思考の断章

・歴史学とは、時間の切っ先にいる意識の「反省」である。類としての反省。人類の内省としての歴史。

・独我論は常に正しい。フッサールの独我論が「感情移入」に頼らなければならなかったように、人は他者へ自己の魂を投影することしかできない。他者というのは人間ではなく、自然でもあり得る。独我論とアニミズムの接点。

・聖典主義を超えなければ宗教に未来はない。紙を一掃しなければならない。

・思いがある故に思いがある。

・不道徳な真理は口にすることができない。

・社会構築主義、言語的観念論は正しい。性別というものは言語によって構成されている。言語と世界は相即している。言語的観念論は致命的に正しいが、言語とは何かが一切分からない。

・独我論的夢に出てくる言葉というものは他者であるのか?言葉の意味は普遍である。言葉はイデアである。言葉は他者を前提としている。独我論は言葉によって論破される。

・世界に意味がないということはあり得ない。意味がなければPCも林檎も認識することができない。虚無も意味であるし、価値も意味である。人生の苦悩は人生に意味がないことではなく、意味にがんじがらめにされていることから起きる。解脱とは意味の脱落に他ならない。

・思考停止をするのは死ぬときだけだ。無常だから何も停止しない。政治思想や宗教に言われる思考停止は、懐疑の放棄というほうが正しい。懐疑のない人間は古代に生きている。近代は懐疑の時代である。

・懐疑は懐疑によってしか乗り越えられない。フランクルは「私たちが人生に意味を問うのではなく、私たちが人生に問われている」と言うが、レトリカルな偽善という他ない。コンクリートの現実の中で懐疑して求め続けることが公案である。

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