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禅語 身心脱落 無心のビジネスへの道 「成功も失敗もない 豊かな体験をしましょう」

日本は「失敗を探す」ことが好きなお国柄といえます。

失敗の原因を特定して次に生かす。ミスを減らしていく。

トヨタ自動車はこの考えで、世界一故障しない車を作りました。スポーツでもミスを減らすことは上達への道とされています。

では、それ以外に道はないのでしょうか。

ミスを考える上で大事なポイントがあります。
それは、ミスすることを恐れていないかということです。


ミスは本当にミスなのでしょうか。私はそうは思いません。

では、ミスではなくて何なのでしょうか。それは、すべて体験です。

ここで申し上げたいのは、指導者が「成功も失敗もない。すべては体験だと思え。」とふりかざしている根性論ではありません。

何かの考えを別の考えで強制的に塗りつぶそうとしても、それは無理です。
メッキはどれかけ塗ってもどこかで剥がれ落ちるのです。

日本では「ミス」を恐れる傾向が強いです。
それは、ミスが許されないから。

子供のころから、これは失敗だ。なぜ失敗したのか。
どうすれば失敗しないかという考え方を先生や指導者から何度も聞かされていることも起因しています。


ミスというのは概念でプレーを捉えている状態と言えます。
そうではなく、自然に「体験」という感覚を持てるようになるか。

禅では、すべてが体験とされています。
いかにすべての体験をありのまま受け取れるかを、修行を通して体感するのです。

体験という感覚は「まっさら」です。

成功や失敗という概念は、体験を深めることを妨げてしまいます。

仕事やスポーツにおいて、体験という感覚の豊かさを感じられるか。
これは、私自身のテーマでもあり、禅×メンタルトレーニングの挑戦でもあります。


仕事でいえば、何度もケアレスミスをする。
プロジェクトの納期に遅れる。
目標を達成できない。
お客様の信頼を失う。

仕事を上手くやっていく上では、失敗とされる体験です。

これらをミスとして捉えると、ミスを恐れるようになります。

恐れというのは、何か悪いことを予想して、そうならないようにするという働きです。恐れは良い悪いではなく、自分を危機から守ろうとする働きです。

ただ恐れが増幅してくると、どこかでミスを恐れてミスをするようになるのです。これは仕事やスポーツにおいての体験を小さくしていきます。


「身心脱落」という禅語があります。
禅の師匠の老師は、「どうせすべてのことは自分の思い通りになることではない。自分を投げ出しなさい。ゆきつくところにゆきつきます。」と説かれました。


自分という我を捨てることで、自分を引っ張ってくれている力の存在に気づくことと言えるかもしれません。

いわゆる「ゾーン」体験があります。
ゾーンはスポーツだけではなく、仕事や日常の中で起こっています。

なかなか言葉にするのは難しいですが共通しているのは、「気がつけば記録が出ていた」「何か大きな力が働いていた」「自分という存在が消えて、何か流れに乗っているような感覚だった」という感覚です。

この状態では、「ミス」という概念は消えています。

「ミス」を恐れていると、ミスに囚われたミスが起きます。

まずは、その大前提である「ミスしてはいけない」という考え。
さらにその源流である「これはミスだ」というジャッジから自由になれるか。

これは頭で考えても解ける問いではありません。
いろいろな体験の中から、気づいていけるか。

人の心は正しい、間違いというジャッジに溢れています。
まずは、「ミス」という当たり前になっている考え方がジャッジであることに気づいていきましょう。

ちなみに皆さんの中には「ご縁」ということを大事にされている方もおられると思います。「ご縁」ってその時にはわかりません。

周りからは無意味だと否定されてもただ続けてみると、数年後にこの人とのつながりってこういう意味があったのだと気づくことがあります。
意味は後から分かるのが、ご縁です。

ミスすると落ち込みます。
思いきり落ち込んでもいいと思います。
反省して次に生かしていきましょう。

しかし、本当の意味は数年経たないと見えてこないのです。
逆にいえば、数年経てばミスはミスではなくなっているのです。

「あのときの経験があったから今がある」

第一線で活躍しているビジネスパーソンは、皆さんそう言います。

まずは、体験という世界に飛び込んで見る。
予想するのではなく、まずやってみる。
その激流の中で必死に泳ぐ。

そこでどういう自分が現れてくるでしょうか。

最初は力が入っているでしょう。それでいいのです。
途中で泳ぐことを諦めるかもしれません。それでいいのです。
他の人を羨んだり、責めたりするでしょう。それでいいのです。

もうダメだと思ったとき、フッと力が抜ける瞬間があります。

そのとき、何が顕れてくるでしょうか。


体験という感覚は、貧しくも豊かにもなっていきます。

自分を守っているとき、それは周りからどんなに成功だと言われていても体験は貧しくなっていきます。

自分を投げ出しているとき、それは周りからどんなに失敗だと言われていても体験は豊かになっていきます。


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