた。
「そうでしたか~」
 さおりは、残念な思いを抱きながら、チケットを岡崎に返すかどうか、保留する事にした。
「やっぱり、隆ちゃんと行くしかないのかな?」
 
 五月の『月例大会』を迎え、今回は百名を超える参加者が、腕を競って白熱の大会が繰り広げられた。今回も先回優勝した『福移の杜』の成田が、2連覇を掛けて終始大会をリードする形で進んでいった。そこに、相沢、三国、久住の三人が絡む展開になり、最後のコースで雌雄を決する戦いとなっていた。
 最終的には、小樽から来ていた、『小樽グリーンパーク』の新鋭と呼ばれている清水孝が112打で混戦を制して優勝を飾った。因みに、2位は相沢の114打、3位は成田の115打で、三国と久住は117打のドローでお互い4位という結果になっていた。
「ミック、後が無くなったわね?」
 さおりが帰る支度をしていた三国に声を掛けた。
「来月勝って、ドローに持ち込んで、タイマン勝負。これしかないよ」
「勝算は、あるの?」
「勝算もなにも、勝つ以外にないよ」
 三国は、思ったよりサバサバした様子で、さおりの心配をよそに、鼻歌交じりで車に乗り込み帰っていった。
「テルさんお疲れ様~、惜しかったねぇ…」
「惜しいと言っても、2打も離されたしな~」
 相沢は、少し悔しさを滲ませながら、両手に抱えた商品を持って車に乗り込み、帰っていった。その後、さおりはスタートハウスの中を片付けていた。外では、岡崎がテントの撤収作業に汗を流しており、作業がひと段落した頃合いを見て、さおりはクーラーボックスからペットボトルを取り出した。
「隆ちゃん、お疲れさま~」
 さおりは持っていたペットボトルの水を岡崎に手渡した。
「ありがとう…」
 岡崎は、滴る汗をタオルで拭い、ペットボトルの水をほとんど飲み干した。
「水が一番だね!」
 岡崎は、ベンチに腰を下ろし、空を見上げて涼んでいた。
「隆ちゃん、来週の火曜日のコンサートだけど、乗せてってね!」
 岡崎は、驚いた様子でさおりを見た。
「オレ、運転手で送り迎えするの?」
 今度は、さおりの方が驚いた。
「そうじゃなくて、隆ちゃんも一緒に観るの!」
「えっ、オレも一緒に観るの?」
「当たり前よ、私を誘ったんだから、当然でしょう!」
「そうだったかな?」
 岡崎は、事態が把握できず、去っていくさおりの後姿をいつまでも眺めていた。
「女性と出掛けるなんて、何十年ぶりだろうか?」
 岡崎は、妻と別れて二十年近い月日が流れていた。その間、苦しい生活が続いたため、女性との縁もなく、殺伐とした時間だけが過ぎていた。
「行くのはいいけど、どんな格好で行ったら好いんだろう?」
 岡崎は、別な意味で途方に暮れていた。

 翌朝、岡崎はコースに散布する殺虫剤の準備をしていた。軽トラックの荷台に500リットル入るポリタンクを積み、散布機のポンプやノズル、薬剤を積んでから水場に寄り、タンクを満タンにした。この殺虫剤の散布を怠ると、芝生の根が害虫の幼虫に食い荒らされて芝生が枯れたり、更に害虫が大量発生する等、被害が甚大になるので大切な作業になっていた。
 岡崎は、山本に軽トラックの運転をさせ、植田にはノズルのホースを持たせ、各ホールを手際よく薬剤を散布して回った。この作業を怠った事が一度あり、翌年は害虫の大量発生と、この幼虫を狙って、カラスが芝生を突いて掘り起こす被害が同時に起こっていた。その為、芝生を張り替える騒ぎになった事があった。本当に泣きたくなるような経験をしているので、手の抜けない作業になっていた。
 薬剤散布の作業が終わり、岡崎は水場でタンクの中を洗浄したり、ホースやノズルを水洗いして後片付けをしていた。そこにさおりが現れた。
「隆ちゃん、火曜日の件だけど」
「やっぱり、行くんだよね?」
「あたしと行くのは、嫌なの?」
「そんな、お供します!」
 岡崎は、しゃきっとした姿勢で答えた。
「サオリちゃん、どんな格好で行ったらいいのかな?」
「札幌ドームだし、ラフな格好で行くつもりよ」
「ラフな格好でいいんだ?」
「じゃ~、スーツでも着る?」
 岡崎は、両手でバッテンを作り、首を横に振った。
「コンサートか、いつ以来だろう?」
「あたしも、札幌ドームのコンサートは久しぶりよ」
 さおりは、ニコニコしながら、楽しそうに話していた。
 
 コンサート当日になり、仕事を終えた岡崎は、いったん自宅に戻るとシャワーを浴びて汗を流し、チノパンツにTシャツ、その上にパーカーというスタイルでゴルフ練習場に戻り、さおりを乗せて、札幌ドームへと向かった。車の中では、さおりは『エグザイル』のCDをバッグから取り出すと、カーステレオに入れ、既にノリノリではしゃいでいた。
 岡崎は、さおりの楽しそうな様子を見て、それだけで満足だった。札幌ドームに着くと、駐車場に車を泊めて、誘導員の指示に従って会場の中に入った。会場は、既に異様な熱気に包まれており、岡崎は圧倒されていた。周りは、若い人から年配までと、幅広いファン層でごった返しており、気後れしながら通路を歩いていると、いつのまにかさおりは、岡崎の腕を掴んで、引っ張って行った。
「隆ちゃん、こっちよ」
 しまいには、右腕をさおりの脇にガッチリ抱えられて目的の席まで連れていかれた。席はライト側中段の席で、ステージからは距離が有った為、たぶんセンタースクリーンで観るのがメインになりそうな予感がした。
「ステージまで、けっこう遠いねぇ~」
「そうだね!」
 さおりは楽しそうに、どんなセットリストが組まれているかを、私見を述べながら、いつになく饒舌であった。
「隆ちゃんは、どんな曲を聴きたい?」
「何でも、来いって感じ!」
「何それ?」
 さおりは、呆れた顔をしながら笑っていた。そんな風に頓珍漢なやり取りをしている間に、一時間が過ぎ、開演の時間となった。ドームの照明が落ち、スモークが会場に立ち込めると、大音響と共に照明に照らされたメンバーの姿が浮かび上がった。そして、オープニング・ナンバーの「AMAZING WORLD」で幕が上がり、3曲目の「DANCE INTO FANTASY」で観客のボルテージに火が点いた。
 会場は、大きく盛り上がり、歓喜と悲鳴が混じる中、鼓膜に受ける観客のテンションが、尋常ではなかった。岡崎は、いきなり異次元の世界に放り込まれたような感覚に陥っていた。地鳴りのように響き渡る、重低音の効いた楽曲に、点滅する照明やメンバーのパフォーマンスに合わせた客のノリに、すっかり飲み込まれ、酔いしれるというよりは、悪酔いで酩酊状態にあるような感覚に襲われた。
「何か、吐きそう~」
 となりで、さおりはノリノリで絶叫している。普段のさおりからは想像できない、テンションの高さに、圧倒されていた。こんな状態が二時間半も続き、岡崎は顔面蒼白になっていた。そして、息をするのも苦しい位に、酸素欠乏症の重症患者みたいな顔で、ぐったりとなっていた。
「隆ちゃん、顔色悪いけど、大丈夫?」
「もう、終わりそう?」
「今、エンディングで、アンコールが終わったら最後よ!」
「そうかい、好かった~」
 岡崎は、早くこの喧騒から解放される事を願っていた。二十代の頃にライブハウスで聴いたロックの熱狂が蘇っていた。あの頃は、自分も若かった。    今は、その時の倍の年齢になっている。
「マジで、吐きそう!」
 岡崎は、下を向いたまま、嵐のような熱狂の渦が過ぎ去るのを待っていた。そして、背中をさすられて、我に返った。
「本当に、大丈夫?」
「ありがとう、だいぶ楽になったよ」
 さおりが心配そうに、岡崎の顔を覗き込んでいた。そして、周りを見渡すと、興奮した客のざわめきが残っており、会場も混沌としている。しかも、花火が上がったらしく、火薬の匂いも充満しており、白い煙がドーム全体を包み込んでいた。その上、爆発音で耳も遠くなり、さおりの声も聞きとり辛くかった。
「サオリちゃん!何か、耳が遠くて聞えない~」
 さおりが何かを話しているが、周囲の雑音にかき消され、意味が分からなかった。すると、さおりは席を立って、岡崎の手を引っ張り、会場から通路に出てきた。案の定、通路は人でいっぱいになっており、この人の波を掻き分けながら、やっとの思いで、駐車場に辿り着いた。二人は、車に乗り込むと、しばらく放心状態になっていた。三十分ほど、車の中にいると、周囲の車が次々に出て行き、出口の混雑も解消されていた。
「凄かったねぇ~」
「まだ、興奮してる!」
 岡崎は、遠くの方から声を聞いているような感覚で、さおりと話しをしていた。
「隆ちゃん、顔色戻ってきた~」
「顔色?」
「さっきまで、顔面蒼白だったのよ!」
「熱気に押されて、酸欠になってた」
「運転できそう?」
 岡崎は、にっこりと頷き、車のエンジンを掛け、駐車場を後にした。
「お腹すいたね~」
 さおりは、お腹をさすって、空腹をアピールをしてきた。岡崎は、国道36号線を札幌の中心部へ向かって走っていた。車は月寒中央通りを抜け、環状通りを過ぎるとレストランや回転寿司、ファストフード店などが並んでいる。
「どこにする?」
「隆ちゃんに任せる」
 さおりは、再びCDを聴きながら、コンサートの熱狂を追体験していた。岡崎は、目に付いたラーメン屋に車を入れると、二人は店に入って行った。時計を見ると、午後八時半を回っており、店内は客もまばらで、店のスタッフも暇そうにしていた。
「いらっしゃい!」
 店主の元気な声が聞こえ、岡崎は自分の耳の状態が戻ってきた事を感じた。
「サオリちゃん、何食べる?」
「チャーシュー麵の味噌で、大盛!」
 そして、岡崎は、普通の味噌ラーメンを注文した。ラーメンは、五分ほどで出てきた。丼から上がる湯気と香ばしい味噌の香りが、食欲をそそり、さおりはあっという間に大盛を平らげ、更にミニチャーハンを注文した。
「凄い、食欲だねぇ~」
 岡崎は、かおりの食欲に驚いていた。
「だって、あれだけ叫んでたら、お腹減るよう~」
「そうだよな」
「サオリちゃん、ストレス発散になったかい?」
「たまには、必要よね~」
 二人は、ラーメン屋を後にして、帰途に着いた。岡崎は、ススキノの手前を流れる創成川を右折して川沿いを暫く走り、そのまま石狩街道を北上して、ゴルフ練習場に着いた。さおりは、自分の車に乗り込む前に、岡崎に手を振っていた。
「さおりちゃん、コンサート会場の熱気で、死ぬかと思ったよ」
 岡崎は、曲の印象よりも熱狂の坩堝とかしたドーム会場が、巨大な騒音の塊となり座席に座っている事が、苦痛で仕方がなかった。
「まだ、耳の奥で残響が響いている」
 
