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心が亡ぶ

「忙しい」、「心が亡ぶ」と書きます。確かに忙しいときにはやるべきことをただ機械的にこなすのみでそこに心というものはあまりないような気がします。良いことも悪いことも心に残る数多のことが忙しさに置き換えられている、そんな気がしてきます。

でも忙しさから解放されたときに気づくのです。ほんとうは置き換わっていたのではない、ただ忙しさが心を覆い隠してあたかも亡んだかのように見せかけていただけだと。忙しさから解放され生き返った心は、ちょうど忙しさの前にあったときと同じ姿をしていました。

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