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【読録】My Stroke of Insight

ジル・ボルト・テイラー(1959年5月4日生まれ)
アメリカの神経解剖学者、作家、講演者。

テイラーは兄の精神病のために重度の精神疾患を研究を開始。1990年代初頭、彼女はハーバード大学医学部のポスドク研究員であり、細胞が互いにどのように通信するかを判断するために脳のマッピングに携わっていました。

1996年12月10日、テイラーは大規模な脳卒中を発症。脳卒中の彼女の個人的な経験とその後の8年間の回復は、科学者とスピーカーとしての彼女の仕事に影響を与えました。

それが彼女の2006年の著書「My Stroke of Insight, A Brain Scient's Personal Journey」のテーマです。

from  Wikipedia

往時、癲癇患者の脳内脳梁(右脳と左脳をつなぐ箇所)を切開分離することで、大いなる結果(癲癇症状の沈静)を得ることができたと発表された。

症状が出なくなる事はいいんだが、加療施術の被験者におけるメンタルに及ぼす深刻な影響は、「症状が治まったんだからイイだろ」と言わんばかりに大々的に取り上げられることはなかった。

感情をまったく失ったかのごとき容態を見せるものもあれば。人が変わったようになってしまう、といった症例もあったという。

そうした事態の深刻さから、そのメソッド(脳梁切開分離手法)が以降の癲癇患者に施されていないのが証左と言うオチ。

これ。
被験者の皆さんは大変だったかと思います。

実験的手法…というヤツですな

さて。
本作邦題「奇跡の脳-脳科学者の脳が壊れた時-」著者はジル・ボルト・テーラー博士ということになります。

イントロ通り。博士は37才で脳卒中(脳内の血管障害で脳が血液に浸される状態)発症。以降の8年間をかけて社会生活が送れるようになる過程を思い出しつつ。

科学者の知見で、彼女の内面と脳内のたどった日々を、わかりやすく分析表現してゆくという作品でした。

我々が思う「ジブン」ってどこからどこまでが自分なのか。

肉体をもって一個人とするなら、切った髪の毛や捨てたはずの爪、フケや唾液も極論すると「ジブン」もしくは自分であったモノという事になる。

排泄物や新陳代謝の老廃物までもは、自分とは…フツー思わんでしょ。(笑)

ジル博士が本作で言う「右脳」だけが活動する状態に、脳卒中のせいでなった時。記憶や知識、経験や言語を操る部位が(彼女の場合は左脳にあった)活動を停止していたので。

自分の思う自分の境界が曖昧になり。明るく、世界のすべてと一体になる感覚を味わったというオハナシでした。

世界だけじゃなくて宇宙(意志とでもいうか)と一体ともいう、感謝と慈愛に満ちた瞬間だった、と語っておられます。

ルイ•アームストロング先生の歌が聞こえてきそうですよ…すばらしきこの世界。

にんげんなんて、ララ・ラぁららららァ♩

物体の構成最小単位、量子力学における分子や電子レベルでいくと。

我々が自分と思っているこの身体も、「ツブツブ」の寄せ集まりでできているという事になるそうで…。

ジル博士いわく、つながりや結びつきが解けていくイメージにて、「ジブン」の範囲が、ツブツブの散逸するように拡がって行ったということです。

そんな状態で、ガミガミと段取りや仕組みやきまりを振りかざして、ヒトに物事や動作を要求するヒト(一部の医療従事•介護現業の方)との応対で感じられたのは。

右脳の直感的な感覚として、とてつもない冷たさとともに。ヒトの前向きに生きていこうとするエネルギーを吸い取るだけの存在に感じられた、とも仰います。

いやぁ…居るよね。
居るというか、時と場合によっては誰しもそうなる場合もある。と、しときましょうよ。揉めちゃうから。

それらの状況(記憶や経験、経歴や社会的な立場と一個人を肉体の範囲内に止めることで安心できるヒトやモノ)こそは、左脳の働きなのである…と、ジル博士は感じてゆきます。

脳科学者だけに実体験も分析しちゃうのよね。

我々が、現在を現在として。(ジブンがたどってきた)経験や経歴を過去として記憶するから、現在や過去、そして明るいとも暗いともいえない未来が未来として存在する。

そう(左脳で)感じながら、我々は過ごしてるだけで。

もしかしたら、存在してるのは「今」だけなのかもしれず。
ひとりひとり向けにしか(自分を自分として自覚してる一個人向けにしか)宇宙や世間や社会は存在してないんじゃないか、というハナシですよ。

そうした左脳の働きで…個々人の時間や世界線が形作られる反面。右脳の働きはそれらに縛られることはまずない、ということらしいです。

あぶな坂を越えたところに、アタシは住んでいる。

左脳は因果関係や利害で人を好きになったり嫌いになったりしますが、右脳は直感的かつ時間軸や利害では判断しない特性をもつわけで。

ニンゲン様の場合。この、右脳と左脳が脳梁でつながっちゃってるから…一筋縄にならないんですね。

右脳で好きになっても、左脳で「結ばれるわけなんか、ねーだろ。頭おかしーんじゃねぇの?」と、ネガティブに…いや、謙虚に自身の行動を抑制して。社会的な生活を営むわけですよ。ヤダねぇ。ヤダヤダ。(談志風)

ヒトは本来。生命力に満ちあふれ、信頼や愛情に恵まれてこそ。社会や世界、宇宙との結びつきに感謝しながら、温かい気持ちで毎日を過ごすことを望むイキモノなんでしょうな。

それが。
自他彼我の境界にしがみついて、ダレの作ったかわからない価値観や規範に従わされ。どんどん、ジブンの枠を狭め。

どうかすると、ジブンの心まで壊してでも、ナニかやダレかに支配されることで、ゆがんだ安心に依存する。

「これ、本当はおかしーんじゃねぇか?」と、思ってても。分かっててもそう出来ない様に、ジブンでジブンを追い込んでゆく。やっぱ、バランスは大事。

ジル博士は8年間かけ、少しづつ学者になって活動をするまでに至った知識や経験を取り戻して行くのですが。

右脳だけで生活をするハメになって、初めて感じたイキモノとして感じた幸せなあの瞬間を。人からの賞賛や、社会的な生活を優先して、失ったり忘れることだけはしたくない。と、回復への道のりで考えていたそうです。

それが、以降の彼女の講演活動の主幹•主題でもあるんでしょうね。

脳の見せる景色。見たくてそう見えるのか、あるいはそれとも。

この本。
色んな意味で示唆に富んでます。

死後の世界や現世での在り方。人として過ごすうえでナニが一番(脳の働きにとって)バランスよく大切なことなのか。

前世も、来世も。現在や過去•未来も我々の記憶や経験が作り上げて見せてくれるから、そうなってるだけなのかもしれないとすると…。

今をもっと大切に。充実したものとして生きていくことこそが、大切なことなんじゃねぇの?

ジル博士はそう言ってる様な気がして…の、読了でございました。

皆様もよければ是非ともご一読くださいまし。
各々のインナースペースに思索のひとときが過ごせる…かも。です。

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