 翌朝、岡崎は二日酔いの気分でコース整備をしていた。
「岡崎さん、昨日飲んだんですか?」
「匂う?」
 植田が、心配そうに聞いてきた。
「体調悪そうなので、格納庫でゆっくりしてて下さい!」
 岡崎は、植田の申し出に感謝して、格納庫のベンチでぐったりしていた。そして、午前七時半を過ぎると、さおりが栄養ドリンクを持ってやって来た。
「隆ちゃん、おはよう!まだ疲れが取れてないみたいね?」
「これ飲んで!」
 さおりは、元気いっぱいで、岡崎とは対照的だった。
「今度は、クラシックのコンサートにする?」
「あたしは、行かないけど」
 さおりは、そう言い残すと、スタートハウスへ向かって行った。岡崎は、冴えない頭の中で、三国と久住の戦いに意識が向いていた。
「何か、力になれないかな?」
 必死に考えてはみたが、これといった案が浮かばないまま、パークのオープン時間になっていた。そして、午前九時を過ぎた頃に、三国がやって来た。助手席の方から、就学前の孫とおぼしき男の子が、降りてきた。
「ミックおはよう!」
「あら~、お孫さん?」
「娘が、出掛けるから、見てくれって」
 三国は、しぶしぶ連れて来た感じではあったが、可愛い孫には、相好を崩していた。
「ぼく、お名前は~?」
「この、おば~、お姉さんに言ってごらん!」
 一瞬、さおりの目が、三国を鋭く刺した。
「シュ~、シュートって言うの、四歳だよ!」
「シュート?」
「修人って、書くんだ…」
 三国は、さおりから渡されたメモ用紙に名前えを書いてみせた。
「へえ~、カッコイイ名前ねぇ」
「将来は、サッカー選手かな?」
「イングランドの一部リーグに行く選手になったら、オレも鼻が高いな~」
「そこまで生きていたらの、話しだけど!」
「サオリちゃん、言うねぇ~」
 三国は、孫の手を引きながらコースへ歩いて行くと、打席に立たせた孫に、短い子供用のクラブを手渡した。やはり四歳の子供には長くて、上手くスイングが出来ず、ボールに当てるのが精一杯だった。それでも孫は、面白そうに何度もボールを叩いては、ボールを転がし、はしゃぎながらカップインをした。三国は、その度に大声を上げ、孫を褒め千切っていた。
「完全に、爺になってる」
 さおりは、三国を見ながら、呟いた。
「あたしにも、孫が出来たら、あんな風かな~?」
「そういえば、子供がいたから成人式にも出れなかったな~」
 さおりは、みんなが青春を謳歌している頃、子育てに追われていた為、娘の顔を見ながら、恨めしく思った事を思い出した。
「あたしの青春はこれから、これから~」
「白馬に乗った王子様よ、早く来たれ!」
 そこに、三連グリーンモアに乗った岡崎が現れた。
「王子様って、誰の事?」
「隆ちゃんには、関係ないから~」
「さっきは、ありがとう!元気が出て来たよ」
 岡崎の顔色も良くなり、いつもの日焼けした顔に精気が戻っていた。
「まだ、耳の鼓膜が変なんだ」
「あたしも同じよ。でも、久しぶりに興奮したから~」
 さおりは、岡崎に尋ねた。
「隆ちゃん、結婚は?」
「もう、無理かな~」
「どうして?」
「出会いも無いし、生活もカツカツ~」
 岡崎は、諦めた素振りで、両手を半分上げて「バンザイ」と呟いた。
「じゃ~、どうして別れたの?」
「あの頃は、住宅の営業マンをしてて、毎日帰りも遅かったし、ろくに相手もしてなかったんだ。そしたら妻は、浮気しててねぇ~」
「ゴメン!嫌な事、思い出させてしまって!」
 さおりは、両手を併せて、申し訳ないという仕草をした。
「妻とは、見合い結婚だったから、あんまり未練もなくて」
 岡崎は、寂しい顔を一瞬見せて、空を見上げた。
「風の便りで、一年ほどしたら、そいつと再婚したって聞いたから、ホッとしたんだ」
「恨んでないの?」
「オレの責任だからね~。逆に感謝してるよ」
 岡崎は、さばさばした表情でさおりを見つめた。
「あたしは、まだ恨んでるみたい」
 さおりは、逆に曇った顔で、遠くを見つめた。
「サオリちゃんは明るいから、いい人見つかるよ」
 岡崎は、そう言い残すと、三連グリーンモアでコースへ出て行った。その後、久しぶりに洋子のグループが顔を出していた。
「あら~、ヨーコさん久しぶり!」
 すると玲子先生が、口を開いた。
「実は、私のダンス教室で、社交ダンスに夢中だったの!」
「東出社長も?」
「そう、一緒にレッスンしてたのよ~」
 洋子は、ニコニコしながら、玲子の話を聞いていた。
「ヨーコは、ダンスの筋がいいから、教えていても楽しいのよ。今度、サオリさんも、社長と一緒にいらしてください!」
「それでは、お言葉に甘えて、社長と一緒に~」
 さおりは、社交ダンスに興味は無かったが、洋子には興味があったので、社長と行ってみる事にした。
 洋子達のグループがAコースに出て、2番ホールでプレイをしている時に、三国が孫を抱っこして戻って来た。途中、洋子のグループに遭遇した三国は、孫を下ろして談笑してから、スタートハウスへ戻って来た。
「ミックお帰り、もう帰るの?」
「娘から連絡来たんだ!」
「ヨーコさんと話せた?」
「孫に、チョコレートくれたよ。前より明るくなってたんで、ビックリしたな~」
 さおりは、チョコレートを握っている孫の手を見た。
「ヨーコさん、玲子先生のダンス教室に通ってるみたい」
「ダンスか~」
「ミックも踊る?」
「オレはロックンロール、オンリーよ!」
 三国は、再び孫を抱きあげると、車の方へ向かった。
「シュートくん、さよなら~」
 三国は振り返って手を振ると、好々爺の顔になっていた。
 
 午後になり、さおりは休憩を取った後、ゴルフ練習場のフロントに立って、次々に来る常連客の対応をしながら、忙しく仕事をこなしていた。そして、午後三時を過ぎた頃、東出が事務所の二階から下りて来た。
「客の入りはどうだい?」
「まあまあです!」
「何だい、そのまあまあって?」
「数字で答えるんだよ!しっかりしておくれよ~」
 東出は、厳しい口調でさおりをたしなめた。そして、到着したばかりのタクシーに乗って出掛けて行った。
「しくじった~」
 さおりは、小さくため息をつくと、フロントの名簿に目をやった。そして、客入りと一緒に打球の数も調べ、客単価が低い事を先月の売り上げ表から確認した。
「サオリさん、今日は機嫌が悪いのよ」
「何かあったの?」
「店の売上が落ちてるって」
 同僚の尾崎しおりが、小声で教えてくれた。
「何か、いい方法ないかしら?」
 さおりは、尾崎に向き直って、腕組みをした。
「サオリちゃん、今日はフロント」
 振り返ると、ゴルフバッグを床に置いた新谷が立っていた。
「昨日は行けなくて、ゴメン!」
 尾崎は、首を傾けてさおりの方を見た。
「娘と行ってきたの~」
「楽しかった?」
「もう、最高だった!」
「どこ、行ってきたの?」
 尾崎は、訝し気に聞いてきた。
「昨日、エグザイルのコンサートがあって」
「そうなの?」
 尾崎は関心なさそうに、空いている打席を確認してから、打席ボードを新谷に渡した。
「確か、しおりはプロレスだったよね~」
「そう、年末は新日の『G1クライマックス』を観に行くの」
「オレは、テレビで十分だよ」
「カズチカの『レインメーカー』は最高よ!」
 新谷は、尾崎を見つめながら言った。
「しおり、レスラーに転向したら?ガタイもいいし、向いてるよ」
「勘弁してよ~」
 尾崎は、ムッとした表情で、「早く行け!」と手で合図した。さおりは、新谷に誘われて、数回飲みにお付き合いした事があった。その為、同僚から不倫を噂され、困った事もあった。
「サオリさん、まだ飲みに行ってるの?」
「最近は断ってるから。前に、社長から不倫してるのか?って聞かれて、本当に驚いたわ!」
「あの社長は、ストレートだからねぇ~」
 尾崎は、気の毒そうな顔をしてみせた。
「ところで、しおりさん結婚は?」
「実は、自衛隊の彼氏がいるけど、パッとしないのよ~」
 尾崎は、口をへの字にして、さおりを見た。
「最近、父親が会社を継げって言うから、手伝いにも行ってるの」
 尾崎の父親は、輸入雑貨業を営んでいたので、頻繁に外国へ買い付けに行っていた。その為、彼女も買い付けに同行する事があった。
「彼氏は紹介したの?」
 さおりは、心配そうに尾崎を見た。
「一度合わせたけど、『使えんな~』って!」
「ダメ出し?」
 さおりは、ため息をついた。
「私って、ダメンズに縁があるみたい」
 二人は、雑談しながらフロント業務をこなしていたが、午後五時前になり、夜勤のメンバーが出勤してきた為、帰り支度をして退社した。夜の営業は、午前0時まであるので、夜勤だけは、固定されていた。夜来る客も、殆どが常連客なので、フロントも客の振る舞い知っているので、その方が都合は良かった。
 
 六月のパークゴルフ場の特別な作業は、殺虫剤の撒布と、顆粒状の肥料を専用の機械で散布して廻る事だった。その後は、芝の生育や雑早の伸びが早まるので、とにかく素早く刈る必要があった。特にたんぽぽは厄介なので、専用の薬剤をピンポイントで散布して対処した。
 そんな、六月の上旬が終わる頃、パークゴルフ場に訃報が飛び込んできた。午前八時前に、ゴルフ練習場のフロントの前で厳しい顔をした相沢の姿があった。
「テルさん、何かあったのかい?」
 二階の事務所から東出が降りてきた。
「元メンバーの佐藤和也が亡くなった!」
 東出は、記憶を辿るように、目を細めた。
「あの、心臓が悪くてメンバーを抜けた人だね」
「五月の中頃から、札幌医科大学に入院してたんだけど」
 相沢は、残念そうな口ぶりで経緯を話した。
「昨晩、眠るように息を引き取ったと、今朝、奥さんから連絡があったよ」
 相沢の絞り出すような声は、かすれていた。
「それで、葬儀は?」
「これから自宅へ行って、段取りしてくるよ」
 相沢は、それだけ伝えるとゴルフ練習場を後にした。
 そのやり取りをフロントで聞いていたさおりは、直ぐにスタートハウスへ行き、受付をしていた岡崎に伝えた。
「佐藤さん、最近見えないと思ったら、入院してたんだ」
「そうなの」
 さおりは、沈痛な面持ちで名簿のページをめくっては、大きなため息をついた。
「実は、ゴールデン・ウイークが終わってから、来てないのよねぇ~」
 さおりは、佐藤が書いた名前を指で擦っていた。
「それで、通夜と葬儀は?」
 岡崎は、気持ちの沈んでいるさおりに尋ねた。
「今、テルさんが段取りに向かってる」
 そして、さおりはカレンダーを見ながら呟いた。
「今日は友引よ。たぶん明日が通夜で、明後日が葬儀になりそうねぇ~」
 その後、メンバーには、さおりの口から佐藤の訃報が伝えられていった。そして、通夜と葬儀は、花川北の「龍徳寺」で行われた。喪主は奥さんの道子さんで、葬儀委員長は相沢が務めた。通夜には、現メンバーが出席し、岡崎やさおりの姿もあった。お堂には、「㈱相沢建設」「㈲三国モータース」「㈱サンライズ・ゴルフプラザ」「パークゴルフ・メンバー一同」と書かれた花輪が並び、駆け付けた参列者が焼香をしながら、故人の生前を小声で話す姿が見受けられた。
「隆ちゃん、何かあっけなかったねぇ~」
「ヤスさんとか、ミックも目真っ赤にしてたし」
 そして、さおりの目も赤く、時おり鼻をすすっては、テッシュで鼻を押さえていた。通夜は、相沢の司会の元、滞りなく進み、一時間ほどで終わった。
「仲間が減ってくのは辛いよな~」
 岡崎は寺を出た後、空に浮かぶ半月を見ながら外の風に当たり、込み上げる涙を拭いながら、車で帰途についた。
 
