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【禅とコーチング】 自分の言葉から自分ではない「nobody」の言葉へ

言葉を上手く使いたいという人は多いです。そのような方は、たとえば、次のようなことを意識されています。

いかに上手く伝えるか。
納得してもらうか。
誤解がないように正確に伝えるか。
反発を生まないように柔らかく伝えるか。

ビジネスだと、次のようなことです。

部下に動いてもらうための言葉遣い。
チームをまとめるための言葉遣い。
メンバーにやる気になってもらうための表現。

書店に行けば、こうした言葉遣いや表現方法に関する本がズラリと並んでいます。言葉での表現力をもっとつけたいというクライアントさんも多いです。

言葉は力があるだけに、どう使うかによって、人を癒やすこともできますし、傷つけてしまうこともあります。まさに両刃の剣です。

言葉を使うというアプローチでは、言葉は未完成なのです。

あなたも経験されたことがあると思いますが、言葉では伝えきれないことがあります。

言葉にするほど、本当の思いから離れていくというもどかしさ。私自身、言葉にする難しさを日々感じます。

先日、禅コーチング講座をオンラインで初開催しました。

今回の講座では、皆さんから今抱えている課題や悩みを一つ持ってきていただきました。

参加されたある方が、次のようにご自身の経験を語ってくださいました。

「自分は63歳ではじめて結婚しました。まずは友達から関係を深めていければいいなと思っていたのですが、出会って3回目のデートで、自分からプロポーズをしていました。今までの自分では考えられない行動です。今とても幸せなのですが、私の問いは結婚の意味なんです」
(※掲載についてはご本人の同意を得ています)

これは特に悩みではないそうですが、結婚の意味という問いが湧いてきたので、言葉に出してみたくなったそうです。

赤野も、食堂をはじめたときに同じような感覚でした。別に食堂をしたいと思っていた訳ではありません。ただ、1人の女性に出会い、彼女の思いに触れたときに、応援したいという気持ちがわき上がってきたのです。気がついたら「食堂をしませんか?」と提案していました。

これは、自分の言葉ですが、自分でも、あのときなぜそのような言葉を発したか、よく分かりません。理由は分かりませんが、なにか解き放たれた感覚がするのです。



このように自分の言葉を超えた「無心の言葉」があります。

あのとき、なぜ言ったのだろう?

今でもよく分かりません。自分で理解できるレベルを超えています。

意味は、死ぬまで分からないかもしれません。
でも、なにかに導かれている気がする。
あれしかなかった気がする。

これは、「いのち」から生まれた言葉とも言えるでしょう。



本来、言葉は1人では完成しないのです。



本がまさにそうでしょう。最後は、読者がその本を完成させるのです。

言葉だけではありません。そもそも私という存在は、自分だけでは完成しません。空気、重力、水など、助けを借りなければ、存在さえできないのです。



一方で、自分の力だけで生きているように感じる時があります。そういうとき、周りがバカに思えます。あるいは、「まったく自分のことを理解してくれていない」という不満が生まれます。

これは、自分だけで世界を完成させようとしている状態といえます。そういうとき、世界は止まっています。自分だけで完成させようとする言葉は、独りよがりになります。

以前、世界が止まっていませんかということをお伝えしましたが、自分が動かないぞと力んでいるとき、世界は止まっています。

世界が止まっていませんか?の記事はこちら

生かされていること、助けられていることを忘れたとき、言葉は未完成のまま宙に浮きます。それは苦しみになります。

もし今、あなたが試練に立たされているとすれば、それはあなたを動かそうとしてくれているのです。「世界は動いている、あなたも動きなさい」というサインなのです。


力を借りることで、世界が動き出します。


禅コーチングは、周りの力を借りることで、言葉を完成させるプロセスといえます。

例をあげると、クライアントさんがコーチングを申し込んでこられるとき、それは人の力を借りることを決意したときです。言い換えれば、自分の力の限界を感じたときと言えるかもしれません。

自分だけでは言葉は完成しません。力を借りることで、言葉は完成します。



あなたにとって、未完成の言葉とはなんですか?完成させたい言葉は?

そこにあなたの人生のテーマがあります。



私の場合、未完成の言葉は「苦しさ」のように思います。自分だけでは完成しない言葉です。

クライアントさんとセッションしていると、さまざまな苦しみに出会います。そのとき、心からの共感が湧き出してきます。

苦しみがつながったとき、それは「希望」になります。



1人で言葉を完成させようとしていたとき、苦しみは孤独な言葉でした。でも、コーチとしてクライアントさんと出会う中で、苦しみはつながりの言葉になりました。



坐禅も、1人で坐っていますが、実は1人でするものではありません。周りとつながるものです。

ただ現代社会では、1人で坐るのは結構、難しいです。だから、2人で坐ろうということになるのではないかと思います。

2人でする坐禅が、私のやっている「禅コーチング」です。

セッションでは、2人でいっしょに言葉を完成させていきます。これって、とても豊かな時間なんです。



あるとき、禅の師匠である藤田一照老師が、「LIFE」には3つの層があると話されていました。

まずは「生活」の層です。仕事や経済、衣食住などをふくめ、いかに豊かな暮らしをするかという視点です。

次は「人生」の層です。人生の意味や価値です。なぜ生きているのか。自分がやっていることがどのような価値があるのか。

生活と人生については、「私」で語ることができます。私の生活、私の人生・・・ここまで「我」の世界であり、言葉にすることが出来るのです。

最後のLIFEは、「いのち」の層です。

「いのち」は「無我」の世界であり、個人の存在を超えています。

藤田老師は、生活と人生の層は「I am somebody.」であり、いのちの層は「I am nobody.」と翻訳されていました。

一般的なコーチングのテーマは「生活」と「人生」です。

ただ、自己実現の視点では、個人の「我」を超えていくことはできません。いかに、自分がない「nobody」の体験ができるかが重要です。

「nobody」の体験ができるのが坐禅です。禅を学ぶ中で、坐るだけが坐禅なのではなく、すべての行為が坐禅であると気づかされました。

そして、坐禅としてのコーチングがあるのではないか。そんな仮説を今いろいろ試行錯誤しています。

自分の言葉から自分ではない「nobody」の言葉へ。いのちから生まれる言葉が無心の言葉ではないだろうかと思っています。

最初にお話しした結婚のプロポーズのように、言葉は完成してくれるのを待っています。

言葉を完成させるためには、受け取ってくれる人が必要です。

ただ、残念ながらこの世には、言葉を受け取って、完成させてくれる人が圧倒的に少ないです。だから、未完成の言葉が溢れているのです。

それは、世の中のさまざまな苦しみとなって、私たちの世界を覆っています。

発するよりも前に、受け取る力、言葉を完成させる力を磨きましょう。

受け取ることができれば、発することは自然にできるようになります。

今回の記事を皆さんがどう完成させてくださるか楽しみです。



今言葉がやってきたので、私もまだよく分かっていませんが、少し付け加えておきますね。

言葉が完成するのは、成仏するということかもしれません。成仏とは、死ぬことだけではありません。「即身成仏」といって、生きたままで仏の姿を体現することもできるのです。

受け取ることで誰かの言葉の完成(成仏)をお手伝いするのは、禅でいう「布施」と言えるかもしれません。




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