「ブチ抜く」2022年6月12日の日記

・だらっとした土日を過ごした。これを書いている時間はまだ17時台。ここからの巻き返しを図りたいところではあるが…。

・生活範囲内で、めちゃめちゃ『トップガン:マーヴェリック』についてとにかくいい!見た方がいい!映画館で見るのがおすすめ!という意見を聞く。いつも髪を切ってくれている美容師さんも言ってたし、Twitterでもめちゃくちゃよく見るし、ダイアンのラジオでも話されていた。

・これはさすがに見に行くべきだな〜とは思っているのですが、どうせなら前作を見てからにしようと思ってはや二週間、結局なにもしていない。Amazonプライムで見れるのに…。見なきゃ…見なきゃ…と思えば思うほど遠のいていく。でもせっかくだから予習してから見に行きたい。その葛藤の中で揺れている。

・とか言いつつ、Netflixで『千年女優』を見た。今敏監督のやつ。

・わたしにとっては難解で、何が起こっているかよく分からなかったりしたけど、今敏監督の作品はなんかそういう、夢と現実の狭間をトリップし続けるような感覚を味わえればそれでいいのかなとも思っている。『メメント』みたいな感じで時系列を行き来したりする上に、たぶん創作と現実も入り混じっているのでめちゃくちゃ複雑。一応、助手ポジションの男が適宜ツッコミを入れてくれるから、ある程度の状況整理はできるんだけど、それにしても難しかった。

・でも今敏監督の作品はおもしろいんだよな。そこがすごいところ。ただ複雑でチンプンカンプンになってしまうわけではなく、分からないながらも画面に惹きつけられる何かが確かにある。日曜日の昼下がりに見るにはちょうど良すぎるくらいちょうどいい作品だと思う。


以下は19時に書きはじめました。↑までは定食屋で書いてた。帰宅後即日記安定。


・『正欲』も読み終わった。ややネタバレあります。

・大きくまとめると、"普通の人たち"の想像力の外側にいる人たちとどう共存していくかがテーマになっていて、終盤になるにつれてその切実さがどんどん増していって読むのが大変だった。

・「そんな奴おらんやろ〜(笑)」的な切り捨て方は、多数を管理するのには非常に楽で理に適っているし、当然のことだけど、人間の多く(少なくとも過半数)は多数派に属しているからこそ、結局のところ多数派の主張が多くの人に支持される主張になる。

・そうすると、やはり究極的には少数派は"いない者"もしくは"矯正の対象"、"異常者"とみなされる。多数派だけがこの社会の普通であり、少数派は異常な存在なのだという単純な二分構造は、言葉の上だけではなく現実世界でも起こりうる。

・多数派は自らの普通を信じて疑わないことがほとんどだと思うし、実際それが多数派を占めている事実によって、多数派の"普通"という共通認識は確固たるものになっていく。同時に、その枠に収まらないものは"おかしいもの"なのだという考えも強まる。

・そんな状態で多数派と少数派がまともに話し合うのはおそらく不可能で、だからこそ少数派たちは"どうせ話しても理解されない"という惨めさを開き直ることによって、この社会の生きづらさを克服しようと努める。

・でも、この多数派ナイズドされた社会においては、少数派はあらゆる場面において多数派との違いを見せつけられる。生きることを無条件に肯定されている多数派と、陰に隠れて生きていくことを余儀なくされている少数派との間にある溝は深い。

・ならば、少数派は少数派のコミュニティでしか"普通"に生きていくことができないのか?という疑問に対して、この小説内では、"対話"による可能性を見出している。

・対話、とだけ書くと陳腐な結論のように思えるけど、小説の中ではもう少し詳しく書かれている。例えば、"虫のことが怖くて苦手"という女性がいたとすれば、その程度やアレルギー症状などを一旦置いておくと、なんというか、非常に"わかりやすい"。なんらかの原因があって虫を苦手になる、というのは"普通の人"の想像力で十分に到達できる範囲であって、だからたくさんの人から共感を得られ、サポートを受けられる可能性がある。

・一方で、例えばシンフォフィリアの女性はどうだろうか。自然災害にフェティシズムを感じることについて赤裸々に話したところで、"不謹慎だ"という印象を持たれてしまう気がする。当人にもその自覚があるからこそ、このことは公にしづらいし、するリスクが大きすぎる。

・このリスクの上でも、土足で胸中を踏み荒らされるとしても、誰かに強引に干渉されることに"繋がり"を見出せるのかもしれない。

・と、希望を打ち出したからこそ非情なラストだった。彼らは結局、社会の多数派にとってわかりやすい形で罰せられることを選ぶ。「そんな奴おらんやろ〜(笑)」という多数派の嘲笑によって、自らの決死の行ないを存在ごと抹消されることよりも、誤解された上で"普通の人たち"のルールの中で罰せられることを選ぶ。そこには「もしかすると分かり合えるのかもしれない」みたいな希望は一筋もなかったように思える。ただ、少数派コミュニティの結束だけが固まり、その中身がブラックボックス化していくような。

・それでも、一番最後の最後、八重子(登場人物)の視点で締められるその章は、多数派と少数派の中間に位置する八重子ならではの、多くの意味をはらんだ終わり方だったように思う。

・ただ、その八重子にすらも、少数派であった大也(登場人物)の少数派たる本当の所以については明かされず、いわば"多数派に誤解されるためのわかりやすい所以"だけしか知り得なかったところに、どうしようもない断絶を感じてしまうのも確かだった。

・とにかくすごかったな。この内容をエンタメに落とし込んでめちゃくちゃおもしろい小説を一作書けてしまう朝井リョウ、すごすぎる。これでまだデビュー10年って言うんだから…。


・上記の感想を書きながら『トップガン』を見た。これで新作を見に行く権利を手に入れた。書くのに必死で何も覚えていませんが…。



・おもしれ〜。トリファイの吉田さんめっちゃ好きなんですよね。このエッセイも、わたしがいま読んだ半分くらいのところまでは、何一ついいところが出てこなくて、すごいモテることに必死になっているけど、嫌いになるどころかもっと好きになってしまうような魅力がある。

・いやでも、3年の夏からまともに受験勉強を初めて、現役で早稲田に受かってしまうのはシンプルにめちゃくちゃすごいな。これもエッセイを読んでいる人に対してのポーズなのではないかと勘繰ってしまう。吉田さんならそれもありだなとなってしまうところもすごい。非カリスマ的なカリスマ性がある。

・みなさんもブチ抜く吉田をぜひご覧ください。何やってんだ…ってなるので。バカみたいに更新頻度が遅いのも含めて良いチャンネル。ただ、見る意味みたいなものはあんまりない。謎すぎるチャンネルではある。

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