 数日後、岡崎は澄んだ空気の中、眠い目を擦りながら作業を行っていた。軽トラックにフライングモアや刈り払機を積み、三連グリーンモアでは刈れない斜面を手際よく刈って行った。その後の集草を山本と植田が荷台に積んでいく作業が続いた。
 今朝は、Cコースの4番ホールをフライングモアで刈っていた。隣の敷地とは段差があり、高さ1メートル半の則斜面を最初にフライングモアで刈ってから、仕上げは刈り払機で上下の刈り残した部分を刈っていった。この則斜面を刈らないと、雑草が伸びすぎて、斜面を利用した打球を打てなくなるので、客からは「早く刈って欲しい」という要望が定期的に入っていた。
 常連客からは、コース状態の良し悪しの情報が入るので、岡崎は、その情報を基に刈る順序を調整しながら、パークゴルフ場全体の整備が均等になるように配慮していた。常連客の厳しい目が、岡崎の作業の精度を上げていた。
「岡ちゃん、相談があるんだ」
 三国が、缶コーヒーを持って立っていた。
「三国さん、こんなに早く、どうしたんですか?」
 三国が手招きをするので、岡崎は作業を止めて、三国の方へ歩いて行った。
「折り入って、頼みがあるんだ」
 三国は、小声で周囲を見渡しながら、話した。
「頼みって、何ですか?」
「月末の『月例大会』がキンクスとの三番勝負の最後になる」
「非常に不利な状況ですよね」
 三国は、一呼吸置いてから、話し始めた。
「そこで、お願いなんだが」
「はい!」
 岡崎は、三国の目を見ながら次の言葉を待った。
「カップの位置をもっと厳しい位置に切って欲しい」
 三国は、そう言うと、持っていた缶コーヒーを飲み干した。
「厳しく切ったら、三国さんも厳しくなりますよ」
「分かってる。賭けなんだ!」
「それで、いつカップの切り替えを?」
「大会の前日と、当日の朝にやって欲しい」
 三国の真剣な目に、岡崎は圧倒された。
「分かりました。場所のリクエストはありますか?」
 岡崎は、出来るだけ三国の要望を聞いて、応援したいと思った。
「そうだな~、Aコースは2番・3番、それと7番・9番。Bコースは、1番・3番に4番・8番。Cコースは2番・4番に6番・8番。Dコースは、2番・3番に6番・9番」
 岡崎は、各ホールの特徴を把握していたので、このホールのカップの位置を厳しくしたら、大幅にスコアが落ちるのは目に見えていた。
「三国さん、いいんですか?」
「岡ちゃん、やってくれよ!」
 二人は、急に可笑しくなり、笑っていた。岡崎は、波乱の予感がして武者震いがした。
「面白くなるぞ~」
 岡崎が、作業に復帰すると、山本が寄って来た。
「何か、良からぬ相談でも?」
 山本は、含み笑いを手で押さえていた。
「整備を宜しくって!」
「わざわざ、そんな事言う為に、朝早く来ないでしょう?」
 山本は、熊手を放り投げて、軽トラックのタイヤを蹴飛ばした。
 岡崎は、三国の決意に報いるためにも、どのカップの位置がより厳しいのか、改めてグリーンの形状を加味しながら位置を決めようと思った。しかし、特に腕の良い常連客は、攻略が上手いので、頭が痛かった。
「それと、リクエストのないホールも徐々に厳しくするか…」
 岡崎は、逆にリクエストのあったホールを優しい位置に切り替えてから、いきなり厳しくするのも面白いと考えた。
「性格、悪いな~」
 だいたい、大会の十日前辺りから練習に来るので、今からカップを切り替えて、コースに慣れさせスコアも好くなったところで、梯子を外す感覚を頭に思い描いた。
「気持ちが昂るねえ~」
 岡崎は、さっそく今日からカップの切り替え作業を始める事にした。オープンしてから2カ月、先月の大会の前に一部を切り替えただけなので、カップの位置に飽きているのは、目に見えていた。この機会で替えるのも悪くなかった。
 早朝の作業を終えて、三人は格納庫に戻り、山本と植田は帰って行った。そこにさおりがやってきた。
「隆ちゃん、お疲れさま」
「ミックが早くに来て、練習してたわね」
「何か、あったの?」
「ちょっとしたリクエスト~」
 さおりは、早く教えて欲しいという顔で、岡崎を見つめた。
「大したことじゃないんだ」
「もったいつけないでよ~」
 岡崎は、さおりの期待に胸を膨らませた様子に、優越感にも似た感情を抑えていた。
「そろそろ、カップの位置が飽きたから切り替えて欲しいというリクエスト!」
「えっ、それだけ?」
「それだけだよ」
 さおりは、期待して損したと言わんばかりの顔で、岡崎を睨んだ。
「他に、何がある?」
「何か、こう、凄い勝つための秘策があるから協力して欲しいとか?」
「へ~、そんな秘策があるなら聞きたいね~」
「あたしに、そんな秘策があるわけないでしょう!」
 さおりの顔がミルミル膨れて、軽蔑の眼差しで岡崎を見つめた。
「なんか、聞きに来て損した感じ」
「サオリちゃん、オレだって三国さんに勝ってもらいたいよ!」
「もし秘策があるなら、それを伝えたいよ~」
 さおりの興奮が収まると、肩を落として呟いた。
「このままだとミックの負けねえ~」
「ヨーコさんへの告白の権利はキンクスのもの?」
「まだ、三国さんはギブアップしてないよ!」
 岡崎は、明るく言い放った。
「確かに、練習している姿は、真剣そのものだった」
 さおりの強ばった顔が緩み、コースの方へ目をやった。
「三国さんは、どんなに不利でも捨てないよ!」
 岡崎も、コースの方に目をやり、三国が黙々とカップにトライする様子を眺めていた。
「そうそう、前にミックが酔っ払って大会に参加して、ベンチで寝込んで失格になった事があったよね~」
「それ、ヤスさんから聞いてるので、知ってるよ」
 さおりは、再び岡崎の方を見た。
「その酔っ払った原因って、知ってる?」
「それは聞いてないな~」
「聞きたい?」
 さおりは、勝ち誇ったような顔で、岡崎を見た。
「この前、社長が教えてくれたのよ。ミックは、初孫が生まれて嬉しくて、仏前で亡くなった奥さんの遺影を前にして、独り手酌で飲んでいたの」
「そうなの?」
 岡崎は、三国らしいと思いながら、事の顛末を知って、愛おしい感情が湧いていた。
「他のメンバーは知ってるの?」
 岡崎は、聞き返した。
「どうして?」
 さおりは、顔を傾けながら言った。
「社長が、ミックに泥酔を問い詰めたらしいの」
「へ~」
「そうしたら、その真相を社長にゲロったってわけ!」
 岡崎は、納得した様子でさおりを見た。
「ミックは、メンバーには内緒という事で、社長にお願いしたの。そして、酒癖の悪いダメな奴っていうレッテルが貼られて、ミックが低迷したというハ・ナ・シ!」
 さおりは、ここまで話しをすると満足した様子で、クラブを振り抜く仕草をして、岡崎の言葉を待った。
「三国さんは、這いあがる切っ掛けをヨーコさんに見たんだ!」
「それじゃ~、勝ち負けは、関係ないのかな?」
「それは違うと思う」
 岡崎は、持論を展開し始めた。
「久住さんは、且つての仲間だった三国さんが、低迷している姿が見ていられなかった。そこで久住さんは、ナンパ師というレッテルを利用して、ヨーコさんをナンパすると宣言。それを三国さんが受けてたったという構図なんだと思う?」
 さおりは、岡崎の解説に大きく頷いた。
「隆ちゃん、頭いいね!」
「サオリちゃんの今の話しで、ピンときたんだ」
「じゃ~、ミックとキンクスもそのつもりで?」
「それも違う」
「えっ~、どういう事?」
 さおりは、不思議そうな顔で岡崎を見つめた。
「お互いのハートが、奇跡的なセッティングを生んだのさ」
「意味わかんない?」
「三国さんは、浮上する切っ掛けと一緒に、彼女をゲット。久住さんも三国さんを復活させた上で、彼女をゲット。二人の思惑がヨーコさんを接点に一致している」
「なるほど~」
「でもね、肝心のヨーコさんの気持ちが、入ってないんだな~」
「そこだよね~。あの二人、気付いてるのかな?」
 さおりは呆れた顔をしながら岡崎を見た。
「たぶん、分かってると思うよ」
「証拠は?」
 岡崎は、更に持論を展開した。
「実は、ヨーコさんが来てる時は、ほぼ二人も来ている。何かと気を使ったり、プレイのアドバイスをしたり、愛想がいいんだよ~」
「健気な努力!」
 さおりは、手で口を押えながら、笑いをこらえていた。
「見てると、羨ましいんだ」
 岡崎は、囁くように呟いた。
「えっ?」
 さおりは、不思議そうな顔で、岡崎を見つめた。
「オレ、考えてみたら、今まで真剣に告白した事がなかったんだ」
「そうなの?」
「見合い結婚だったし」
 岡崎は、自嘲気味に告白した。
「実は、あたしも、真剣に告白された事がないの」
 岡崎は、意外そうな顔でさおりを見た。
「出来ちゃった結婚だし~」
 二人は、顔を見合わせて笑った。
 
 その後、さおりはスタートハウスへ戻り、岡崎は一輪車にカップ切りの道具一式を積んで、Dコースのカップから切り替え始めた。パークゴルフのカップの切り替えは、ゴルフのカップよりもかなり大きく、直径が21センチもあった為、それなりに時間が掛かった。
 岡崎は、三国のリクエストがあったカップを簡単な位置に切り替え始めた。そして、午前中で12ホールの切り替えが終わり、残りは午後からにした。岡崎は、昼休憩で、格納庫の隣にあるプレハブ小屋でソファに寝転んでいた。すると、安友が入って来た。
「岡ちゃん、カップの位置替えたね。いつもより優しくなってるよ」
「けっこう、カップの位置を優しくして欲しいって、リクエストが多くて」
「それにしても、もの足りないな~。このカップの位置で大会するの?」
「そのつもりだけど!」
 安友は、不満そうな顔でプレハブ小屋から出て行った。
「これでいい」
 逆に岡崎は、満足していた。そして、午後は残りのホールのカップを切り替えて作業を終えた。その時、三国が寄ってきて、「サンキュウ!」と言って、缶コーヒーを渡しに来た。
「岡、ずいぶん優しく切ったな!」
 二人は、顔を見合わせて笑った。
翌日になり、お客のスコアが良くなり、上機嫌な顔があちこちで見えた。しかし、安友達のグループは不満顔でプレイをしていた。
「簡単に入り過ぎて、逆につまんない」
 伊藤が、Bコースを廻りながら、安友に不満をぶちまけていた。
「何か、あるな?」
 安友が、目を細めて伊藤に呟いた。
「いいじゃないですか~。簡単な方が気分よく廻れますよ」
 スコアの良くなった山田は、機嫌が良かった。
「このカップの位置で、大会やるのか?」
「みんな、どう思う?」
 安友の問いに、他の二人は、頭を捻った。
「岡ちゃんに訊くのが早くない?」
 伊藤が答えた。
「もう、訊いたよ!」
 安友の機嫌が悪かった。
「このままだと、優勝ラインは、110を切るよ。もしかすると、100前半までスコアが上がるね!」
 安友が、懸念を語った。
「そこまでスコアが上がると、波乱が無くて面白くないね」
 伊藤が感想を述べた。
「僕的には、今のカップの位置がベストです」
 山田は、このカップの位置が気に入っていた。
「このカップの位置は、ミックが絡んでいるような気がする」
 安友が、結論めいた事を述べた。
「そうかな~?」
「こんなにカップの位置が簡単だと、勝負にならんでしょう?」
 伊藤が否定的な感想を述べた。
「それが狙いなんだと思う」
「もしかすると、大会までに、カップを切り替えると思うねぇ~」
 安友が、私見を述べた。
「いつごろ替えるの?」
 山田が、不安そうに安友の顔を見た。
「少なくても、一週間前には替えるでしょう?」
 安友が、山田の顔を見ながら述べた。
「何か、駆け引きが始まってる予感がする」
「ミックに後が無いのは、みんな知っての通りだし、心理戦だな~」
 安友は、一人理解できた感じで、納得していた。
「オレは、このコースで練習するのは止めにして、他の難しいと言われているパークゴルフ場に行ってくるよ」
 安友が、帰る素振りを見せた時、伊藤が聞いてきた。
「ヤスさん、今日はミックの姿がないね~」
「だから、おかしいの。ミックは大会直前まで来ないと思うよ」
「ヤスさん、このコースだと練習にならないって事?」
 山田が、安友に尋ねた。
「少なくても、大会の練習にはならないねえ~」
 安友の言葉に、山田は落胆して、持っていたボールを野球のノックのようにスイングした。ボールはシャフトに当たって、ボテボテと池の中に転がり落ちた。
「池に落ちた~」
 そして、安友はクラブを肩に載せ、引き上げて行った。
「山ちゃん、どうする?」
「僕は、ここで練習しますよ。調子をキープして、気分よく大会に参加したいんで」
「テツさんは、どうするんですか?」
「考え中~。たまに、他のパークに行くのも練習になるし」
 伊藤も、安友の行動に理解を示した。
「テツさんも、武者修行に行くんですか?」
 山田は、伊藤の行動に注目した。
 
