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スラム街のあれこれ

灼熱のスラム街を歩く
閉塞感と異臭が漂うこの地をじっくり観察する。沢山の人が行き交う。忙しい人暇な人、走り回る子供。近い将来に屠殺される運命の動物の声。そして、今日も定時にクルアーンが流れる。

スラムの暮らし
スラムでは何が起きているのか。多くの建物が開発により取り壊された。歴史的価値がある建物は適切なメンテナンスが行われず荒廃している。多数の住人が、たった2週間で強制的に立ち退きをさせられ唯一の財産である家を政府に奪われた。残っている住人は成す術もなく立ち退きに怯える日々を過ごす。財政難に陥る政府は無情にも彼らの少ない財産を奪っていく。

日々の生活は、生計を立てるために苦闘を余儀なくされている。識字率も他地域に比べ圧倒的に低い。自宅に機能的なトイレは無く、住居のセキュリティといった基本的な設備不備に悩まされている。

本当に問われること
困窮しているのであれば、集合住宅を建設してあげたらよいのではないか、ついでに立派な学校も建設してあげよう。こんなにしてあげて経済を立て直せないなら住民の落ち度だ。どうしても嫌なら引っ越せばいい。こんな声を多く聞く。

社会的自由が保障された人であればこの様な考え方になるのも無理はないのかもしれない。しかしスラムの住人には適応しない。彼らの自由はあらゆるところで鎖につながれている。社会的自由が保障された人々の間では相互の義務と権利という考え方が生じる。これが無ければ真の意味で自由になれないということを幼少期から学ぶ。他方、スラムではこの機会が著しく少なく力による支配が横行している。

人間社会において、最終的に問われるのは何を信じるかということ。力による支配でもなく、利益誘導でもない、人と人の対話で練り上げられた決定に納得して従いたいという信念だ。人間の社会的自由にとって何よりも大切な理念である。

#未来のためにできること
さて、本題の私が未来のためにできること。それは、モノではなく“人”を中央に置いた援助を行うということである。モノは後から付いて来る。住民の信念を尊重した協働型プロジェクトの推進。
こんな風に改めて記すと固いが、彼らと彼らの先祖が長年をかけて築いてきたものを土台にし、それらを多く活用できるよう手伝う、謙虚さと敬意を忘れず。

灼熱のスラムから見上げる大空に問う、「スラムで生まれた子は死ぬまでスラムの住民じゃなくてもいいですよね?」と。

君に幸あれ


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