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『魂は存在するのか?輪廻とは何なのか?』

ミリンダ王の問いというお経があります。これはミリンダ王というギリシャ系の民主主義的思想を持ち、お金と権力を持っており、さらに知識人でもあった西洋の王様が、東洋、インドの天才的な僧侶であったナーガーセーナと様々な問答をするというとっても珍しい形のお経です。
しかしながらこの構図は今の世界に生きる現代人が古代の仏教の智慧から、今を生きる中での疑問を学ぶのにとっても適した形になっているとも言えます。
その中では多種多様な問いが行われます。
例えば「水には魂があるのか?熱せられるとジュッと言うが。」と。答えは「水に魂はありません。熱量によって変化しただけです。」とっても現実的で理解しやすいですね。
それでは人には魂はあるのか?輪廻はするのか?そんな問いにはどう答えられているのでしょうか?
答えはこのようなものでした。
「魂というより身体と精神から影響を受けた”存在”があります。それは死後の次の生に影響を及ぼします。
例えば幼子と老人が同一人物であっても姿形は別の人に見えるようなものです。このように同じ存在であっても別の存在に見えるものがあります。
また同じ様に見えても別の存在であることもあります。例えば蝋燭の火を別の蝋燭に移すと、それらは同じ様に見えて、別の火ですが、それらの間には相互に因果関係あります。
その様に今の生と因果関係のある次の生が存在します。それが輪廻というものです。」※かなり意訳要約です。
私たちは今生きていない他人の影響を受けて生きています。歴史の偉人の人生から学ぶこともあります。過去のテクノロジーを活用して生きています。また他人だけではなく、もちろん肉親、父や母からからの影響を受けて生きています。全てのものには因果関係があり、そして過去の自分からも影響を受けていると考えているという事です。
たとえば私達には生まれ持った性格や、生まれ持った環境や、生まれ持った幸不幸の運命があります。その生まれ持ったそれらのものは、前世の生涯が影響をあたえて、生じたものであると考えているわけです。
少し難しい話になってしまいましたね。しかし仏教はただ神秘的なストーリーを説くものではなく、仏教的な合理性を積み重ねて世界を説明しようとしたものである、という事を知って頂けたら嬉しいなと思います。
もちろん一般の方に説明するときは「魂が輪廻して、生まれ変わる。」と説きます。その方がシンプルで解りやすいですから。ただそうする事で説明から抜け落ちてしまう要素が多分にあるのも事実です。
このミリンダ王の問いというお経は天才と天才の対話という構図をとっているため、とても知的で難解なお経となっているのですが、私自身の勉強の為にもしっかりと読んでいって学んでいきたいと思います。 そしてこの場は私が学んだことを日々シェアをする場としていますので、生煮えで不正確な部分もあるかもしれませんが、勉強しながら書き残していきたいなと思っています。

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