見出し画像

Zen2.0 2022 セッションレビュー 〜DAY1 セッション#8〜

2022年9月10日 DAY-1 #8

アレックス・カーさま

登壇者のプロフィールは以下でご覧いただけます。

・アレックス・カーさま

Day1最後のプログラムは、古民家再生の活動のほか、アジアの宗教・文化を深く研究されているアレックス・カーさまによるトークセッションです。タイトルは「般若心経を求めて」。今回は京都のご自宅からオンラインでのご登壇です。

◇◇◇

アレックス・カーさま:
本題に入る前に、少し自己紹介をさせていただきます。
親がアメリカ海軍で弁護士として働いていましたので、子どもの頃は横浜の基地に住んでいました。慶応大学に留学していた時、日本一周の旅をしました。その時に偶然に出会ったのが徳島県の山奥にある祖谷(いや)という土地です。非常に険しい斜面に家が点々と在る、まるで山水画のような風景に心が捉えられました。まだ大学生でしたが、1973年に祖谷の築300年ほどの茅葺(かやぶき)の家を買い、この家に「篪庵(ちいおり)」という屋号をつけました。ここが、今でも私の活動の中心となっています。

祖谷にある篪庵。”篪”(ち)は竹でつくった横笛のこと

その後、アメリカとイギリスで日本学、中国学を勉強して1977年に日本に戻り、神道系の教団が外国人向けに開催していた日本の伝統芸術のセミナーに通訳として参加しました。そこで触れた能、茶、書といった日本の伝統芸能に魅かれて、20年間ずっとセミナーの手伝いをやってまいりました。

右はアレックス・カーさま自筆の書

日本伝統を学ぶうちに歌舞伎俳優の方との交流も始まりました。一番親しくなった坂東玉三郎さんからは、歌舞伎だけでなく文楽などの古典も勉強させていただきました。

伝説的なアートコレクトーであるディヴィッド・キッドさんとの出会いがきっかけで、アートコレクションも始めました。彼は松山城から芦屋に移築された大名屋敷に住んでいたのですが、この屋敷にほぼ住み込みで、キッドさんのいろいろな知恵を勉強させていただきました。

日本の文化資産のなかで、私は何より日本の古い家が好きです。修繕にも取り組んでいます。ちなみに、私は文化財として直しているのではなく、今のものとして引き継いでいきたいと思っていますので、修繕では快適な設備や近代的な面白いデザインをとり入れるのが私のやり方です。これまで、古民家再生は全国で数十件手がけることができました。今後もずっとやり続けていきたいと思っています。

日本の文化や伝統に触れるなかで、これでまで本も執筆しています。いくつか紹介したいと思います。

『美しき日本の残像』
私が子どもの頃に見た美しい日本の景色、それがどこに残っているかを書き留めました
『犬と鬼』
私の中の大きなテーマの一つが日本の景観問題です。公共工事や過剰な看板などを残念に思い、かなりシビアな内容になっています
『日本景観』
景観がどんどん壊されていくことが心配で書いた本です。この本の執筆にあたって、隠里を10箇所巡りました
『古都』
京都の裏路地を歩いて興味を持ったものを追求して得た知識や情報を書いています

般若心経を求めて

さて、本題の「般若心経」に戻りましょう。

2020年にアレックス・カーさまが執筆された”Finding the Heart Sutra” 「般若心経を求めて」

般若心経との出会い
私が般若心経と出会ったきっかけは、やはりキッドさんでした。先ほど触れたキッドさんの屋敷は、オーナーによって売却されることになったのですが、その屋敷で過ごす最後の日のことです。来訪していたお坊さんが、般若心経が書かれた扇を取り出して経を唱え始めたのです。笑いながら大きな声で「色即是空 ―」と。何で笑っていたのか、何の意味だったのか、未だにわからないのですが、それが「般若心経」との出会いでした。強烈な印象として残っています。
第2の出会いは、歌舞伎の「京鹿子娘五人道成寺」の中での禅問答の場面です。
「あると思えば、あり。ないと思えば、なし。色即是空、空即是色」
このセリフは面白いと思いまして、そこから「般若心経」を勉強するようになっていきました。

般若心経の魅力、特徴
仏教は多くの宗派に分かれていて、膨大な数の経典が存在しています。たとえば、「般若波羅蜜多経」には、大・中・小があって、大は10万行、中は2万5千行、小でも8千行あるといわれています。“般若“は”知恵“、”波羅蜜多“は”彼岸に至る、渡る、渡りきった“ということで、“般若波羅蜜多”は、“完全な知恵”という意味になります。ちなみに、般若波羅蜜多というのは女神の名です。
その膨大な経典をエッセンスとして凝縮したものが般若心経です。“心”は、”真髄、エッセンス”という意味ではないかと思います。般若心経の人気の理由は、とにかく短いということ。60行ほどなので1分くらいで唱えられる経です。そこに仏教的な理論がぎゅっと凝縮されていて、一字一字が真珠のようで、読み込むほどに発見があると感じます。

