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人とズレていていい 人間とは「間」を生きること

先日、ある方から「赤野さんは人とズレてますね」と言われました。

今、京都からだ研究室の後期講座を開催中です。今回の講師である身体研究家の松田恵美子先生から講座の後、電車に乗っているときにかけられた言葉です。

京都からだ研究室についてはこちら

松田先生によると、そのズレがとてもいい味を出していて、場に安らぎや面白さをもたらしているのだそうです。話はそこで終わりました。



私の何がズレていたのだろう?ズレが安らぎ??



ずっと禅をいっしょに学んでいる仲間によると、私は、分からないことがあったとき、自然に「分からない」と言うそうです。また、できないことを隠さないそうです。

仲間たちによると、「(私が)疑問や、わからなさをしっかりごまかさずにいてくれて、共有してくれるから、ほんとうに有り難い」ということでした。

どうも普通は言わないようなことを言ったり、躊躇することをやったりするようです。

私は、ただ一生懸命にやっているだけですが、このように言ってくれるのは嬉しいですね。人とのズレが「いい味」になっていれば、今までの人生とは少し違う展開かもしれません。



というのも、子供のころから、人に合わせるのが苦手で、今でも大勢の場にいくと不安に襲われるからです。場にうまく馴染めないのです。

どうも、私は場の空気とズレる特徴があるようです。必死で合わせようとするほど、浮き上がるのです。上手く合わせられない自分へのもどかしさ。ずっと人と合わずにズレることへの怖さがありました。

日本には「和」という特徴があります。これは人への気遣いやおもてなしという良さでもありますが、見えない同調圧力も強いです。場にそぐわない人を排除する傾向がありますよね。

だから私は、どこかで場やグループから排除されまいと頑張っていたのだと思います(結局、上手くいきませんでしたが・・・)。

私がアメリカに惹かれた理由は、これなのかもしれません。

アメリカには多様性があり、それぞれの個が尊重されています。他に合わせる必要はないという自由さもあります。場の空気を読むことよりも、自分の意見を主張することに重きが置かれているので、「個」を大事にする人には合っていると思います。

しかし、アメリカに行ってみて分かったのですが、私は自己を主張することにも疲れます。どちらが正しいのかジャッジをはっきりさせる場にも違和感を覚えます。



人に合わせるのは苦手。
個の正しさを主張し合うのは疲れる。



日本でもアメリカでもない。こんな私に居場所はあるのだろうか。

私の中の違和感は、社会の問題ではありませんでした。私自身のあり方なのです。



そこで出会ったのが禅でした。

最近、その場に「ただいる」ことが少しずつできるようになりました。

人といるとき、ただそこにいる。
グループで何かをしているとき、ただそこにいる。

逆にいうと、何もしようとしないということです。



ちなみに坐禅をしていると、緊張した状態では呼吸が苦しくなります。人は緊張すると、歩いているときに手足が同時に出るような状態が起こります。呼吸でズレがないと、息は苦しくなります。

息を吸おうとすると吸えません。吐こうとすると吐けません。意識で呼吸をコントロールしようとすると、動きがギクシャクするのです。

なんとかしようという意識が強いときほど、息は乱れます。




人といるときや、大勢の場にいるとき、私は「なにか」をしようとしていました。合わせよう、妥当なことを言おう、嫌われないために、評価されることをしよう・・・

ところが、なにかをしようとするほど、周りとの違和感ばかりを感じ、いっしょにいることが苦しくなります。

これは心と身体にズレがない状態です。

なにもしないために大事なこと。それが「ズレ」です。




「ズレ」を別の言葉で表現すると「間」です。坐禅では、息と息の「間」を大事にします。

楽に呼吸できているときは、自然な間があります。

そのための「ただいる」なのです。

「ただいる」とは、ただ息の出入りを感じることです。そうしていると、風景が目に入ってきます。また、音が耳に入っています。温度が肌に伝わってきます。これが「間」がある状態です。



なんとかしようとする前に、まずは、自分と一緒にただいられるか。

自分は見えている形としての肉体でもありますが、人間とは、まさに「間」でもあるのです。

人はそれぞれ違うということを誰しも頭では分かっているでしょう。しかし、今この瞬間、ズレている状態を生きているでしょうか?

今この瞬間、話をしているとき、仕事をしているとき、ご飯を食べているとき、寝ているとき、すべての瞬間にズレは起こっているのです。


人は常にズレているのです。


このズレは自分と周りに「間」がある状態といえます。人の間がまさに「人間」ですよね。

ただ、普段生活していると、間がなくなることがよくあります。

仕事では、職場や、お客様とズレまいと努力し、立てた目標から極力ズレまいと努力します。

これは、「間」がない状態。ズレまいとするほど、身動きがとりづらくなります。心も固まりますし、身体も凝ってきます。

ぜひ、焦ったとき、なにを言おうか迷ったとき、不安でいっぱいになったとき、「ただいる」ことに戻ってみましょう。

誰かといるときであれば、自分でも相手でもなく、その「間」の空間をただ感じてみる。周りの音であり、景色であり、温度など・・・。最初は上手く感じられなくて大丈夫です。どんなエネルギーが間に流れているでしょうか。



間を感じられているとき、その空間は無限です。

自分も自由、人も自由、場も自由。



合わせようと頑張っていたものが、ズレはじめます。無理にくっつけようとしていたものが、離れはじめます。

ズレることは、自由への道なのです。



自分にも人にも状況にもズレを許す。合わせようとしないから、心も身体も自由に動き始めます。

最初は葛藤もあると思いますが、やがてズレが馴染みはじめます。

まずは、無理に合わせようとしていないか。そのとき、「間」はどうなっているか。

自分の状態に気づくことから始めることをオススメします。



ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

前回の記事は読んでいただけたでしょうか?読まれた方は、いかがだったでしょうか?

前回の記事はこちら 
「寂しさに負ける やむにやまれぬ何かがあなたを動かす」


前回は「寂しさに負ける」というタイトルで、思わずスタッフを怒鳴ってしまった話について、お伝えしました。

この記事の発行をお手伝いいただいている方から、あの内容のまま発行してもよいかと心配されました。

最終的には、そのままお伝えすることにしたのですが、いかがだったでしょうか?

中には、赤野という人間に不信感を抱かれた方もおられたでしょう。

私はこの記事にいろいろなことを書いてはいますが、胸を張って自信を持っているわけではありません。世の中とのズレを感じることも多いです。

もっとためになる、いい話を書けたらいいなと思います。これでいいのかと、いつも問い続けています。

生きていることはズレている。

今回のテーマも、まだまだ上手く言葉になってはいません。しかし、そこに何か大切なことがあるように思うのです。

ちなみに、あれからスタッフとは少し笑顔で話せるようになりました。(私がそう感じているだけかもしれませんが・・・)

ズレながら生きている姿を見ていただき、なにか感じていただければ幸いです。



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