星降る夜に
昔々、あるところにカメラマンを志す男がいた。男は四畳半のアパートで暮らし、バイトをしながら写真を撮影する生活を続けていたが、果たしてどういう写真を撮れば写真で食べていくことが出来るかを知りあぐねていた。そこに写真家と称する一人の男が転がり込んできた。以前に一度何かのパーティーで出会っただけであったが、向こうが男のことを覚えており、自分を頼ってきたようだった。写真家は放浪の旅を続けながら写真作品を制作していて、撮影された作品はノートパソコンに入れているがまだ誰にも見せておらず、いつの日か衆目に触れる場所へ公開するのが夢だと言った。写真家の撮影した作品を見せてもらった男は驚愕した。そこには完璧で珠玉な写真がずらりと並んでいたからだった。
男は写真家に居候を許し、食事や住居の世話をした。男は写真家と様々なところに撮影に行った。写真家はどこに出かけても、誰も知らない素晴らしい撮影場所を知っていた。写真家は男には秘密の撮影場所や撮影ノウハウの数々を惜しみなく教えてくれた。撮影行の帰りや男の自宅で、夜中まで写真談義を語らい合ったこともあったが、写真家の見識や知識の広さ深さに男はひれ伏すしかなく、写真家の底知れぬ技量には驚くばかりであった。
当初は男も写真家の好意に畏敬の念で応えていたものの、時折に写真家から垣間見える不遜な態度や、こちらを見下すかのような言動に、次第に妬ましさと不満を感じるようになっていった。そしてある夜、山奥に夜景を撮影に出かけた際、写真家のあまりに不遜な態度に我慢ができなくなった男は、写真家を殴り殺してしまった。そこは誰も知らない秘境とも言える場所で他には誰もおらず、男は夜中のうちに土を深く掘って、写真家を埋めてしまった。
果たして男が家に戻り、写真家のパソコンを確認すると、残した沢山の写真やライティングのテクニック、レタッチノウハウを詳細に記したおびただしい量のドキュメントが残っていた。男はそのドキュメントの中身を使い、SNS上で熱心に作品撮りを行って大層な評判となった。撮影会やセミナーを開催し、記事を書き、有料メルマガを発行して結構な額を稼いだ。人気も急上昇し、様々なところから撮影依頼や執筆依頼が舞い込むようになった。アシスタントを雇い、法人化して機材を揃え、昼夜を問わず撮影や仕事を続けていくと、やがてひとかどの写真家と自称できるほどにはなっていった。著名なモデルの妻を娶り、都内に広いマンションを買うと、しばらくして男の子を授かることとなった。
利発そうな顔をした我が子にさすが自分の子供だと得心していたが、その息子はいつまで経っても言葉を口にすることがなかった。最初は夫婦ともども少しくらい時間が掛かるものと思っていたが、どうも様子がおかしく、歩いて久しい時期になっても全く話をしない。さすがに心配になったので医者に見せたりもしたが、特に問題も見つからなかった。男はまあそのうちに話したくなれば話すだろうと気にしないことにした。
話をしないこと以外はすくすくと育った息子は、どうやら父に似たのか、写真に興味があるようだった。他の子供達が絵本を見たりテレビを見たりする間も、暇さえあればずっと写真集を眺めている。これはやはり我が才能の遺伝なのかと、男は息子に古いデジタルカメラを与えてみたら、どうしてなかなかセンスの良い写真を撮っている。ますますこの子は何か大層な力を秘めた天賦の才があるに違いないと確信した男は、それから熱心に息子に撮影の技術を教え込んだ。
そんなある日、夕暮れの空気の澄んだのを見た男は、これは綺麗な夜景が撮れるはずだと、息子を連れて取っておきの夜景撮影スポットまで車を走らせた。人気のない真っ暗な山道の路肩に車を止め、灯りを消すと空は一面の星空が広がっていた。草むらをかき分けて奥の開けた場所まで歩いて撮影の準備をしながら、男が息子に「ほら綺麗な星空だろう」と話しかけると、息子は急にこちらを振り返り、
「あの晩もこんな夜だったね」
と答えたという。
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参照:「異人論」小松和彦(ちくま学芸文庫)
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