ZD創業ストーリー
[ ー 退職のご挨拶 ー 今までありがとうございました ]
こんなタイトルのメールをもらい続ける会社員人生でした。
「なんでこんなに出入りが激しいんだろう。」
「外資だからしょうがないのかな。」
そう思うようにしていました。
18年間勤めていた前職の外資CROは自分に合っていたし、とても好きでした。
でも、勤めてから12年目くらいから、退職メールを送る人の気持ちが次第にわかるようになってきました。
当時はクリニカルリードとして、オンコのグローバル試験を複数担当していました。
受託したタイミングからプロマネと二人で試験担当が始まり、オペレーションスキームが固まったところで、モニタリングチームが結成されますが、メンバー構成が次第に心もとなくなっていきました。
6人アサインするところ、3人しか決まっていなかったり、アサインメンバーは他の試験で手一杯だったり、経験の浅い方ばかりだったり。
長くリードをしていると、試験に対して戦いきれるチームかどうかがわかるようになってくるのですが、ある時から、「戦えるハードル」を越えられなくなってきました。
そのまま試験突入するわけですが、チームの動き出しもゆっくりだし、遅れが生じるし、トラブルは発生するし。と予想通りの展開です。
自分もメンバーも残業漬けで、依頼者側の求める改善、求めるスピード、求める品質を目指していましたが、ペイしきれませんでした。
ある時気づきました。
「これは構造問題だな」と。
職場ではクリニカルリードでしたが、いろいろな仕事を経験させてもらいました。
営業や契約部門に開発側からインプットするため、見積のレビューをすることがよくありました。
そこでわかったのは、
「日本の予算、全然足りてない。」でした。
食糧が足りないのに、山にでかける。
片道の燃料しかないのに、旅にでかける。
現場の置かれた状況はまさにサバイバル。
もちろん、チームメンバーは知りません。
契約も、営業とビジネス部門が先に決めちゃいますし、
プロマネがハンドリングするはずが、プロマネ抜きで話が進んでいたり、
オペレーションからのインプットがスルーされたり。
こうして、現場が干上がっていることがデフォルトでした。
でも、職場はみんないい人だし、ひたむきに頑張る人が多い。
職場の雰囲気は自由だし、いろいろなことにチャレンジさせてもらえる。
給料はそれなりにもらっていたし、評価もされる。
いいところはたくさんありました。
でも、この " 構造問題 ” による現場への圧力がどんどん強まっていきました。
「このままでは、現場が疲弊してしまう」
そう思った私は、活路を見出そうとしました。
グローバルが日本の高コスト体質を許容してくれればいいのですが、それはもうまかり通らないことはわかっていました。
上司や部門に掛け合ってもパワーゲームで負けるということはわかっていましたし、かといって転職するほどの強い理由もありませんでした。
そう心にもやもやを抱えながら、4年ほど過ごしていましたが、当時はSNSが発達して、ローコストで起業ができる時代が到来していました。
多くの人が、コンサル、セミナー、情報商材、アート、食、健康やヒーリングなど、自身のテーマでスモールビジネスを展開する時代でした。
私も興味本位でとあるブログ塾に参加し、そこでネット発信を中心としたスモールビジネスを学びました。
当時の私はトライアスロンを趣味に持ち、運動と栄養をテーマに学びを重ねていました。また、薬剤師及び新薬開発の分野で培った、分子生物学的な視点から、食べ物や食べ方をコントロールして自身のダイエットや体調管理などのノウハウを蓄積していました。
「このノウハウを提供すれば、人に価値提供できるかも。」
と思い、アンチエイジング学会に入会し、さらに学びを深め、自身のノウハウを体系化し、会社員の傍ら、ヘルスコーチとして起業しました。
私のコーチングは、口コミとブログで広がり、北は北海道、南は九州まで、他県からも申し込みをもらいました。
無理なく食事改善ができ、体調と体型が整うメソッドは毎月の申し込みは応募と開始に埋まり、予約待ちの方もいたほどです。
こうして、半ば体験的な起業ができてしまったわけですが、一般の方に商品・サービスを売るという行為は正直自分には物足りませんでした。
というのも、臨床開発の重み、細かさ、真剣さ、厳しさがそこにはなく、やればやるほど、開発職の尊さを感じる結果になりました。
治験の手続きは細かくて煩雑で、出張も多く残業続きで、クリエイティブさやファッション感覚がまるでない。無骨で地味な仕事と思って、隣の芝生はいつも青く見えました。
でも、一旦そこから飛び出し、外から見てみると。その地味で細かい仕事が輝いて見えるようになりました。
私は、2年ほどでヘルスコーチの新規集客を取りやめ、臨床開発の業界で起業はできないかと模索し続けました。
そして、メーカーとCROのトライアスロン仲間に、「自分たちにできることはなんだろう」と問いかけ、そこから創業インキュベーションを開始しました。
はじめは雲をもつかむような話ばかりでただ盛り上がるだけでしたが、やはり次第に業界の問題に目を向けるようになってきました。
どうやったら、CROは真のサービスプロバイダーになれるのか。
よりCRAが活き活きと働ける環境は創れないものか。
CRAキャリアは、COLかLMの二択以外にないのか。
ママさんでもモニターが続けられる環境は創れないものか。
自分たちでも、日本の治験をよりよくする活動ができないものか。
そんなテーマで2年間、毎週日曜の夜にzoomで議論を重ね、解決策を模索し続けました。
最終的にいきついたテーマは、"業界の課題解決” 。
「一人ひとりが活き活きと働ける環境を創る」
それが使命となりました。
そこで見出したスタートのビジネスモデルは、"派遣型CRO”
「CRA一人ひとりが今まで以上にパワーアップし、臨床開発のプロフェッショナルとして派遣先企業の一助になる。」
CROの中で鬱屈している人も、派遣としてメーカー内で活躍する。
自身の自己肯定感も上がるし、メーカー側も高い品質の派遣社員が来てくれることで助かる。
一挙両得の仕組みを創ろうと、創業インキュベーションから6年、本格的な創業準備に2年の歳月をかけ、2022年2月にZeeDia life science株式会社を創業しました。