 大会を一週間後に控え、パークゴルフ場の異変に、岡崎は気付いていた。
「サオリちゃん、何か変わった事はあるかい?」
 岡崎は、スタートハウスへ寄って、様子を覗った。
「そうね~、何か、ミックやヤスさん、テツさんとか、主要メンバーが来てないのよ」
「他には?」
「そうね~、優勝候補と言われてる人達も、1~2回来てから来てないの。キンクスも2回来てから来てないのよ~」
「何か、あったのかしら?」
 岡崎は、納得した表情を浮かべた。
「隆ちゃん、何か知ってるな~」
「たぶん、カップの位置が優しいから、練習にならないんだと思う?」
「そんなに優しいの?」
 さおりは、コースを見てから岡崎を見た。
「今来てるのは、普通の参加者ばかり…」
 岡崎は、大会が死闘になりそうな予感がして、身震いがした。
 そのころ三国は、中央区の『ばんけいスキー場パークゴルフコース』と、南区の『石山パークゴルフ場』『エルクの森パークゴルフクラブ』の三カ所を日替わりローテーションで廻っていた。ばんけいスキー場は、斜面の練習には最適で、南区のパークゴルフ場は、自然の地形を活かしたアップダウンの激しいコースが練習になった。
 そして、安友と伊藤は二人で、マウンドの多い北区の『福移の杜コース』と、深いラフとマウンドの多い江別の『角山パークランド』に、全英オープンのゴルフコースを想起させる、石狩市厚田区の日本海に面した『シーサイド・パークゴルフ場』を日替わりで廻っていた。そこで安友と伊藤は、頻繁に久住や成田と会う事も多く、四人で廻る事もあった。
 大会を前に爺い共の熱い戦いは、既に始まっていた。また、優勝候補と言われている参加者も、色々なパークゴルフ場に出没して、腕を磨いていた。
 
「隆ちゃん、もう一つ耳寄りな話があるの…」
 さおりの目がキラリと光った。
「どんな話し?」
「あたし~、この前、社長のお供で玲子先生のダンス教室に行ってきたの」
「そうなの?」
 岡崎は、洋子の情報を仕入れたとピンときた。
「そこに、ヨーコさんも来てるのよ」
「練習とはいえ、ドレスを着てたから、ほんとにキレイだったな~」
 さおりは、うっとりした目を岡崎に送った。
「それで?」
「ダンスが終わって、帰りの車の中で、社長がヨーコさんの事、色々教えてくれたの!」
「そう?」
「ヨーコさん、石狩の明成会病院の院長先生の二番目の奥さんだったのよ。しかも、社長はそこの病院に血圧の薬を三カ月置きに取りに行ってたみたい」
「じゃ~、社長の知り合い?」
岡崎は、さおりをまじまじと見つめた。
「社長は、院長と亡くなった奥さん事は知ってたけど、後妻のヨーコさんの事は知らなかったの!」
「ヨーコさん、その病院の婦長だった上に独身だったから、院長の熱心な口説きに応じたみたいなの」
 岡崎は、天を仰ぐように、ため息が漏れた。
「三国さんは、知らないよね?」
「たぶん」
「それで病院の経営は、どうなってるの?」
「実は、副院長をしていた弟の真治さんが院長に昇格して、経営してるみたい」
 岡崎は、腕組みをして難しい顔をした。
「何か、ヨーコさんの立場、弱くない?」
「ビンゴ!」
「その新しい院長の奥さんが、ヨーコさんに辛く当たるらしいの。それで、病院に居場所が無くて、鬱になったような?」
 岡崎は、全てが呑み込めた気がした。
「気の毒ねぇ~。これから、どうするのかしら?」
 さおりは、困った顔をしながら、メモ用紙にいたずら書きをしていた。
「そうだ、ミックが勝ってヨーコさんを奥さんにする」
「どうかな~、育ちが合わないような気がするし」
 さおりは岡崎を睨みつけた。
「じゃ~、キンクスが勝ってヨーコさんを奥さんにする!」
「それも、無いな~」
 さおりは、尚もメモ用紙にいたずら書きをしていた。
「何か、いい方法はないの?」
「それがあれば、オレも再婚してるよ~」
 さおりは、ガッカリした表情で、「バイバイ~」と手を小さく振った。
 
 岡崎は大会前日になり、午後からカップの切り替え作業で忙しかった。そこに、『福移の杜コース』から帰ってきた安友と伊藤がカップの切り替えを見守っていた。
「岡ちゃん、カップの切り替えするんだねぇ~」
 振り返ると、安友が日に焼けた顔で笑っていた。
「何か、カップが優し過ぎるから、替えて欲しいというリクエストが多くて」
 岡崎は、作業の手を休め立ち上がると、安友と伊藤を懐かしそうに見つめた。
「二人とも、日に焼けてるね~」
「岡さん、何ホール替えるの?」
伊藤が、興味深そうに訊いてきた。
「今日と明日の朝で、18ホールを替える予定」
「半分も替えるんだ」
 伊藤は、驚いた様子で安友の方を見た。
「ミックの思惑通りに行くかな?」
 安友は、意味深な言葉を残して、各コースの下見をしてからスタートハウスへ立ち寄った。
「ヤスさん、久しぶり~、プレイしないの?」
 スタートハウスから、さおりの元気な声が聞こえてきた。
「サオリちゃん、元気にしてた?」
「ヤスさん来ないから、寂しかったよ~」
「あら~、テツさん顔真っ黒。ハワイにでも行ってたの?」
 さおりの明るいジョークが炸裂した。
「今日は、コースの下見だけだよ」
 二人は、そう言いと自分の車に乗って帰って行った。そして、午後三時過ぎに、三国がやって来た。
「岡~、帰るのか?」
 岡崎は、格納庫のシャッターを下ろし、プレハブ小屋の鍵を閉めて、帰る所だった。
「三国さん、久しぶりです」
「どうだい、コースの仕上がりは?」
「さっきまで、カップの切り替えでしたよ」
 三国は、日に焼けて逞しさに磨きが掛ったような風貌で、トレードマークのベロTシャツにバンダナを額に巻いていた。
「三国さん、どこ行ってたんですか?」
「南区のパーク…」
「どこの?」
 岡崎は、別人のようなオーラを纏った三国に、行けそうな予感がした。
「石山とエルクの森で修行してたよ」
「成果、あったみたいですね!」
 三国からは、余裕と自信が伝わってきた。
「昼過ぎには、ヤスさんとテツさんも下見に来てましたよ」
「あいつらも、他で修行してたな?」
 三国は、尻ポケットから赤い缶を引っ張り出し、岡崎に渡した。
「オレの命の水、ブラウン・シュガー~」
 岡崎は、赤い缶を受け取ると、笑いそうになった。
 三国は愛車に乗り込むと、車からは、「Tumbling Dice」が、大音響で流れてきた。明日の戦いが楽しみになってきた。
 
 翌朝、岡崎は一人黙々とカップの切り替えをしていた。
「今日は、スコアが荒れて、大変な事に成るな~」
 こんなに厳しいカップの位置を誰が制するのか?岡崎は、予測が出来なかった。そして、午前七時を過ぎた頃、指定されたホールのカップの切り替えは終わった。
「やっと終わった~」
 岡崎は、滴る汗を拭い、大きく深呼吸をした。朝の澄んだ空気が肺一杯に拡がる。そして、スタートハウスに目をやると、大会スタッフが集まり始め、テントを設営したり、賞品や景品をテーブルにディスプレイしたり、忙しくしていた。
「いよいよ大会が始まるな~」
 岡崎は、高鳴る思いを胸に仕舞いながら、大会スタッフに加わった。
「隆ちゃん、お疲れ様~」
 さおりがスタートハウスの中で、名簿や参加者が付けるバッジ等を準備していた。
「今日は、スペシャルな組み合わせのグループがあるのよ!」
「スペシャル?」
 岡崎は、何のことか理解出来ず、さおりの顔を見た。何かを企んでいる、ズルい顔が垣間見えた。
「どんな組み合わせ?」
「もう、分かるでしょう?」
 岡崎は、察しがつき、ウインクをした。
「たぶん、三国さんと久住さんを一緒にしたんだろう?」
「ビンゴ!プラス、テルさん!」
 岡崎は、あっ気にとられた。
「テルさんは、知ってるの?」
「もちろん!あたしが、テルさんに持ち込んでOKもらったのよ」
「三国さんは?」
「知ってるわよ」
 岡崎は、意外な感じがした。
「だって、ミックがあたしに頼んできたのよ」
「そうなんだ…」
 三国の大会に賭ける、意気込みが伝わってきた。
「ミックは自信満々だったな~」
 そんな話をしていると「Jumpin’Jack Flash」を大音量で流しながら入って来る一台の車。
「三国さんが来たよ」
 さおりは、三国にバッジを着けると、背中を力いっぱい叩いた。
「ミック、気合入った?」
「OK、サオリ~、痛ぇ!」
 三国は、ロングホーンを高く掲げ、口ずさんだ。
「Gimme gimme gimme the Honky tonk blues~」
※(The Rolling Stones:Honky Tonk Women)
 
その後、参加者がぞくぞく会場に集まり、大会も百名を超える賑わいを見せた。今回も、さおりが司会を務め、東出社長の挨拶と相沢のルール確認の話があって、六月の『月例大会』がスタートした。
「ミック、テルさんと一緒に廻るの?」
 安友が、驚いた様子で近づいてきた。
「キンクスも一緒だよ」
 久住は、二人に背中を向けて、タバコを吸っていた。
「この組み合わせ、奇跡だね~」
「ミックが仕組んだのさ!」
 背中を向けていた久住が、呆れた表情で笑っていた。
「直接対決じゃないと、面白くないしょ!」
 三国が、咥えタバコで笑った。
「オレは、こいつら二人のお守り役か~」
 相沢は、貧乏くじを引いたような顔で、呆れていた。
 