日本の般若心経にはないのですが、般若波羅蜜多には序文があります。この序文は、霊鷲山(りょうじゅうせん)に無数の修行者や菩薩が集まってきて、お釈迦様が最後の完全な知恵を説法するところから始まります。しかし、お釈迦様は非常に深い瞑想に入って言葉を発しない。そこで、観自在菩薩(観音様)が代わりに般若波羅蜜多の話をします。
そして、経の中に名前は出てこないのですが、もう一人の菩薩が登場します。それが知恵の神様である文殊です。文殊は左手に巻物や本を持ち、右手には炎が出ている刀を持っています。“無知を切る“という意味の刀です。その文殊の刀と関連があるのですが、般若心経の一番の特徴は逆説・矛盾する表現です。これは、人にショックを与える、ぴっと切る方法論の一つです。たとえば「色即是空、空即是色」は、まさしく逆説・矛盾ですね。

”空” どう理解して、どう説明するか
般若心経の核となる“空”をどう説明したらよいかについては、大昔から皆さん悩んでいましたが、2~3世紀頃に活躍したインドの哲学者ナーガールジュナ(龍樹)が“空”の思想を哲学的に整理して以来、般若心経が今の形になったようです。ナーガールジュナが言ったのは、仏教で言う“八不”(不生・不滅・不定・不断・不一・不異・不去・不来)です。 全部矛盾、逆説です。

ナーガールジュナは「四句分別」という独特の矛盾論理も組立てました。
まず X を肯定する。今度は X を否定する。次はXの肯定も否定もする。最後にXの肯定も否定も両方を否定する。その論理構成で“空“の深いところへ連れて行くわけです。

心経の中には、否定とか虚無ということが繰り返し出てきますが、それはナーガールジュナが考えた哲学から生まれた言葉です。“不”は“何も行動しない”。“無”は“何も存在していない“。とくに“無”は19回出てきます。まるで太鼓が打ち鳴らさる音のような効果で“無”というものがぐっと心の中に入ってくるのです。

一つの字、一つの言葉が無限に広がっていくのも般若心経の特徴です。たとえば、“如是”。如是とは文法的には「かくのごとく、このように」という意味です。しかし、仏教では“ありのままの現実、宇宙の妙そのものを悟る“という意味として使われています。

私の本では日本の禅をベースに考察していますが、チベット、韓国、西洋の解説本のほか、お付き合いのあるお寺の方などに教えていただいたことも取り入れています。たとえば、空海は霊力を彼のメインポイントとして触れました。「般若毒語心経」というすごい本を書いた白隠というエクセントリックな禅僧のウィットも取り上げています。また、般若心経に非常に似たストイックな本を書いギリシャの哲学者エピクテトスについても触れています。なかでも影響を受けたのが、華厳経の哲学者であるファザン(法蔵)です。妖術で雨を降らしたといった面白い逸話がある方です。

空 = Interbeing 相互共存
ただやはり、世界で一番影響力のある般若心経の本は“Interbeing”という素晴らしい言葉をつくったティク・ナット・ハン禅師が書いたものだと思います。禅師のこの詩は有名ですね。

もしあなたが詩人ならば、この一枚の紙に雲が浮かんでいるのをはっきりと見ることでしょう。雲がなければ、雨はない。雨がなければ、木は育たない。木がなければ、紙は作れない。雲は、紙が存在するために欠かせないのです。

『ティク・ナット・ハンの般若心経』(野草社)

また最近、科学では「量子は個別に存在せず、位置やスピン(量子の自転)の値はセットである」ということがわかりました。つまり、過去に一度だけでも関わると、どんなに離れても、永遠に作用し合うということ。

華厳経には、“因陀羅網”(インドラのあみ)というものがあります。宇宙の神々の王様であるインドラが持つ宇宙に広がる網の無数の結び目には宝珠があり、それらは普遍的に延びてお互いに通じ合って永遠に続く鏡のように皆、映し合っていると。

カオス理論にも触れました。考えられない小さな原因が非常に大きな結果を生み出すということ。“釘ひとつで国が滅びる”といったような不思議な因果関係がある。

数学で“マンデルブロ集合“という図形があります。この図形は、どんなに拡大しても、何億倍拡大しても同じ形が現れます。まさに“インドラの網”のように、すべてのものが映し写し合っている。遠くて微小な現象も私たちにつながっているのです。

最後は、般若心経のマントラで終わりたいと思います。
羯諦羯諦

◇◇◇

アレックス・カー様のお話は、仏教哲学と量子力学のつながりにまで及んだ、とても興味深い内容でした。まだまだお話を聞きしたいところでしたが、今回のセッションはここで終了となりました。またの機会にお話を伺えることを楽しみに待ちたいと思います。

2022.11.25(text by Yumi Watanabe)

<Zen2.0 公式Webサイト>