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パピートラック2023

2022年の秋に子供が産まれまして、東京の片隅でえっちらおっちら育児をしながら、日本の製造業で機械設計をやって口に糊をして暮らしております。世界の皆様こんにちは、co1おじさんだよ。写真は最近あんまり撮ってないよ。

男性の育児休業取得率は2022年で17.13%になったそうで、男性の育児参画(いやまだ実質は育児参加の側面が大きいのかな)が、かつてない勢いで進んでいるようです。これは個人的には、「男は仕事、女は家庭」という昭和平成的な価値観が、

  • 社会的(性別によって生き方に枷がはまるなんてナンセンスよね)

  • 倫理的(今までの快適さは誰かに負担を押し付けた結果だった)

  • 経済的(亭主関白に専業主婦な家庭を維持できる給与をむしろ与えてくれ)

な面で崩壊したことが理由ではないかと思うことと、やっぱり何よりも昨今の父親に「子供は誰か(親、妻、行政)任せではなく自分たちで育てるのが当然だ」とする意識が定着しつつあるんじゃないかな、というのが実感です。

これ自体は非常に喜ばしいことと思っています。私もたった3ヶ月ながら育児休業を取得して、主体性の重要さをよく感じました。これは当時も今から振り返っても取ってよかった(取るべきだった)と感じています。半年取ってもよかったな。

2023年は年初から職場復帰して、幸運にも子育てをしながらの仕事に対して非常に協力的な職場・社風であることもあって、独身時代に積み上げた休暇のストックを鬼のように消費しながら、各方面に種々のご迷惑をかけながらではありつつ、なんとか業務をやってきました。

子育ては何も恥じることではない、お互い様の面もきっとあるしなるべく申し訳ないとは思わないようにと心に決めてはおりましたが、結果的には子供にも保育園にもパートナーにも職場にも申し訳ないなという罪悪感を抱えながら一年を過ごすことになりました

音の鳴るおもちゃ「ポロンちゃん」。なんとも良い音が鳴ります。

そのうえで個人的に今年よく実感したのは「これは今後5年くらいに『パピートラック』が問題になるぞ」という予感でした。

「産休や子育てをしている女性社員が、出世コースから外れること」を意味するマミートラックは、育児とキャリアを両立させようとする女性に降りかかる災禍として挙げられる状況として長らく使われてきたワードです。これの男性版がパピートラック。男性もまた、育児参加・育児参画の度合いを増やせば当然にぶつかる状況であり、パピートラックの単語が時代の言葉として浮上してくるのも、時間の問題と考えています。

パピートラックの、マミートラックとの現時点での違いは、マミートラックは不幸にも歴史の長さから、それが社会制度や社会通念の問題であって、女性本人の能力不足や責でないことが関係者に周知されている(いやそらマミートラックの壁にぶち当たっている当事者にとってみたらふざけんなって話なんでしょうが)のに対して、パピートラックは2023年現在ではまだ、本人選択の自己責任論や本人の努力不足による自業自得と見做されてしまうリスクが未だ大きいと考えられる点にあります。


この話は完全にソルジャーサラリーマン目線で書いてますけど
自営業とか経営者とかは別の地獄と別の天国が見えているんだろうなと思う


男はちゃんとしっかり働いて一人前」「お子さんいるんだからバリバリ働いてお金稼がなきゃ」「奥さんに子供預けられないの?」「責任ある立場になりたいなら仕事優先ビジネスマンは当然だよね」という労働圧は、男性の育児参加参画が年配世代に浸透していない現状では引き続き、おそらく女性よりも、強く作用していることは間違いないでしょう。もちろん、女性のキャリア志向が、これらの同類の言葉によって潰されてきた話が男にも向けられるようになっただけで、女性はこれまで30年50年言われ続けてきたんだ、と思う方もいることと思います。お前ら男は自分が当事者になったからって、僕らは辛いんですぅ〜的にいまさら声上げんのかよ、というお叱りは重々承知の上で、であればなおさら、この状況ってなんとかならんのかなって。

