11月27日

ルッキズムに縛られ続けることと自分の容姿を磨くことは全くイコールじゃないとおもう。
むしろルッキズムから解放される過程だったり解放された結果として、自分の容姿を受け入れた上で自分の好む姿に近づけようとするようになる場合もあるんじゃないかな。
ただ外見は良いに越したことがない、っていう価値観もルッキズムにくくられるのだとしたら、完全にルッキズムから解放されるのは難しい気がするな。
その、良い、が何を指すかにもよるのだろうけど、他人との比較で生まれるものと自分の持ってる容姿の範囲での変化と両方あって、前者がルッキズムという言葉でイメージされることが多いように思うけど、後者の判断基準も、相対評価に由来する価値観と繋がっているところもあると思うから、ルッキズムに完全に解放された状態、っていうのが難しいのかなとも感じたりする。
ただ、たとえば外野に容姿のこと言われても、なんか言ってんなー、とはふつうになれる人も多いのだろうと思う。それはルッキズムから自由になることなのか分からないけど。

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