「星」2022年8月27日の日記

・休日!8時起き!しっかりフローリングワイパーをかけました。


・おもれ〜〜。蓮見さんのネタってけっこうあるあるっぽいとこから展開していくことが多いと思うけど、毎回見せ方がめちゃおもしろい。

・そしてこのコントはラストが悲しい。大切な思い出になっていた中学校時代の仲良し四人組は、実は自分を抜いた仲良し三人組として今でも関係が続いていた、ということに気付かされたら発狂してしまうかも…。





・これ、最近めっちゃ感じる。ただわたしの感覚が更新できていないだけの話なんですけどね…。

・恋愛関係だけに規定されない異性間・同性間の関係性というのは、言うまでもなく当たり前に存在している。逆に言うと”男女二人で仲がいいのに付き合わないなんてあり得ない”というような考え方があるとすれば、それにはわたし自身かなり否定的ではある。その考えを展開させていくとやがて”そんなに仲がいいのに付き合わないのは、どちらかが同性愛者に違いない(別にだからなんだという話だけど、この手の話をしたがる人は同性愛に対してマイナスな感情を持っている場合が多いように思える)、だから二人はくっつかないのだ”みたいな、その人にとって最もわかりやすい形で二人の関係性は消費される危険がある。関係性よりも前に性別をもって当事者間の関係を判断するのはお互いの人間性を踏みにじっている気がするし、自分が認めないような関係性のあり方を、”ないもの”とするような狭量さにも問題がある。

・こんな感じで、わたしは”誰がどんな関係性にあってもいい”というような、よく言えば寛大、悪く言えば無関心なスタンスを持っている。つもりである。

・つもりである。そういうものが実際に自分に根付いているかを確認させてくれるのが創作であり、創作は練習試合みたいなものだと思っている。現実で関わる誰かを不用意に傷つけないために、登場人物たちの葛藤を通してだったり、作者の主張や気付きだったりを自分自身に還元することで、ものの見方を増やしたり、様々な状況を慮ることができるようになる。


・以前このようなツイートをした。これはもうちょっと噛み砕くと、(特にインターネットの文面では)実際はどう思っているかはともかくとして、いろいろな価値観に同意したり理解を示したりするのは簡単だしそうしていくべき(状況によってはなにも言わないべき)だけど、直感的に感じ(てしまっ)た部分、つまり自分がそれについて本当はどのように考えて(しまって)いるのかの方が重要で、その比較・検証を怠るとあっという間に無責任に言葉を使う二枚舌が板に付いた人間になってしまう危険をはらんでいる、というようなことが書きたかった。これは今でも思っている。なんなら思考のメインストリームにいるかもしれない。


・こんな感じのメタ的な”気遣いできますアピール”みたいなものをどれだけ主張したところで、これはふとした時の思いつきだったり、しばらく考えていることの結晶だったりするわけで、いざ実際に誰かとコミュニケーションをとるときには、およそ取り繕うことが難しい、直感的な自分が出てきてしまう可能性が高い。また、現実のコミュニケーションでは自分の理解の範疇を超えることが思っている以上に頻繁に起きる。そういう時って、なにを言ったらいいか分からなくて変なことを口走ってしまうことも多い。だからこそ、その基盤となる思考を形成していくのが重要なのではないか、というのがここまでで書きたかったことです。たぶん…。

・で、話は最初のツイートに戻る。あのツイートの核は、「わたしの”直感的”な部分は全く更新できていなくて、所詮はわたしも、上記で忌避したがっていた、”仲のいい男女ならば付き合う(だろう)”という命題を信仰している人にすぎない」ということです。

・インターネット上で誰かが言っているのを目にすると不快になるようなことを、でも直感的にはわたし自身が考えているというねじれが気持ち悪くて、創作を見るときにうんざりしている。罪悪感とかともちょっと違う、わたし自身も二枚舌のダブルスタンダードだったんだ..と否が応でも突きつけられるような感じ。なりたい自分と実際の自分の乖離幅があまりにも広い。プラス、”考え方”みたいな部分は変えやすそうなのに、何年も変わっていない(今後も変わらないのではないか)という不安もよぎる。

・ツイートの後半部分。二人が物語の中で交際することになることによって「やっぱりそういう風に描かれてたよね〜!」みたいな感じで、結果から過程を正当化してしまうのもずるい。その遡及こそが二人の歴史だったり、人間性を踏みにじっている行為だとわかっていても、この正当化によって瞬間的な安心感を得ることを優先する心の動きみたいなものも不愉快に感じる。

・もっと人に不干渉であるべきというか、余計な情報をこちら側で勝手に足さずに、ありのままを正確に見て、投げやりじゃなくて認め合うことを当たり前にできるようにならないと人としてダメになってしまう、みたいなことはちょっと前から危惧していて、良い創作はそこを思い出させてくれるな…と思う。わたしにとっては小説が一番その役目を担ってくれている。

・最後になりましたが、ツイートだと”辟易”の矢印がどこに向いているかわかりづらいかもしれないけど、これはもちろんわたし自身です。



・読んだ〜。すごい。約2年ぶりの新作。すごかったです。帯のアオリが『ワンダと巨像』みたいだなと思った。以下ネタバレありでちょっとだけ感想書きます。





・凪良ゆうさんの作品はいつも、当事者と周囲の認識との乖離が非常に大きなテーマになっていると思う。今作もそうだった。小さい島の中で、互いの関係性を勝手に解釈されて、勝手に噂されて、勝手に悪評が広がっていく。そこでは当事者間の納得だったり同意だったりは大して重要ではなくて、その話題がどれだけ話題としておもしろいか、語るに足る内容かによって、ますますそれはヒートアップしていく。これは今の現実社会における炎上も似たような側面をはらんでいると思う。