おそらくはショッピングモールの子供用ボールプール施設でもらってきたと思われる水疱瘡。予防接種の直前に罹患。幼子本人は元気そうなんですけどね、当然のように保育園登園停止なので、自宅保育する父母のHPと休暇残日数はがんがん削られていくわけですよ

実家支援を使えない夫婦が可能な限り負担を分け合って我が子を育てた結果、二人ともパピーマミートラックに乗って、共にパッとしないキャリアとなったお父さんとお母さんが出来上がりました♡テヘペロ♡っていうのは、果たして社会的に健康なあり方なのか。そんなん分かってたやん、その辺りを気にして子供を産まない選択をする人も多いんやから、それこそ自己責任・本人の選択でしょ、と言われればそうですけど、子育てのペナルティがなんか大きいなぁ、やっぱり社会にとっても良くないよなぁ、とも思います。子育てはいつか終わるので、終わったあとに、あの子育て期間がマジでいろいろキャリアの足引っ張ったな、結局は(時間当たりでない)積み上げた総工数実績で判断されるんやなっていう感じになるのかな。

いやまあ、雇用側から考えればトラックも分かるんですよ。
「子供は母に全任せするんで僕は仕事に全振りできます!バリバリ業務振ってください!」とか「家庭/子供を持たない選択しました!僕は仕事に全振りできます!バリバリ業務振ってください!」って言ってくれて、いつも職場にいて目の前の課題に全力投球してくれる馬力を出せるメンバーと、「すんません保育園から呼び出されたので今日は時間休取って早退します…」「子供のお迎えがあるので定時でダッシュします…」「昨日の晩から子供が発熱したので今日はお休みします…」ってなんかあるたびに言ってくる無理の効かない育児中メンバーがいた時に、後者が悪いわけではないんやけど、やっぱりちょっと責任ある仕事はまかせられんな…って、前者に重要な仕事と高い評価を割り当てていくのは、そらそうでしょって、自分でも思います。

だってピンチの時に、修羅場の時に、課題を解決して結束も深まっていくその瞬間に、君たち子育て社員はその場にいないやん?、効率よく子育てパパママに比べるとちょっと頼りないなって思ってた若手も、パパママがいない間に割り当てた修羅場経験でだんだん使えるやつになって来てる訳やん?バリバリやってけるメンバーもいるし、君の不在の間にアサインした若手くんもぐんぐん伸びてるし、あとはこっちで意思決定や上位業務はやっとくから、まぁ子育てを選択したパパママは代替可能な木っ端仕事を無理せずゆっくりやっといてよ!子育て大変だよね、育児も大事、分かる分かる、パパママがんばれ!

っていう状態。インスタツイッターFacebookのタイムラインにはわりと「外資系コンサルです」「起業して経営者やってます」みたいなスーパーマン/スーパーウーマンが沢山いるし(みなさんはようやってはる)、いやそんなん我々は頑張ってきたよ、足らぬ足らぬは工夫が足らぬ、もっと頑張れば良いじゃんって結論で終わりそうにも思えます。とはいえ、現状で一般人にとって"頑張る"の手段が「子育てを人生の選択から外す」「育児業務を他人(パートナーや親類)に押し付ける」「身体壊すレベルで頑張る」「カネで解決する」みたいなものしかないのは、なんというか不健康な話やなとずっと考えている。

働き手がいなくなってきてパパママを有効活用していかないとだぞ、少子化も問題だぞって本当に思っているならば(いやもうニッポンがこのまま滅びていけばええやんっていう思想なら知らん)、なんかしらのマインドチェンジが社会に?我々に?それとも僕に???必要なんじゃないかなっていうのが今年の感想でした。


本年も育児や怠惰、努力不足要因で各方面には多数のご迷惑や不義理を働きました、平にご容赦いただければ思います。今年も大変お世話になりました。みなさま良いお年を。

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