莫大なコンテンツについて思うこと。

コンテンツについて思うこと。

昔テレビは家族や友人を繋ぐものだった。

家では一つの画面を家族で眺める、会話の中心がテレビ。翌日学校の友達や同僚、飲み会での会話もテレビのエンタメが中心。そんな時代だった。良い悪いとかじゃなくて、今とは全く違う。そんな時代があったんだ。面白いデータもあって現在の30代はテレビとインターネットの利用率が同じくらい。ただ20代以下を見ていくと余裕でインターネットに浸っている時間が多いらしい、まあ体感でわかっている人の方が多いはず。電車で紙の本読んでる人なんて見かけない。

今はスマホでコンテンツを見る。SNSはその最たるもの、短時間で好刺激。その時間を割いてる方が多いんではないか。確信して言える。もっと掘り下げるとテレビを団欒して見るというのはテレビそして身近にいる人達とのコミュニティに属している。それが今では各個人がスマホという媒体を使って別々のものを見て別々のコミュニティに属していることになる。無意識的にマルチタスクをしている。毎日色々なコンテンツを浴びる、そして消費したものをあんまり覚えていない(メモとか日記つけてる人は違うはず)

そんなことを考え出したら無駄に消費しているコンテンツ(意識に残ってない)に時間を割くのはどうなんだろうって。どんなコンテンツだろうと制作という時間はかかっているはず。

30分で読める文章は30分では書けない
5分で聞ける曲は5分では作れない
3分で食べられるモノは3分では作れない
一瞬で見れる絵画は一瞬では書けないことを忘れてはいけない

ただ、30分で読める文章は、30万人の人生を変えるかもしれない。
5分で聴ける曲は、50万人を感動させるかもしれない。
3分で食べれるものは、3億人の命を救うかもしれない。
一瞬で見れる絵画が世界を動かすことも忘れてはいけない。

得たコンテンツを忘れない。落とし込む。染み込ませる。地肉に変える。それがこの情報社会を生きていく上で忘れてはいけないことなのかなと勝手に解釈しています。

こうやって文章を作るのだって難しいし、自分の事を綴るのは大変だ。想いを誰かに届けるのも正直まだちょっと恥ずかしい。ただそれが人の心を動かすんだって知ってる、みんなと同じ様なことをしてても誰も見向きもしてくれない。

誰もが主人公になって情報発信できる機会、チャンスが沢山あって、個が影響力を持つ時代。風俗業界で店長になる前にキャストに勧められて始めたTwitterが今となっては財産になっている。店長ブログを書いていた経験が今でもいきている。風俗からシーシャへ業界が変わって1000人くらいフォロワーが減ったが今でもフォローしてくれている人達。noteのこの拙い文を読んでくれてる人達。愛してるぜ。いや、気持ち悪いですね。でもそんな気持ちです。

情報は取捨選択できる時代、好きなものを見たらいいし好きなように生きたらいい。個性が認められる、いい時代に生まれたなって地球に感謝しています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?