20200103 無題

 酒を呷ったところで嘉すべきことなど一つもない。功徳など詰める訳もなく、ただ不徳を致すばかりだ。それだというのに、頭では理解していながらに、心がどうしてもとごねるものだからまた一杯、もう一杯と呷り、酩酊に近づいていく。僕の逃げ道を奪われて堪るか、と喚くのは僕の悪い癖だし、それに付き合わされる友人の身にもなれば汗顔の至りだった。今日も泥濘んだ逃げ道に足を取られている。
「あいつは糞尿だ! 馬鹿だ、愚図だ、ノータリンだ! 死んでくれたらと望まない時はないね!」
「何だよ、癇癪起こして。気が触れたか」
「どうもこうもない、僕は今、苛々しているんだ!」
「見りゃあ分かるさ」
「ほら、訊けよ。どうしたんだ、話を聞くぞ? って訊けよ」
「どうしたんだ、話を聞くぞ?」
「ああ、懇切丁寧にどうも」
 アセトアルデヒドに打ちのめされること請け合いの腎臓を勘定に入れず、感情の箍を外した僕には敵しかいなかった。
「あの盆暗は今も僕に苛立ちを生み続けている。赦す訳にはいかない。赦せば僕自身を否定していることになる。今や自己肯定や自己賞賛で手一杯だ。お前の相手なんかしている暇はないんだよ」
「滅茶苦茶な言い分だな」
「喧しい! 僕の話に茶々を入れるなよ!」
「一人でお祭り騒ぎだな。聞かされる身にもなれ」
「すまない。折角、僕の話に耳を傾けてくれているのに」
 友人はビールの入った中ジョッキを傾けながら、手をひらひらとさせて僕の話を促した。
「あのKという輩はなんなんだ。心底軽蔑するくらいに知性がないな!」
「まあ、そういう気持ちはわからんでもないが」
「そうだろう? どうなってるんだよ、ボノボの方が随分と仲良くなれるだろうよ」
「類人猿は流石に難しいんじゃないか」
「いいや、違うね。僕が素っ頓狂人であることは百も千も京も恒河沙も知っているが、これだけは真実だ。信じるに値するさ」
「なんだって、そんなに毛嫌いするんだよ」
「お前には感じないのか」
「いや、まあ、そうだな……。お前とは合わないと思うけれど」
「そうだ。今まで我慢してきたが、もう限界だ」
「わかったから、話を聞くから、酒はもうやめとけ。水いるか?」
「五月蝿いぞ、小童が。僕はまだ飲み足らん」
 友人は、「ああ、また始まったぞ」とでも言いたげに半眼でこちらを睨めつけている。僕も負けじと睨め返す。瞼の筋肉が千切れてしまったのかほぼ開きはしなかったが。
 僕は、「大変申し訳ございません!」と声を荒げ、呼び止めた青年に二人分のハイボールを注文した。彼が、「はーい! 承りました!」と元気よく返答するその気概に感動を覚えた。世の中にはこんなにも溌剌とした善意が残っているのだ。「御足労おかけ致します!」と謝辞を述べ、一旦テーブルへ突っ伏した。
 ものの数秒で届いた薄黄金の炭酸水を受け取ると、僕は再び話し出した。
「気に食わないことばっかりだ。どうしてあんな詰まらない人間がいるのかね。糞詰まりの会話ばかりでエスプリの効き目がない。あっ、詰まらないのに糞詰まりってどういうことだ。これは愉快だ」
「お前こそ」
「僕のことはいい。棚上げをさせろ」
「ああ、そうね……」
「退屈そうにするな、寂しくなる」
「はいはい。それで、結局何なんだよ」
「僕はね、気に食わないのさ! あいつの態度が!」
「どう気に食わないのさ」
「あいつは本当に空気というものを読みはしない! 吸えずにくたばればいいんだ。学すらないのに、わざわざ面白くもない話をしやがる。そりゃあ僕だって誇れる学はないさ! それでも人が集まって和気藹々としてる場であれはなんだ! 会話を一寸止めてから犬畜生も食わんようなことを宣って、一人で笑ってやがる。周りに気を使われていることに気がつかないのか? 馬鹿なのか? ああ、馬鹿か。パープリンだからあんな芸当ができるんだ」
「それはあるけれど」
「何より赦せないのは自分は嫌われないと思ってやがる」
「それはどうだろう?」
「いいや、違いないね。あいつは自身に嫌われる要素がないと思ってる。僕は違うさ。人それぞれの感性があって然るべきだ。お前はこうやって付き合ってくれてるのだから、少なからず僕のことを嫌いじゃないだろう? それでも、僕は理解しているのさ。こんな人間なんだ。嫌う奴もいて当然だ。そうあるべきさ。僕だって僕を嫌う奴なんか嫌いだね。両想いってことだ。懸想人のことで胃炎になりそうだ」
「ううん、まあ、お前のことは嫌いじゃないよ。長い付き合いだ、もう慣れたさ。他はどうだかわからんが……」
「なんだ、長年連れ添った夫婦か? 慣れの先には飽きがある。どうせ僕は捨てられるんだ。倦怠期が怖いよ」
「おい、途端に面倒なこと言い始めたな」
「とりあえずだ。僕は赦せないんだよ。責任の種を撒くだけ撒いて、収穫できないなら死んでしまえってんだよ……」
 僕はおもむろに立ち上がり、「憚りへ行く」と、友人を置き去りに席を離れた。
 大便器と熱い抱擁をすると、胃の内容物は流転し綺麗さっぱりと溢れ出た。心の澱と共にそれらを水洗の渦に飲ませると僕は鼻をかんだ。気持ち悪い甘さと酸っぱさが食道を焼いている。ああ、一体僕は何がしたかったのだろうと思いながら顔を洗った。
 鏡面に映る蒼白を塗りたくった表情はひどく不細工だった。

映画観ます。