 会場には、優勝候補と目されている、『福移の杜』の成田、先月優勝した小樽の清水、手稲前田の出口と、いつもの上位陣が真っ黒く日焼けした精悍な顔つきで、グループになったメンバーと談笑をしていた。
そして、大会がスタートし、三国のグループは、Bコースの2番スタートだった。三人は、備え付けの抽選棒を引くと、久住が1番、2番が相沢、3番が三国という順番になった。
「今回は、実質二人の戦いだ!」
 相沢が二人を見て、話した。
「ミック、悪いけど、オレが勝って終わりだ」
「どうかな?」
「オレが勝ってタイブレークにしたら、どうする?」
 三国も負けてはいなかった。
「タイブレークになって、再戦も面倒だな~」
 久住は、相沢をチラッと見た。
「そうだな~、タイブレークになったら?」
「その場合も想定して、ストロークとマッチプレーの両方を採用しよう」
「この試合で、ストロークと多くのホールを勝ち取った者が勝者になる!」
 相沢は、二人の顔を交互に見た。
「それで行こう!」
 久住は、腰フォルダーから、金色のボールを外し、ティーにセットした。
「ミック、オレに勝つには、この試合で勝った上にマッチプレーでも勝たないといけない!」
「出来るかな?」
 久住は、豪快に振り抜くと、ボールはキレイな放物線を描いて、直角に曲がるフェアウエイの手前でボールを止めてみせた。
「キンクス、全ては終わってからだ!」
 三国は、挑発には乗らず、余裕で久住の打った打球を眺めていた。
「オレも二人に負けるつもりは無いので」
 続いて相沢が打席に入り、鋭いスイングで1打目を打った。ボールは勢いよく転がり、フェアウエイの直角からラフになる手前で止まった。
「さすがテルさん!」
 三国は、手を叩いて、打席に入ると、池の縁に立っている松の樹を狙って、フルスイングをした。ボールは高い放物線を描いて木の上を掠め、そのお陰でボールの勢いは止まり、グリーンに1オンした。
「ミック…、見せてくれるねぇ~」
 久住は、じゃっかん引きつった笑顔を見せ、フェアウエイを下って行った。
「オレから先に打たせてもらうよ!」
 三国は、グリーン奥のピン目掛けて、強めに打った。そのボールは、ピンにぶつかって跳ね上がり、そのままカップに吸い込まれた。
「ミック~、ナイス・ショット!」
 相沢は、力強く拳を握りしめて、「幸福橋」を渡っていく三国の姿を頼もしく思った。そして、2打目を打った相沢は、打ち切れずに3打目でカップイン。最後に打った久住も、打ち切れず、3打目でカップイン。このホールは、三国の勝利だった。
 Bの2番ホールに戦いは移り、三国は涼しい顔で、打席に入った。このホールは、何のへんてつもない65メートルのミドルホールで、ホールインワンを狙えるホールでもあった。
「ミック、狙ってるね~」
 相沢は、三国の闘志を直に感じて、震えるような感覚が伝わって来た。三国の1打目は、ピンに弾かれて、2メートルほど前に転がった。続く相沢は、ピン側に狙いを定めて打つと、ピン側1メートル手前に着ける事が出来た。
「テル、渋いねぇ~」
 思わず、三国が唸った。そして、打席に立った久住は、かなり真剣な眼差しでピンを見つめ、顔を叩いて気合を入れると、1打目をコンパクトに振り抜いた。するとボールは見事にカップに吸い込まれた。
「キンクス、お見事!」
 三国は、額に手をやり天を仰いだ。
「これから、これから!」
 三国は、自ら気合を入れて、2打で沈めると、3番ホールへ向かった。
「何だい、あのカップの位置は?」
 打席に立った久住が、不穏な声を上げた。カップの位置を見ると、かなり池に近い所に切ってあった。これは、よほど強く正確に打たないと確実に池に吸い込まれる、絶妙な位置にあった。
「あそこに切るとは、恐れ入ったね~」
 久住は、三国を少し見ると、深呼吸をして1打目をコンパクトに振り抜いた。ボールは左のOBラインを掠めて、グリーンをオーバーして、ラフで止まった。続いて打席に立った三国も、思わず苦笑いした。
「岡のやろう、やってくれたねぇ~」
 三国は、
「Ba,Ba,La,La,Ba,Ba,Ba,La,La Don’t you wory bout what’s on your mind ~」
※(The Rolling Stones:Let’s Spend The Night Together)
と口ずさみながら、ピンを狙って、フルスイングをした。そして、ボールはピンに当たって跳ね返り、池に向かって転がったが、辛くも途中で止まった。
「ミック、こっちの心臓の方が驚いたよ~」
 相沢は、呆れた顔で胸に手をやり、打席に立った。
「岡ちゃん、やってくれるねぇ~」
 相沢は、深く息をしてから1打目を打った。ボールは途中で勢いを失い、お辞儀をして池に吸い込まれていった。
「打ち損ねた~」
 相沢は、肩を落としてピッカーでボールを掬い、三国の2打目を見守った。三国は、軽くロブショット風にボールをフワッと打って、ピン側に寄せた。そして、3打でカップイン。続いてラフから打った久住は、手堅くピン側に寄せて、3打でカップイン。相沢は、2打加算の5打でホールアウトした。このホールは、三国と久住はドローで終わった。
 
 次のBの4番ホールは、Aの6番砲台グリーンの則斜面が目の前にある為、グリーンとピンが見えない迷物ホールになっていた。しかも、フェアウエイがくの字になっており、植栽の樹もあるので、打つ前にピンの位置を確認してからボールの落とす位置を決める必要があった。本当にストレスの溜まるホールが続く。三国はフェアウエイのくの字の部分にボールを落とし2打で入れる計算で打席に立った。
「ここが勝負どころ…、頼むよボールちゃん!」
 三国は、ロブショットを打つと、高い弧を描きくの字の手前で跳ねて止まり、2打目でピンを狙える位置ではなかった。
「畜生~、弱かった!」
 続いて久住は、三国の様子を見ながら、強めのロブショットで、ボールはフェアウエイのくの字を越えたところで止まった。
「キンクス…、ナイス!」
 三国は渋い顔をしながら、2打目の寄せを思案した。そして、最後の相沢のショットは、三国と久住よりも良い位置にボールを飛ばした。
「キンクス…、先に打たせてもらいよ」
 そう言った相沢は、ピンの位置を見て固まった。
「岡ちゃん、やってくれるね~」
 この4番ホールはカップの位置から、1メートルほどオーバーすると則斜面で80センチ下がっていた。相沢は、手堅く行くか、2打で沈めるか悩ましい決断に迫られた。
「オレは既に、3打離されている」
 相沢は、二人に意地を見せる為、迷いを振り切って勝負を仕掛けた。
「カッ、コーン~」
 ボールはカップに吸い込まれた。相沢は自ら拍手をして、珍しく得意気な顔を見せた。
「さすがテル」
 三国は、相沢の実力を改めて感じた。
 続く久住は、厳しい表情を崩さす。迷わずピンを狙った。
「あっ~、蹴られた!」
 ボールは、カップに蹴られ、おまけにグリーン下に転がって行った。久住の、深いため息が漏れた。
「じゃ~、打つよ」
 三国は、樹が邪魔で直接ピンを狙えなかったが、ぎりぎり樹の横を狙った。すると、ボールは樹にぶつかり、大きく跳ね返ってグリーンから転げ落ちた。
「これだも!」
 三国から落胆した声が漏れた。
そして、相沢が見守る中、久住がグリーン下から、軽くすくい上げるように打った。ボールはグリーンに載ると、そのままカップに入っていった。
「よし!」
 久住の力強い声が響いた。
 続く三国は、手堅くピンに寄せ、4打でホールアウトした。
 
 このような熱い戦いが、各コースでも繰り広げられていた。Aコースでは、先月優勝した小樽の清水が先頭を走り、それを伊藤が追う展開になり、Cコースでは、安友と手稲の出口が、互角の展開をしており、Dコースは、『福移の杜』の成田が一つ抜けていた。
 
 そのころ岡崎は、プレハブ小屋のソファに転がって、うたた寝をしていた。連日のカップ切り替えで、疲れが出ていた。そして、時々外から聞こえる歓声や奇声で目が覚めるが、また眠るという繰り返しであった。
 そして、スタートハウスではさおりが参加者のスコア管理に謀殺されていた。
「Aコースは、小樽の清水さんとテツさんの戦いねぇ~」
「Bコースのミックとキンクスは、凄い戦いになってる感じ、テルさんも頑張ってる!」
「それでCコースは、ヤスさんと手稲の出口さんか~」
「Dコースは、成田さんが走ってる!」
 さおりは、参加者のスコアを記入しながら、特に三国と久住の戦いに注目していた。
「ミックとキンクスは、お互い負けられない戦いねぇ~」
「この二人、どうなるのかな~?」
「今回もヨーコさんのグループは参加してないし」
「この二人の熱い戦いをヨーコさんにも見せてあげたいくらい」
 さおりは、妄想を膨らませながら、勝負とは別に、洋子の置かれた境遇に思いを寄せていた。
「ヨーコさん、辛い立場よね~」
「このまま病院追い出されて、寂しい人生送るのかな?」
「美人薄明って!」
 さおりは、洋子を悲劇のヒロインに見立て、勝手なストーリーを妄想しては、ため息をついた。
「どうもバッドエンドばかりね~」
「あたしが嫉妬?」
「サオリの王子様は、何処にいるのかな?」
 さおりの脳裏に、三連グリーンモアに乗った岡崎の姿が浮かんだ。
「冗談でしょう?」
「笑っちゃう~」
 さおりは、必死に打ち消していた。
「ミックのせいだわ!」
 そのころ岡崎は、プレハブ小屋で深い眠りに落ちていた。しかも、見ていた夢はさおりと二人で温泉旅行に来ており、ちょうど混浴露天風呂に入っている最中だった。本当に至福の時を過ごしていた。
 
 そして、スタートハウスに目をやると、Bコースの戦いを終えた三国、久住、相沢の三人が、頭から湯気が上がっているのが見えそうな感じで、戻ってきた。
 相沢は、練習ホールに設営されたテントに入ると、本部のクーラーボックスから水のペットボトルを3本取り出し、二人に渡した。
「サンキュウ~、テル!喉、カラカラ~」
 三国は、ペットボトルを一気飲みすると、滴る汗を拭いた。久住もベンチに腰掛けて、タバコに火を点けた。
「キンクス、勝負は下駄履くまで分らんからな~」
 久住は、三国の気迫に、敢えて冷静さを装った。
「ミック、早く白旗上げて、楽になりな~」
 この二人の様子を相沢は、迷惑そうに見ていた。
「こいつらヒリヒリして、しんどいわ!」
 相沢は、手で自分の顔を仰ぎながら、ペットボトルを飲んだ。初夏の青空に太陽もヒートアップしているように見えた。
「ミック、ブラウン・シュガー飲む?」
 さおりがスタートハウスから出てきて、赤い缶を三国に投げてよこした。
「サンキュー、サオリちゃん!」
 三国は、これも一気飲みすると、特大のゲップをして、Cコースへ向かって行った。その後に相沢と久住が続いた。
 因みに、Bコースの戦いは、三国が1番ホールと7番ホールを取り、久住は、2番ホールと、8番・9番ホールを取った。相沢は4番ホールのみだった。そして、3番・5番・6番ホールはドローという結果になっていた。三人のスコアの打数は、三国が24打、久住が22打、相沢は27打という結果だった。
 Cコースに移動した三人は、早速抽選棒を引いて、打つ順番を決めた。1番は相沢、2番は久住、最後は三国という順番になった。打席に立った相沢は、登りの急斜面に負けないように強い打球を打った。すると打球は、斜面を登り切ったところで止まり、まずはフェアウエイをキープする事が出来た。続いて久住は、豪快に打球を打ち過ぎて、OBラインのネットに跳ね返って止まっていた。Cの1番ホールのOBラインには、高さ80センチのネットが張ってあり、ネットを越えるとササヤブになっている為、強く打ち過ぎてネットを越える事もしばしあった。
 最後の三国は、力強い打球を打つと、OBライン近くの樹に当たって、ネットを越えてササヤブに入ってしまった。斜面を登った三人は、それぞれのボールの位置で、明暗が分かれていった。
「これは、行けるな~」
グリーンに近い相沢は、マウンドのグリーンに2オンして3打でカップインした。
「参ったな~。テイクバック取れない」
 ネット際の久住は、テイクバックが取れない為、クラブのヘッドを逆にして、上から被せ打ちをして、ボールをフェアウエイまで出すのが精一杯だった。ここで久住は、何とか4打で凌ぐ事が出来た。
 そして、ササヤブに打ち込んだ三国は、赤いボールを探し出して、OBライン側からピン目掛けて打った。すると、ボールはマウンドを登って、反対側に落ちてしまった。
「畜生…」
 三国は、4打プラス2打加算の6打でホールアウトした。
 