・作中で、人気漫画家となった櫂の仕事上の相棒である尚人も、人気が出てから後出しで、とある告発を受け(当事者間同士は納得していたにもかかわらず)、週刊誌に載って大炎上、そこから二人の人生は変わり始めていく。

・本来なら、どんな関係性も当事者たちが認め合っていれば問題はないはずなのに、そこに干渉してくる見当外れの代弁者たちのせいで、立場が狭くなったり、その関係の解消を余儀なくされてしまう場合はおそらく多い。一般的な正しさみたいなものを振りかざして、一般的な悪さみたいなものを断罪するのはたぶん快感で、だからこそひっきりなしにこういうことが起きる。

・タイミング的に、りゅうちぇるのことがめちゃめちゃ思い浮かんだ。さすがにこの内容の小説をこのタイミングで読んだら思い浮かばない方が不自然だと思うからもう書いちゃうけど...。

・とにかく、当事者たちの歴史だったり近況だったりを一切見ようとせずに、起きた結果だけを拾って何かを語るのはあまりにも短絡的すぎる。その銃口が向いている先は標的を模した的じゃなくて生身の人間なので...。


・少し話は逸れてしまいましたが作品の感想に戻ると、凪良ゆうさんの作品には、必ず主人公たちに良き理解者が現れることによって絶望的な状況でも少しだけ安心感が担保されている。そんな彼らも、世間的・倫理的にはよろしくないと匿名希望の代弁者たちから糾弾されうるような過去を持っていたりするし、現在進行形で、すねに傷をつくったりもしている。

・だから、読み方によっては「悪い大人が悪い道に進めようとしている」みたいにも読めるかもしれないんだけど、凪良ゆうさんの作品はそれを感じなくてすごい。たぶん必要以上に干渉しなくて理知的だからだと思うけど。理知的でかっこいい理想的な大人でも、理外の行動を起こす、というよりも起こさなければならないタイミングが人生のどこかにあって、せめて主人公たちがその判断を見誤らないように関与してくれている感じでしょうか。


・制度としての結婚と、恋愛感情の終着点としての結婚についても描かれていた。結局、島に残ることに決めた暁海は、さまざまなことが重なって櫂との関係も辛うじて繋がっているといえば繋がっている、程度にまでなってしまう。それでも櫂のことを思い続けながら、他の誰かと結婚することもなく、うつ病の母親と一緒に金銭的にも精神的にもギリギリの生活を続ける。

・そこに救い船を出すのが北原先生で、暁海に対して、制度として結婚を利用することを持ちかける。このシーンは本当によかったな。暁海のことがなんでもお見通しなのは、おそらく北原先生自身も同じような経験を持っているからで、そういう人が身近にいることで暁海は壊れずにいられたんじゃないかと思う。実際に頼るかどうかは別として、いつでも頼っていい誰かが身近にいることで背負う荷物が少し軽くなることはあると思う。

・北原先生との結婚とそれに伴う共同生活によって金銭・精神・体力面で安定した生活を送れていた暁海だったけど、とある連絡からもう一度、東京の櫂に会いにいくことに。そこに対して深い理由も聞いたりせずに、ただ淡々と最速で東京に向かえるように手配をしていく北原先生には凄みがあった。

・恋愛関係になくても、お互いを支え合う互助会としての結婚関係はずっと続いていて、それはそれで全然いい。というか、いいも悪いも本人たちが判断するべきもので、他者はそのあり方について憧れこそすれ、どうこう当事者たちの気持ちを勝手に解釈して語る資格は持たない。


・一番最後、それぞれのキャラたちが、それぞれの人とか社会とか制度が持つどうしようもなさみたいなものを看破して、好き勝手やるシーンは痛快だった。北原先生も思い続けていた相手に出会えたわけだけど、そこについて深入りしすぎようとしない暁海がとてもよかった。当事者たちの間で交わされたことが全てであって、外部の声は本当は果てしなくどうでもいいものであることが、最後の最後で主人公の視点からも見える演出になっていてすごいと思った。


・エピローグがプロローグの答え合わせみたいになっていておもしろかった。本編を読む前にプロローグから受ける印象と、暁海・櫂・北原先生・その他の登場人物たちの様々で複雑に絡まり合った関係性を追いかけてきた後に見るエピローグは、内容がほぼ一緒だけど受ける印象がまるで違うという、作者や暁海から読者への意趣返しみたいになっている。


・総じてめっちゃくちゃおもしろかったです。何かを捨てて正しい選択だけをし続けるのは極めて難しいこと、何を選んだとしてもそこで何かしらの責任は伴うこと、みたいなのがちゃんと、「一度選んでおいて無責任に途中で投げ出せない」という葛藤とともに描かれていてよかった。

・毎作よくこんなに期待を裏切らずに、設定されたハードルのはるか上を跳んでいってくれるな...と思う。読者としてはありがたいかぎりです。物語のキーになるようなポイントが何度もリフレインするように書かれていて、そういう意味でも親切な作家だなと思います。


・というかここ最近の文学ってちょっとおもしろすぎる。ネット全盛の今、簡単に手に入る情報でなにかを判断する人も多いからこそ、読むのに時間がかかってしかもそれが有意義ではない可能性も秘めている文学は、その層とは対極に位置している。だからこそもうはじけまくっている気がする。最高です。いま一番おもしろいエンタメかも。



・明日はワイワイはっぴぃトークショーだ!久しぶりのオンラインイベントでめちゃめちゃ楽しみ。

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