失敗を記録すること、それこそ人の救済ではないか

魔法陣グルグルという漫画がある。
これはRPG漫画の金字塔だとしばしば評されているが、特に世界観や設定の作り方が上手いのだ。
特に上手いのが、ヒロインの使う魔法である、闇魔法のグルグルの設定だ。
これは、ミグミグ族という今は天の国アナスタシアで暮らしている一族のうち、子どもの間だけ使える魔法なのだ。
その秘密について、ククリ(ヒロイン)の宿敵にあたるカヤ(魔王軍の魔術研究家、かつ昆虫大好きおじさん)が気づくシーンがある。
手元にもう単行本がないのでうろ覚えだが、こんな感じの流れだ。

カヤ「ええい、もっと魔法の資料を持ってこんか!それに、失敗の資料が少なすぎる」

チクリ魔「そ、そんなの無理でしよ!皆、失敗なんて恥ずかしいから記録しないでし!」

カヤ「なんだって…そうか、誰も失敗なんて記録しないのか」

カヤ「わかったぞ、やはりグルグルは失敗を昇華した魔法なのだ。失敗は子どものうちしかしない…だから子どもにしか使えないのだ!」

この、「恥ずかしいから誰も失敗を記録しない」というチクリ魔の発言は印象に残った。

これは魔法に限らず、全てにおいて失敗を記録する人は少ない。
記録に残るのは、ことの大小を問わず、ほとんどが成功体験である。

チクリ魔の言うとおり、恥だから書き残さないというのも理由の一つ。
他には、書く気にならなかったり、失敗を忘れてしまったり、はたまた戦略的に他の人と差をつけるためにあえて失敗したつまずきを隠す人もいるだろう。

しかし、人間のこの「失敗を記録しない癖」というものによって、人々は失敗への恐れから解放されないでいる。
最初から失敗することがわかっていれば回避できるし、失敗しても解決法がすぐにわかれば対処できる。
先人の失敗がきちんと記録されていれば、時間にも、精神にも、肉体にとっても得なことしか起こらない。

これは自分の憶測でしかないが、年々自殺が増えている背景には、人類の技術力が飛躍的に上がったことで、日々の仕事で求められるスキルがどんどん上がってしまい、それに精神(とスキル自体も)が追いつかず、不安になる人が増えてきたからではないかと思う。

そういうわけで、人々の不安を減らし、自殺を選択する人を少しでも減らすための取り組みとして、自分の失敗を思いつく限り文字に残していこうと思う。

幸い、自分は有能とは言えない凡人であるから、記録すべき失敗の量も多いだろう。
その分、人を救える可能性が高まるというものだ。

人は、人生が上手くいっているか否かはさほど関係なく、友達がいるかどうかもさほど関係なく、本人が不安を感じてそれを消化できなければ死を選ぶのだ。

社会における自分の立ち位置、やらかした失敗の対処法、そういうものに悩むものだ。

全ての成就は過程に過ぎないのに、それに過剰にこだわってしまうのだ。

そういう人のために、「どうだ、これが我の失敗だ。これほどの数を失敗し、これほどの度合いのやらかしだ。それらを乗り越え、見事に生きているのだ」と見せることが大事だと思う。
成功した姿ばかり見せては、他の人の毒になる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?