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五月、第二日曜日

 おはぎ、すき焼き、あんぱん、羊羹、甘酒、日本酒。甘党な父の好物はいくらでも思い付く。父方の祖父が糖尿病で苦しんでいたのを一番身近で見ていたはずなのに、父親自身は定年間近となってもなお、甘い物をよく食べる。覚えやすい1964年という生まれ年も父のものだ。東京オリンピックや東海道新幹線の開通と同い年ということ自体にそれほど価値はないと思うのだけれど、しばしばそのことを、どこか誇らしげに語る父の姿を何度も目にしてきた。父がどこの小・中・高・大学に進学したかも知っている。高校と大学ではバレーボールに励んでいたことも、初めて買った車はマツダのファミリアだということも、よくOakleyの服を着ていることも。


 でも、
 母の好きな食べ物はわからない。よく食べていたものといえば、納豆と卵、食パン、小松菜、、、??お菓子もお酒もそこまで好きそうじゃないし。好物、?
 「母親の好物知らないなー」がきっかけで考えてみると、母については知らないことが多いような気がしてくる。まず、年齢があやふやだ。多分父親より2歳か3歳年下だけど、4歳下かもしれない。小・中・高・大学、どこに行ったのか全部知らない。というか大卒だと思っているけど、もしかしたら短大だったっけ?のレベル。母方の祖父母がいつ、どうして亡くなったのか、というかじいちゃんに関しては名前すら知らない。ごめんね。母の好きな・持っているブランドも知らないし、初めて買った車なんてもってのほかである。


 今も昔も、母親の方がお喋りな性格だと思っていた。もう実家を出てしまったけど、高校卒業までの18年間で会話した量は父親とよりも母親との方が絶対に多い。にもかかわらず、母親について何も知らないままだったのである。今まで、自分は母親と会話してきたつもりだったが、自分の話をずっと聞いていてくれたのだと、この歳になって気づいた。


 子供三人を育てながらフルタイムで働くということがどれほど大変なことだったか、少しずつだけど、やっと理解できるようになってきた。20年前であれば尚更辛かっただろう。保育園の迎えはほぼ毎日最後だったし、参観日に来るのは親ではなくおじいちゃんだった。(保育所の先生、じいちゃんありがとう。)土日はスーパーのチラシを見ながら1週間分の食材を買いまわり、作り置きのおかずを冷蔵庫一杯のタッパーに詰める日々で、まともな休みなど無かったように思う。


 社会人となり、ある程度自立して生きていけるようになって迎える初めての母の日に、帰省はできないながらも何か美味しいものを実家に送ろうと思った。母親の好物は何だろう。適当に焼き菓子とか、牛肉とか送ってもいいのだろうけど、直接聞いてみるものアリかもな、と思いスマートフォンを手に取った。



こちらから電話を掛けるのは久しぶりだった。
ハッピーターンが好きらしい。

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