 続いて2番ホールと3番ホールは、互いに3打でカップインして譲らず、白熱したゲームが進んで行った。
 そして、4番ホールは95メートルのパー5のロングホールであった。ここも、30メートル付近に障害物のマウンドがあるので、攻め方にコツがあった。
「見せ場を作るか~」
 相沢が、不敵な笑みを浮かべて打席に入った。そして、1打目をマウンド付近にボールを止めてみせた。
 続いて久住は、豪快にボールを打つと、一直線にボールは転がり70メートル付近で止まった。それを見ていた三国も、同じように力強いスイングで、久住のボールを3メートルほど越えたところで止まった。
「2打目打つよ~」
 相沢の打ったボールは、奥から2本手前の斜面上にあるOB杭に向かって、斜面を駆け上がり、そのOB杭付近から下って、見事お椀型のマウンドに上がって、カップのすぐ手前で止まった。
「ナイス!」
 三国は、相沢のスーパーショットに、絶句した。あわやカップインというショットに久住も胸を撫でおろした。
「相沢さん、凄いモノ見せてもらったよ」
 相沢は、直ぐにカップインして、二人のショットに余裕を見せていた。
 久住は、残り25メートルのショットを緊張した面持ちで、アプローチをした。
「あの位置にピンか~」
 カップの位置は、マウンド奥側の下り斜面に切ってあった。久住はコンパクトにスイングすると、ボールはマウンドの手前で止まった。
「キンクス、ションベンちびった?」
 三国は、久住の安全策に釘を刺してから、攻めの姿勢でピンを狙って打った。するとボールはマウンドを駆け上がってピンに当たり、下に転がって行った。
「惜しい~」
 三国は両手を上げて天を仰いだ。
 続いて3打目を打った久住のボールは、カップに蹴られて下に落ちて行った。
「蹴られた!」
 それを見ていた三国は、冷静に3打目を狙ったが、ボールはカップを掠めて反対側に落ちて行った。
「は~」
 三国から落胆したため息が漏れた。
「キンクス、先に打つから」
 三国は、気を取り直して、慎重に4打目を沈めた。
 続く久住も4打目を慎重に打つと、またもカップに蹴られてしまった。
「やっちまったよ~」
 久住の額からは、脂汗が滲んでいた。そして、一呼吸置いて5打目を沈めた。Cコースでは、相沢の本領が発揮されており、焦り始めた二人を尻目に、余裕でプレイを進めていった。
 このCコースのグリーンは殆どがお椀型のマウンドになっており、岡崎が切り替えたカップの位置は、ことごとく斜面に切ってあった。
「あのキーパーにやられたな~」
 久住は、渋い顔をしながら、固く緊張した全身の筋肉をほぐす様に、柔軟体操をしながらリラックスに務めていた。
 そして三人の戦いは、意地のぶつかり合いになっていった。5番、6番ホールは、お互い3打のドローになり、7番ホールで三国がホールインワンを取って意地を見せた。そして、8番ホールを相沢が取り、9番ホールは久住が取って面子を保った。結局、マッチプレイは相沢が3ホールを制し、三国と久住は1ホールずつに終わり、相沢が勝利を収めた。BコースとCコースの三人が制したホール数は、三国が3ホール、久住が4ホール、相沢が4ホールと痺れるような戦いになっていた。
 
 昼前になり、各グループはプレイを終えて、続々と戻って来た。そして、スタートハウスのさおりは、スコア表に打数を書き入れて集計に追われていた。集計が進む中、さおりはスコアの打数に異変を感じていた。
「今回は、全体的に打数が悪い感じ?」
「そういえば隆ちゃん、今朝もカップ切ってたけど」
「たぶん、それね?」
 そこに、寝起き眼の岡崎が、目を擦りながらやって来た。
「サオリちゃん、みんなの調子はどう?」
「お目覚めのようね?」
「隆ちゃん、すぐ戻った方がいいわよ」
「何か、あった?」
「昨日のカップの位置とは全然違うって、文句たらたらよ~」
 さおりは、皮肉たっぷりに言い放った。
「これは、ある人のリクエストだから~」
「ミックね!」
 岡崎は静かに頷くと、プレハブ小屋へ戻って行った。
 さおりは、前半が終わって、全体的に5打から8打のスコアダウンを感じていた。しかし、あるグループは、2~3打落としただけで、競っていた。
「さすが、ミックのグループは緊張感が半端ないわ!」
 集計したスコアを見ると、1位が50打の久住、2位は52打の相沢、3位は53打の三国、4位は57打の清水、5位は58打の伊藤と成田。7位は60打の安友と出口という感じで続いていった。後は、総崩れの団子状態といった感じで、上位8人の争いに絞られた感じがした。
「サオリちゃん、皆の調子はどうだい?」
 東出社長がスタートハウスへやって来た。そして、スコア表を見ながら、穏やかな顔で話し始めた。
「キンクスがトップだね、ミックは3打差の3位」
「テルも頑張ってるね~、午後からが本当の勝負になるよ!」
「テルさん達のグループが優勝の本命かな?」
 さおりは、上位を書き出した紙を見ながら、予測を述べた。
「ところで、ヨーコさんは来てるのかい?」
「今回も参加してないです!」
 さおりは、東出の質問に答えた。
「そうかい、最近ダンスも、休みが続いてるよ」
 東出は椅子に座って、語り始めた。
「玲子先生の話だと、病院から出ていく準備を始めたようだねぇ~」
「そうなんですか?」
 さおりは、驚いた表情で、東出を見つめた。
「何でも、陰湿なイジメがあるみたいで、ヨーコさんこぼしていたようだよ」
「病院出て、どこ行くのかな?」
「病院としても、変な噂が立ったら困るから、それなりの財産分与をして、出てもらう事で話がついたって」
 東出の言葉に、さおりは憂いを含んだ笑みを浮かべた。
「でも、しがらみから解放されて良かった!」
「私も、そう思うよ」
 東出は、クーラーボックスからペットボトルの水を取り出すと一口飲んで、出て行った。
「ここ暑いから、扇風機が必要だね~」
「後で、岡崎に持ってこさせるよ!」
 東出は、スタッフを労いながら、青空の太陽に向かって、手を合わせ、何事か呟いてから、事務所へ戻って行った。
 昼休憩が終わると、参加者は午後の戦いに向かって行った。
「ヤスさん、調子はどうだい?」
 相沢が、疲れた顔で尋ねてきた。
「何とか8位までに入ってますよ」
 安友は、満足そうに笑っていた。
「テルさん、調子いいみたいですね?」
「何言ってるの?二人に煽られてるだけだよ」
「オレは、そろそろガス欠が近い」
 相沢は、やる気満々の二人を指さして、笑った。
「これからDコースの1番まで歩くんだよ」
 そう言い残して、相沢は三国と久住の後を着いて行った。
 
 三人は、Dコースに着くと、抽選棒を引いて、順番を決めた。この1番ホールは45メートルのパー3と何の変哲もないホールだが、グリーンが鏡餅のようなマウンドになっていた。ここは、ショートホールなので、1打で入れるチャンスがあり、カップまでのラインを読む事が重要であった。しかし、岡崎の絶妙なカップの位置が、ホールインワンを不可能にしていた。
「これは、狙えないな~」
 1番を引いた三国が、打席にしゃがんでクラブを立て、何処を狙うかを模索していた。その後ろで相沢も一緒に見ていた。
「岡のやろう、ここまで難しくするとはな~」
 三国は打席に立つと、ピン側に狙いを定めて打った。グリーンの手前には小さなコブがあるので、ここに捕まると、狙ったコースから外れるので、注意が必要であった。
「ナイスオン!」
 三国は、拳を握って、次の相沢を見た。
「ミック、ノッて来たねぇ~」
 相沢は、三国の狙いを真似て、同じように打ったが、コブの影響を若干受け、グリーンを捉え損ねた。
「コブに負けたか~」
 最後に打った久住は、三国よりもピン側に着けて、先にカップインして涼しい顔を見せた。
「キンクス、やるねぇ~」
 三国も、2打で沈めると、口ずさみ始めた。
「Everywhere I here the sound of marching. Charging feel boy ~」
※(The Rolling Stones:Street Fight Man)
 三国は、二人に向かってファイティング・ポーズを取ると、さっさと2番ホールへ歩いて行った。そして、久住が相沢の2打目を見守っていると、大きなため息が聞こえてきた。
「あ~、カップに蹴られた」
 相沢は天を仰いでから、気を取り直して3打目を沈めた。
 三国は、2番ホールのグリーン前の小山に立って、ピンの位置を見ていた。
「ここも、厳しいな~」
 三国は、打席に戻ると、顔を叩いて気合を入れなおして、ロブショット風にボールを打った。すると、ボールはバウンドして小山を越え、グリーンに転がって行った。
「どこで止まってるかな?」
 三国は、余裕で二人の打席を見ていた。
 次に打った久住は、ライナーで小山にボールを当て、ジャンプしたボールは、勢いが止まってグリーンに落ちたように見えた。
「さすが、キンクス!」
 続いて相沢は、コンパクトに振り抜くと、ボールは小山の上を擦って、転がって行った。三国は、小山の上に登ると、怪訝な顔をした。
「ボールが無いねぇ~」
 グリーン上に有ったのは、久住の金ボールと相沢の青ボールであった。三国の赤ボールは、グリーン下2mのバンカーに捕まっていた。そして、2打目を最初に打ったのは、相沢だった。相沢のボールはグリーンの縁にあり、後10センチでバンカーに落ちる寸前であった。
「このカップの位置も、痺れるねぇ~」
 岡崎の切ったカップの位置は、バンカーに落ちる1メートル手前であった。そして、相沢は、慎重にカップを狙ったが、縁を掠ってグリーンの中央付近まで転がり、3打でホールアウトした。続いて久住は、中央付近にあるボールを慎重に打つと、ボールはショートしてカップに僅かに届かなった。
「情けねぇ~。打ち切れなかった!」
珍しく、久住の苛立つ言葉に三国は薄笑いを浮かべた。
「オレのスーパーショット行くよ!」
 三国はバンカーから、ボールを掬い上げるように打つと、カップ側1メートルのグリーンに載せてみせた。そして、3打目はカップに蹴られ、4打目で沈めた。二人の、少し重い足取りを見ながら三国は陽気に振る舞いながら、逆転のチャンスを伺っていた。
 次の3番ホールは、下り70メートルのパー4で、ボールコントロールが試される、難コースになっていた。
「ピン位置も、また微妙だ~」
 相沢は嘆きながら、軽くスイングすると、乾いたグリーンは走り、OBライン手前のラフでボールは止まった。
「危なかった~」
 相沢は、冷や汗を拭きながら、二人の打席を見守った。続いて久住は、相沢のボールの軌跡を見ながら、打席にしゃがみ込むと、ボールの転がす位置を見極めようとしていた。
「キンクス、慎重だね~」
 三国の心無い言葉に、久住は反応した。
「うるさいな~、黙っとけ!」
 三国は、とぼけた様子で久住に背を向けた。久住は、相沢よりも更にコンパクトに振ると、それでもボールに勢いがついてラフまで転がっていった。
「これでも、強いのか?」
 久住は呆れた顔で、三国の打席を注目した。
「二人とも、オレのスーパーショット見とけよ」
 三国は、クラブを大きく振り上げると、ゆっくり振り下ろした。するとボールは素直に転がり始め、フェアウエイの曲がりに沿ってボールは転がり、見事グリーンの上で止まった。
「ここはミックにやられたな~」
 相沢は、首を横に振りながら、コースを下って行った。
「打順が味方したね」
 三国は、2打目で決めると、ラフのタンポポを摘み取り、白い綿毛を吹き飛ばした。
「~Play the game with every blow you breathe, Dandelion don’t tell no lies.」※(The Rolling Stones:Dandelion)
 三国は弾む歌声と共に、颯爽と4番打席へ向かった。そして、相沢と久住は、ラフからのショットでボールコントロールが上手く行かず、共に4打でホールアウトした。三国の逆襲が始まった予感を相沢は感じていた。
「ミックがノッてきたかな~?」
 相沢の言葉に、久住は反応せず、固い表情で4番ホールへと向かった。このDコースの4番ホールは、90メートルのパー5で登りになっており、70メートル付近で段差があるので、1打目をしっかり打たないと、この段差で捕まる事になる。
「オレは、行っちゃうよ!」
 三国は、自分を鼓舞するように饒舌になっていた。そして、1打目を強振すると、ボールは段差を越えた所で止まり、三国は振り返ると親指を立て、ウインクをした。
「ミック、ウザいな~、視界から消えろ!」
 久住の苛立ちは、頂点を迎えていた。いっぽう相沢は、樹の木陰に立って、二人のやり取りを見ていた。
「見てろ~」
 久住は小さく呟くと、大きく振りかぶって振り抜いた。するとボールは勢いよく飛んでいき、三国のボールを越えてグリーン手前で止まった。
「キンクス、やるね~」
 三国は、手を叩いて余裕の素振りを見せた。続いて相沢の打ったボールは、段差を越えられず、少し下に転がって止まった。
「オレは、ガス欠だよ~」
 相沢は、力なく笑って、二人の後を歩いて行った。三国と久住は共に3打で決めると、相沢は4打でホールアウトした。すっかり、午前中の勢いに陰りが見えていた。
 初夏の太陽は眩しく、27度の気温は、十分に暑かった。この痺れる戦いを三国は、楽しんでいた。この3年間の溜まった鬱憤を晴らすかのように、弾けて見せるおチャラけた様子とは裏腹に、プレイは真剣そのものであった。
 相沢は、おチャラけた時の三国の怖さを知っていた。鼻歌交じりのロックンロール野郎が、三国のスタイルである。
「お前の行き先は、カップの中なのさ~」
 5番打席に立った三国は、腰をくねらせながらクラブのグリップをデニムにねじ込み、ヘッドにキスをした。そして、ボールにもキスをしてティーにセットした。三国の1打目はロブショット風に打ち、ボールをピタリとピン側2メートルの位置に着けた。
 このホールも岡崎のカップはグリーンの奥に切ってあり、落ちると即OBという仕掛けになっていた。
「キンクス、マークしようか?」
「いちいちうるさいな~」
 久住は、冷静さを失っていた。それでも、グリーンに載せて来るのが久住の強さであった。そして、相沢も心が折れないように両足と両腕を交互に叩いてから、コンパクトに振り抜き、グリーンの手前で止めてみせた。
「先に打つよ~」
 三国は、2打目を強く打つと、ボールはピンに当たり、カップの縁を一周してから中へ沈んだ。
「よしっ!」
 三国は、小さくガッツポーズをとってから、軽快なスキップで6番ホールへと向かって行った。そして、残された二人は、グリーン奥のカップに慎重になり、2打で沈める事が出来ず、共に3打でホールアウトした。
ここにきて、マッチプレイの勝ち数にも変化が出てきた。Dコースの3番、5番ホールを勝利した三国が、初めて二人を抜いて5勝となりトップに躍り出ていた。久住と相沢は共に4勝で、並んでいた。
そして、Dコースも残り4ホールとなり、三人の熱い戦いは続いた。6番ホールは、共に2打でドローとなり、次の7番ホールも共に3打で譲らずドローという展開で、8番ホールを迎えた。このホールは48メートルのパー3、フラットなグリーンの為、一発逆転も可能なホールであった。
「ここで一発ホールインワンでも決めるか!」
 三国の自信に満ちた言葉に、後の二人は戦々恐々と1打目を見守った。そして、コンパクトに振り抜いたボールは、一直線でピンに向かい、入るかと思われた瞬間カップに蹴られ、2メートルほど左に弾かれた。
「クソッ!」
 三国が悔しがる中、久住と相沢は額の汗を拭い、お互いを見合った。
「ミック、オレも狙ってみるよ!」
 久住の真剣な眼差しがピンを捉えている。この鬼気迫る戦いを三国は純粋に楽しんでいた。久住は深呼吸をして逸る気持ちを抑えてから、打席に入った。
「よしっ!」
 久住の打ったボールは、線を引いたようにカップに吸い込まれていった。
 今日2個目のホールインワンに、三国は舌を巻いた。
「キンクス、漢だねぇ~」
 三国は、両手を高く上げ、拍手を送って称えた。
「ミック、勝負はAコースだ!」
「まだ、9番が残ってるよ」
 三国は、久住の焦りを見逃さなかった。
「オレも残ってるよ」
 相沢は笑いながら、打席に立っていた。そして、打ったボールは、カップの手前3メートルで止まり、相沢も勝利を諦めてはいなかった。三国と相沢は共に2打で決めると、三人は9番ホールへと向かった。
 9番ホールは、70メートルのパー4で、グリーンの手前には松の木が立っており、しかも小山もある為、障害物が最後の波乱を引き起こす大きな役目を担っていた。本当に最後まで気の抜けないホールになっていた。
 打席に入った久住は、気持ちよく振り抜くと、ボールは小山を登り松の木に当たって、右に弾かれてOBラインを割っていた。すると、久住は天を仰ぎ、クラブを放り投げた。
「これがあるんだ~」
 久住はラフに寝転んで、三国の打席を眺めていた。
「キンクス、悪いが慎重に行くよ」
 三国は障害物を避けて、グリーンの手前にボールを運ぶと、2打目でグリーンに載せ、3打で確実に沈めてみせた。それを久住は苦々しい顔で、見つめていた。続く相沢も三国と同じ攻め方で、3打で沈めた。
 久住は、OBラインから果敢にピンを狙って打ち、見事にカップインを見せた。久住は2打加算の4打でホールアウトして、何とか崩れないで踏みとどまった。
 このDコースの三人の戦いは、三国が23打で2ホールの勝利、久住は24打で1ホールの勝利、相沢は27打で勝利ホールは無しという結果で終わった。初めて三国が勝ったホールになり、マッチプレイも久住と同じ5勝で、二人の戦いも大詰めを迎える事になった。
 
