親の身長を抜く
つい先日、小学校6年生の長女の誕生日でした。
12歳ですね。
あぁ~もう12年かぁ~です。
あの日のことは結構な解像度で覚えています。
夜中の2時に奥さんから連絡を受け、キタ、と。
当時は横浜に住んでおり、奥さんは関西の実家での出産でした。
朝一の新幹線に乗るべく準備をして、また仮眠を取り、10時には病院に着いてましたね。。。あぁ覚えている。
というのはさておき(個人的に毎年やっている)、
誕生日の翌日の朝に「パパ測って」と言われました。
そうです。毎年恒例の部屋の柱に身長を記す行事です。
柱の前に娘を立たせて、そこらへんにある本を頭に下ろします。
「おっ!ママの身長を超えてる!!」
「イェーイッ!!」
です。平和な朝ではありませんか(笑)。
そのうち、僕の身長も抜いて欲しいものです。
そう。僕も奥さんも低身長なのです。
低身長あるあるやとは思うのですが、やはり我が子には自分よりも大きくなって欲しい、という軽い希望(要望)を持っています。
親を超える(抜く)っていうのは1つのテーマになり得ますよね。
まぁ元も子もない言い方をすれば、
超えようが超えまいが、その子らしく生きてくれたらそれで満足なのですが。。。
でも、そもそも超えるって何よ?っていう話もあり。
ちょっと深堀してみましょう(笑)。
上述の「身長」という物理的な「サイズ」の話は明確でいいですよね。
平和です。
でも物理的といっても、
「力」という基準でいうと一気にややこしくなります。特に男親は。
ここからは思い出です(笑)。
僕が中学生の頃、なぜかオトンとリビングで相撲を取ることになりました。
本当になぜだか・・・。
まぁ昔はそういう“男同士が力比べをする”という文化があったんですよね。
なので、その日以前にも何度か、定期的に相撲はとってきました。
が、その日、たまたまというか普通に戦ったら、勝ってしまったのです。
すとん、とオトンをなぎ倒してしまいました。(ダジャレではありません。)
オトン「いやいやいや・・・もう1回。なっ!もう1回な。」
2回戦・・・負けました。
いや、わざと負けたというわけでもないです。
ちゃんと戦いました。でもなんか、ちょっと頭の隅に「さっき勝ってもうたな・・・」がよぎります。
そうすると、しっかり戦っているのですが、大人の力は強く、負けてしまいました。
あれ以来、一度もオトンと相撲はとらずじまいでした。
あの時、オトンはどういう気持ちやったんやろうか?
「ただ油断して負けただけで、本気出したらほら、まだ俺の方が強い」と思ったのでしょうか。
僕もちゃんと本気を出して負けたわけなので、それはそれで間違っていないと思います。
でも何か僕の中で、「オトンに勝ってもうた」という記憶が強烈に残っています。
1つの節目だったかもしれません。
でも「力」というのはいつか当たり前のように親に勝るものです。
親の「力」は衰えていきますからね。なので、これを”超えた”というのは違う気がします。純粋にピーク時の親子で戦えたらまた別ですが不可能な話。
と考えるとですよ、
僕は親を超える(抜かす)というのを実感したことは無いです。
身長も抜けなかったし、その他、何かを超えれたなぁということは思ったこともないです。
親を超えるって、、、
身長(サイズ)以外に何かあるのでしょうか?
例えば「年収」とかは、その時代によるものも大きいので、明確に超えるという感覚はつかめない。
やはり、他に思いつかない・・・これって何か素敵なことのような気がします。うまく言語化できませんが。
あっ、あとは年齢だけですかね。
僕の父親は64歳で亡くなりました。
僕は今44歳。これは絶対に超えたいです。
オカンは今、73歳で存命。長生きして欲しいし、それを超えたいです。
そして、我が子達にも僕の寿命よりも長く生きて欲しいです。
結論出ましたw
子供が親を超えることができるのは「身長」と「年齢」だけです!
そして、それらを超えることはとても良いコトです!!
我が子達よ、どちらも軽く超えていけよ!
娘ちゃん、12歳の誕生日おめでとう!!!
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