【思考の切れ端】-1 「死んだ後の話」
何の為に私は生きているのか。
私は単に、死んだ後、月になる為に生きている。
美しい月になる。その為に生きている。
まぁ、ぶっちゃけた話、その為にどんな具体的な努力をしているか?と聞かれると全くしてない訳だけど、私には一応現実が見えているので、死んだ後も月にはなれない事は知っている。
なので、具体的などんな努力も使命感も徒労に終わると知っている。
それでも私は、死んだ後で月になりたいと言っている。私から見てもちょっとだけ不思議な話だ。
私が生きる為にはちょっとした目標が必要だったのだ。
月から滲む光を目が拾い集めて、ドビュッシーの月の光が体に馴染んで、美しいまでの魔法に焦がれて、充分に生きる事によってそれを叶える。
選ばれた者だけがという訳でもなく、今すぐ死ねばなれるという訳でもなく、何の意味も偏見も差別もそこに込められる事はなく、ただ、それだけ。
ただ、夜を見上げて、しっとりと波打つ黄金色に憧れるだけ。
ただ、自分が静かに生き絶える日の夜は、満月の光が私を照らしていて欲しいと願うだけ。
そうして自然に解けられるのなら、今の自分にそれ以上の幸せは無い。
その日が来るまで、人である限り美しくなり切れない私は、諦念と少しずつの進歩を繰り返しながら、月のワルツに踊るのだ。