 最後の戦いの場はAコースという事で、三国、久住、相沢の三人にも疲労が見えていた。特に相沢は見るからに疲れが見て取れた。
「テルさん、大丈夫?」
 さおりが、ペットボトルの水を3本持って迎えてくれた。
「テルさん、汗凄いよ!」
「も~、こいつらと廻ってると、殺されちゃうよ」
 相沢は、ペットボトルの水を飲みながら、手を団扇のように扇いだ。
「ミック、追い上げ凄いよ!」
「まだまだ、これからだよ!」
 三国は、疲れた様子も見せず、ペットボトルの水を一気飲みして、涼しい顔を見せた。
「久住さん、どうぞ」
「サオリさん、このウザいロックンロール野郎を、Aコースで潰してみせるよ!」
 久住の鼻息の荒い言葉が返ってきた。三国を覚醒させた本人に焦りが見えている。さおりは、この勝負が見えたような気がした。
「皆さん、頑張ってください!」
 さおりは、スタートハウスに戻り、スコアの集計に専念した。3コースが終了した時点での集計をしてみると、この三国達のグループが頭抜けてスコアが良かった。しかし、他のグループは、カップの攻略に手こずっているのが、しっかり打数に表れていた。4位以下は、このグループと10打以上悪い結果になっていた。
「隆ちゃんのカップの成果が出てるような?」
「サオリちゃん、集計進んでる?」
 岡崎が、様子を見に来た。
「ミックのグループが、凄い事になってる!」
「へ~、どうな風に?」
 岡崎の目は輝き、さおりの言葉を待っていた。
「ミックがキンクスを2打差で追ってる展開よ」
「それで、トータルは?」
「ミックが76打、キンクスは74打、テルさんは79打って感じ!」
 岡崎は、このスコアに唖然とした。
「在り得ない」
「かなり厳しい位置にカップを切ったのに~」
「でも、他の人は10打以上離されてる」
「そうなんだ?」
「だって、4位以下は、10打以上スコア悪いのよ」
 岡崎は、納得した様子で頷いた。
「殆ど、この時点でスコアは100以上よ!」
 岡崎は、満足した顔をしながら、さおりに尋ねた。
「三国さん、勝てそう?」
「私の勘だと、ミックの逆転勝ちね!」
 岡崎は、その話を聞いて、鼻歌交じりでプレハブ小屋に戻って行った。
 
 Aコースでは、3ホールが終了して、4番ホールに戦いが移っていた。1番ホールは、三人共に3打でドロー、2番ホールも共に2打でドロー、3番ホールは、三国と久住が3打、相沢は4打という結果になっていた。
「ここは狙ってみるかな~」
 三国が打席に立って、ピンの位置を確認しながら、距離を念頭に打ち方の選択していた。
 因みに、Aコースの4番ホールは、35メートルのパー3という、狙えるショートコースになっていたが、グリーン手前のバンカーが侮れない存在になっていた。バンカーの砂もタップリ入っているので、捕まれば厄介な事になる。
 三国の選択は、ロブショットだった。バンカーを越えてグリーンに載れば、2打で行けると計算した。そして、見事グリーンにワンオンすると、腰を振りながら、ノリノリで久住の打席を見ていた。
「ミック、邪魔だから、視界から消えてくれ!」
 三国の仕草が気に障って、集中できない様子が見て取れた。
「悪い悪い~」
三国は、クラブのグリップを後ろのデニム挿して、お辞儀をした。その拍子にヘッドが三国の後頭部に当たって、こけて見せた。
「あのな~」
「お前の頭を打ってやろうか?」
 久住の怒りが頂点に達していた。
「ミック、少し黙ってろ!」
 相沢の言葉に、三国は舌を出して背を向けた。そのTシャツの背には、特大の赤いベロがプリントされており、それを見た相沢は、笑いを堪えるのに必死だった。
 久住は、苦虫を潰したような顔をしながら、ボールをライナー気味に打って、直接ピンを狙いにいった。
「お~、危ねぇ!」
 久住の打ったボールは、直接ピンに当たって右に弾かれ、5メートルほどカップから離れた。二人の様子を見ながら相沢は、冷静にバンカーを避けて打ち、3打で入れる堅い作戦に出た。
 三国は、右側に緩く傾斜しているグリーンを見ながら、下り3メートルのラインを入念に読んでいた。
「ボールちゃん、頼むよ~」
 三国の打ったボールはカップを掠めて過ぎて行った。
「強かった~」
 肩を落とした三国は、先に打って3打でホールアウトした。
次に上りラインを読んでいた久住は、慎重にボール打つと、今度はショートしてカップにボール1つ届かなかった。
「エッ、弱いの?」
 これを見ていた相沢は、10メートルの上りラインを強めに打つと、カップをひと廻りして、弾かれた。
「ついてないねぇ~」
 このホールも三人共に3打で終わり、ドローとなって5番ホールへと移って行った。そして、この5番ホールは三国と久住は3打で上がり、相沢は4打となり、また1つスコアを落としたが、二人の戦いはドローが続いていった。
 このような緊迫した戦いが8番ホールまで続き、いよいよ最終決戦の9番ホールに来た。このホールは谷になっており、しかもバナナのように曲がった形状でピンは見えず、さらにグリーンはお椀状のマウンドになっていた。因みに63メートルのパー5という、Aコース一番の難ホールであった。
「キンクス!ここで勝負だ」
「ミック!泣いても笑っても、これで最後だ」
 二人は、谷へ打ち下ろすコースを見ながら、緊迫したムードを楽しんでいるようにも見えた。相沢は、この二人をしっかり見届けるつもりで、気合を入れなおした。
「オレから行くよ!」
 三国は打席に立つと、両側に立っている木に当てないよう、慎重に1打目を打った。ボールは木の間をすり抜け、ピンが見える位置まで転がっていった。
「ミック、ナイスだ!」
 相沢は、三国のボールの位置を目視すると、親指を立てた。
続いて打席に立った久住は、木と谷の壁側の狭い隙間を狙って打った。ボールは狭い隙間を通り抜け、三国よりも近い位置にボールを運んだ。
「さすがキンクス、勝負に出たね!」
 三国は、頭を掻きながら、相沢の打席を見守っていた。
「二人には敵わないよ~」
 相沢は、二人のショットには惑わされず、確実に安全コースをコンパクトなスイングで、振りぬいた。そして、三国のボール付近まで持って行った。
 三国は2打目でカップを狙うかグリーンまでにするか一瞬迷いが生じた。しかし、ここで勝負を掛ける事にした。打席に立った時、キンクスに掛けた言葉を反故にするつもりはなかった。この約35メートルの距離を沈める、その為の戦いをしてきた自負があった。
「ここで勝負しないと、ロックンロールじゃねぇ~!」
三国はグリーンのピンを見据え、ボールを力強く転がした。するとボールはカップに向かって一直線に進み、お椀型のマウンドを駆け上がってピンにぶつかり、右に弾かれてマウンドから落ちて行った。三国は、そこにしゃがみ込むと、暫く立ち上がれなかった。
「ミック!」
 相沢は、掛ける言葉が見つからず、立ち尽くした。
 続いて久住は、約30メートル離れた位置からカップを狙っていた。三国の勝負を掛けた一打に応えない訳にはいかなかった。久住の慎重に振り抜いたボールは、ピンに向かって一直線に進み、一瞬カップに吸い込まれたように見えたがカップに蹴られ、左下にボールは転がって行った。
「また、蹴られた!」
 久住の無念な思いが伝わる一打になっていた。
 そこで相沢は、二人の様子をみながら、言った。
「先に、決着つけてくれ。打ちづらくてな~」
 三国は、押し黙ったまま、ボールの側に行くと、マウンドの斜面とカップの位置を確認し、すくい上げるように軽く打った。すると、ボールは見事カップの中へ吸い込まれていった。
「入った!」
 三国は力強くガッツポーズを取り、大きく息を吐いた。
「ここは意地でも入れないとな!」
 久住もマウンドの下から、ボールをすくい上げるように打つと、ボールはカップを掠めて反対側へ転がって行った。
「外れた~」
 久住は両膝を着いて、いつまでもカップを見つめていた。これを離れた位置から見ていた相沢は、言葉も出なかった。
「ミック、まだ勝負はついてねぇ~!」
 三国は、その意味を悟るのに、時間が掛かった。
「これをねじ込めば、スコアは同じでドローなんだよ!」
 三国は、マッチプレイはスコアで勝負が着かなかった時の為の対策であった事を思い出した。久住は既に1勝をしているので、アドバンテージがあった。
「そうだったな。マッチプレイを制しても、スコアで負けたら意味がねぇ~」
 冷静さを取り戻した久住は、真剣な面持ちで4打目を打った。ボールは斜面を上りピンにぶつかり、フェアウエイへと転がって行った。久住は崩れるように地面に座り込むと、声を絞り出した。
「ミック、お前の勝ちだ!」
 三国は転がったボールを見つめながら、久住の言葉を噛みしめた。そして、手を差し伸べると、久住はその手を掴んで立ち上がった。
「キンクス、痺れたよ!」
 二人は、空に向かって涙が流れないように笑っていた。その姿を見ていた相沢は、プレイを再開して4打でホールアウトした。
「久住くん、最後の一打が残ってるよ」
「あっ、申し訳ない…」
 久住は、涙を拭って5打目を沈めると、吹っ切れた顔でスタートハウスへ戻って行った。戦いを終えて戻ってみると、多くの参加者が疲れた顔で、たむろしながらプレイを語っていた。
「テルさん、お疲れさま~」
 さおりの明るい声が、三人を迎えた。
「ミック、おめでとう!」
「優勝よ!」
 さおりは、三国の肩を揉みながら、労った。
「こいつらの戦いで、寿命縮まったよ~」
 相沢は、疲れた表情でベンチに座った。
「キンクス、どうする?」
「約束だからな~、しっかり決めてこいよ!」
 久住は、晴れやかな笑顔で、三国の背中を叩いた。そこに、岡崎が現れると、三国は駆け寄って岡崎をヘッドロックに決めた。
「あそこまで厳しく切ってどうする!」
「みんな、スコア落として泣いてるぞ」
「三国さん、放してください、苦しい~」
 岡崎は、三国の背中をタップして、逃げようとした。
「三国さん、ブレイク!ブレイク!」
 それを見ていたさおりは、腹を抱えて笑っていた。

 全ての参加者がプレイを終えて戻ると、岡崎の切ったカップの位置がやり玉に上がる中、非難の矛先が来ないうちに岡崎は、早々にプレハブ小屋へ戻って行った。
 そして、さおりの集計が終わり、表彰式が始まった。各賞が発表されて、最後に三国の優勝セレモニーが始まった。
「優勝、三国譲二さん。おめでとう!」
 三国は、久しぶりの優勝に、目頭が熱くなった。
「スコアは、なんと102打でした。歴代優勝スコアのトップです!」
 すると、参加者のどよめきと、歓声が沸き起こった。
「実は、2位の久住さんのスコアも103打と、僅か1打差でしたが、凄いスコアでした」
 東出社長の二人を称えるコメントが終わり、六月の『月例大会』も無事に終了する事が出来た。そして、三国は優勝賞品をたくさん抱えて車に乗り込むと、大音量で「Jumoin’Jack Flash」を流して帰って行った。
「テルさん、二人の戦いは、凄かったらしいね~」
 東出が相沢にプレイの様子を尋ねてきた。
「最後の9番ホールは、まさに激闘だったよ!」
「間近で観てて、震えたねぇ~」
「そうかい、語り草になるね~」
 東出は、しばらく相沢と話し込んでから、ゴルフ練習場の事務所へ戻って行った。そのころ、さおりと岡崎は、テントの撤収と後片付けに追われていた。
「隆ちゃん、ミックはヨーコさんに告白するのかしら?」
「どうかな~?」
「ミックは勝ったので、『告白』の権利は持ってるよ!」
 さおりは、洋子の置かれている状況を考えながら、三国の動行に注目していた。
 
 大会が終わって一週間が過ぎ、七月になって、暑さも増していた。そして、久しぶりに三国が孫の修人くんを連れて、やって来た。
「ミック久しぶり~」
「あらっ、シュートくん、こんにちは!」
 さおりの明るい声が二人を迎えた。
「娘さん、お出かけ?」
 三国は、小さく頷いた。
「そう言えば、告白した?」
「どこに、そんな機会があるんだよ!」
 三国は、ため息をついて、さおりを見た。
「ミック、社長に頼んでみようか?」
「えっ、頼むの~」
「それ以外、方法ある?」
 三国は、眉間に皺を寄せて唸った。
「パスしようかな~」
「あら、キンクスとの約束、反故にするつもり?」
 三国は、バツの悪そうな顔をして、孫の手を引いてコースへと歩いて行った。
「三国さん、来てるの?」
 岡崎が、三連グリーンモアに乗って、洗い場から戻ってきた。
「シュートくんと一緒よ」
「そういえば、ヨーコさんもしばらく来てないね!」
「いろいろあるから~」
 さおりは、首を横に振りながら、腕組みをした。
「ミックが来たようだね~」
 東出社長が、スタートハウスの前に立っていた。
「サオリちゃん、ミックが戻ったら、レストランまで来るように伝えて!」
「何か、あったんですか?」
「例のヨーコさんの事で、話しがあるの!」
 東出は、さおりの顔を見た。
「ヨーコさん、実家に帰るんだよ」
「実家って、どこですか?」
 さおりは東出に食いつくように尋ねた。
「私も、玲子先生から聞いて驚いたよ!」
 さおりは、嫌な予感を感じながら、東出の言葉を待った。
「鎌倉だよ!」
「そんな~」
 東出は、沈痛な面持ちで話を続けた。
「ヨーコさんの実家は、三代続く町医者で、今はお兄さんが継いでいるので、そこを手伝うみたい」
「何とか、ここに残る方法はないんですか?」
 さおりが、すがるような目で東出を見つめた。
「しかも、副院長がお兄さんの友人で、その人と一緒になるようだね」
「ヨーコさんに彼氏いたんだ!」
 さおりは、ガッカリした様子で、顔が暗くなった。
「玲子先生もヨーコさんから明かされて、ビックリしたようだけど、夫のガン治療の時に、その人に相談していたらしいの」
「しかも、ヨーコさんが勧めたいガン治療と、弟の副院長の施す治療方法とで揉めてたらしくて」
「最悪~」
 さおりは、腕を組んだまま頬を膨らませた。
「亡くなった後も、ずっとヨーコさんを励ましてたようで、それを見ていたお兄さんが、副院長との結婚を薦めたらしく、それをヨーコさんが了承した」
 東出は、事の顛末を告げて、事務所へ戻って行った。
「ミックが、かわいそう~」
 岡崎は、複雑な思いが交錯して言葉が出なかった。
「オレには、お手上げ!」
 さおりは、コースから戻ってきた三国に、ゴルフ練習場のレストランで東出社長が待っている事を伝えた。
「サオリちゃん、何のことか聞いてる?」
「ヨーコさんの事みたい!」
 さおりは、努めて平静さを装ったが、引きつった笑いに、三国も察しがついた。
「じゃ~、行ってくるよ!」
 三国は、孫をさおりに預けると、レストランへ歩いて行った。その後ろ姿には、哀愁が漂っていた。
「シュートくん、お姉さんと待っていようね!」
 
 しばらくして、三国がサバサバした様子で戻ってきた。
「シュート、帰るぞ!」
「ミック、元気出してね」
「ヨーコさんのお別れ会するから、来てくれって!」
 三国は、諦めた様子で、口ずさんでいた。
「~Angie, you’re beautiful. But ain’t it time we said good-bye」
※(The Rolling Stones:Angie)
 さおりは、掛ける言葉も無く、三国の立ち去る車を何時までも見ていた。

レストラン


 それから数日して、レストランで洋子のお別れ会が開かれた。そこには、相沢、三国、久住、安友等の姿があり、洋子のお別れの挨拶があった。
「今日は、皆さんの温かい心を一生忘れません。それから三国さん、久住さん、お話しは東出社長から伺いました」
 三国と久住は、悪戯小僧が説教されているような顔付で、神妙にしていた。
「お二人の熱い戦いは、相沢さんから聞きました」 
 洋子の目頭が熱くなり、言葉が詰まった。
「私は、幸せな女だなって~」
 三国は、その言葉を聞いて報われたと思った。
「ヨーコさん、オレとキンクス、もとい、久住は十分素敵な恋を楽しんだ。鎌倉でも、パークゴルフ続けてください!」
 三国も目頭を熱くしながら、尚も笑顔を作ろうとしていた。
「ヨーコさんは、明日の飛行機で旅立ちます」
 東出社長が、洋子の新しい門出を祝って、乾杯の音頭を取り、お別れ会が滞りなく終わった。
 さおりが、スタートハウスへ戻ると、岡崎は、コースの陽当たりの良い場所をホースで散水をしていた。
「隆ちゃん、お疲れさま~」
 さおりは、アイスクリームを持って、岡崎の所へ行った。
「ヨーコさんのお別れ会、終わったところよ!」
「三国さん、来てたの?」
「キンクスも来てたよ!」
「二人とも、呼ばれたんだ」
 岡崎は、意外な感じがして驚いた。
「社長は、あ~見えて、気配りの人だから!」
 さおりは、アイスを食べる岡崎を見ていた。
「でも、あれで良かったんだと思う」
 さおりは、しみじみと呟いた。
「社長の勘も鋭いよ~」
「何の話し?」
 さおりは、岡崎の話に耳を傾けた。
「三国さんと久住さんのバトルが始まった頃、あそこで言ったんだ」
 岡崎は、Cコースの2番ホールを指さした。
「何を?」
「ヨーコさんに、『彼氏がいるよ!私の勘だけど』って」
「そうだったの!」
 さおりは、目を丸くして驚いた。
「女の勘は、鋭いのよ!」
 岡崎は、口に着いたアイスを舐めるとホースを片付け、帰りにスタートハウスへ寄り、夜に回すスプリンクラーのタイマーをセットした。
 
 熱い夏と、爺い共の熱い戦いも終わり、十月を迎えると、パークゴルフ場の冬囲いが始まった。岡崎は、雪の下になる木々の囲いに追われていた。植栽が至る所にあるので、大きさによって、縄で縛ったり筵で囲ったりしながら、順番にAコースから作業を進めていった。
「あらっ?雪虫」
 さおりがホット缶コーヒーを持って現れた。
「隆ちゃん、お疲れ~」
「さすがに、寒いわね~」
 宙をゆっくりと舞う雪虫は、葉を落とした木々をいっそう寒々しく見せていた。
「雪虫が飛ぶと、初雪も近いね~」
 岡崎は、どんよりと垂れ込めた雲を眺めながら、呟いた。
「なんか、温泉でも、行きたいな~」
 さおりは、腕に止まった雪虫を眺めながら呟いた。
「一緒に行く?」
 岡崎は、真面目に訊いてみた。
「やめとくわ!」
 さおりは岡崎の目線を外して、後ろを向いた。
「オレ、夢見たんだよね~」
「どんな?」
「サオリちゃんと温泉行く夢!」
「ほんとに?」
「一緒に、露天風呂にも入ったよ」
 すると、さおりは目を見開いて叫んだ。
「あたしのオッパイ見たでしょう!」
 岡崎は、吹き出して呟いた。
「バスタオル巻いてたし~」

                               終                       
 

 


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