「擬似冬眠」2022年4月10日の日記

・8時半くらいまで寝た。なんか土日は”有意義に過ごす”という気合いが入りすぎているのか分からないけど6時とか7時に目が覚める。いつもはそれに従ってなんとなく活動を開始するけど、今日はしっかり寝てみました。たぶんしっかり寝たほうがいいな。

・一日中だらだらしていたからあんまり書くことがない。

・この形式、楽だし話題の取りこぼしがなくていいけど、文字数を稼げなくて困るな…。完全に書き手側の意見だが…。

・牛肉ってまじで高いね!和牛なんて買えたもんじゃない。牛肉買うんなら外食しますが…ってくらい高い。和牛100g買うのと、牛丼並盛買ってお釣りもらうのどっちがいいかって話になってくる。近くに牛丼屋がないのだけが救い。

・結局ビーフのかわりにチキン入れて食べたけど全然うまいな。なんか違う感はあるけど。脳が混乱している感覚はあった。でもおいしかったからいいです。

・昼も晩も食べた。全く同じ献立。シチュー、マカロニサラダ、サバ缶。健康なのか不健康なのか分からなすぎる。



・マイブームがジャイアントコーンです。今日も食べるぞ…。

変わり果てた姿で発見されました

・なにが「よくできました」じゃ!俺の目を見て言ってみろ!二度と生意気な口きけねぇようにしてやっからよォ…。

・取り乱しました。

・それにしても切断面が綺麗。気円斬でも使ったのかもしれない。知らないうちに。



・『万引き家族』を見ました。すごい作品。見てよかった。

・感想をちょっとだけ書きます。めちゃくちゃネタバレあります。まだ見たことない人はわたしの大したことない感想でネタバレする前に一度は見てみることを強くおすすめします。ほんとうによかったから。




・まず、大きな出来事は基本的に起きなくて、淡々とした地味な薄暗いシーンが続くのに全然だれない。純文学的な構成とでも言えばいいのかな。よくわかんないけど。

・ここが退屈な作品とそうじゃない作品の差ってなんなんでしょうね。ずっと日常のどこかしらに、オーバーじゃないくらいの違和感を持たせ続けてくれている感じがして、日常の中にもハラハラ感があるからなのかな。今作で言えば、”万引きはどのタイミングでバレるのか”みたいなのが視聴者であるわたしの頭には常にチラついていて、そこが飽きさせない一つの仕掛けになっているのかもしれない。書いてみたら全然違う気もしてきたけど...。


・内容について。

・やろうとしていることが正しくないとわかっていても、最善じゃないとわかっていても、何かを決断して進めていかないといけない時はきっと誰にでもある。そういう葛藤というか、覚悟みたいなものを表現した映画なのかなと思いました。

・環境によって、人は予想もしない方向に進んでいくことがありえるし、それは外部から見ると、悲惨で窮屈で不自由で最悪なところにも映ってしまう。そして、客観的にはたぶんその外部の評価は概ね正しい。

・だけどその環境にいる当人たちにとっては満足、という状態はあってもおかしくない。ストックホルム症候群とかともまた別の話で。陳腐な表現になってしまうけど、結局は愛を持って接している/接されているかが最重要で、これは一方的にではなくて、お互いが愛情を感じ合うからこそ”家族”は成立するし、逆に言えばそれ以外には本質的な”家族性”みたいなものは宿らないのかもしれない。

・息子に万引きの仕方を教えたり(それによって生活していたり)、「学校は家で勉強できない奴が行くところだ」と嘯いたりすることは一般的・社会的・倫理的には明らかに正しくないし、最善の教育とも言えない。そんなことはわかっていても、でも当事者たちにとっての最善を選んで、生活を共にしていってしまうことは必ずしも悪なのかというと、それもまた違うと思う。

・『万引き家族』で描かれる家族は極端な例になっているけど、実際の子育ても、”最善とは言えないかもしれないけど、今できる最高の施しを子どもにしてあげよう”の積み重ねなんじゃないかと思った。なるべく最高の環境を用意してあげる、という無償の愛のかたちは様々で、だからこそ当事者と外部の間で軋轢が生まれる。

・あと終盤で、いろんなことが明るみになった後の警察の取り調べは残酷すぎるほど残酷だった。正しさってめちゃくちゃ便利で、全てのグラデーションを黒に塗りつぶしてしまう力がある。

・”そんなことは承知の上で...でも”という主張に対して、”ってことはダメってわかっててやってたんですよね?”はたしかに論理的に通る。圧倒的な”正しさ”はそれ自体が力を持ちすぎている。

・だから、一般的・社会的・倫理的によくない行為は、そこに本来含まれているはずの葛藤や歴史が、"正しさ”によって、間違いとして一色に塗りつぶされてしまう。

・さらに、主人公たちは口がうまくないから、全部を相手のいいように言いくるめられてしまう。

・わたしは『プロフェッショナル』の夏井いつき先生回のこのコメントがかなり印象深くて、映画の終盤もこの言葉を思い出した。

・"言葉"は便利だけど全能ではないから、”感情や思い出”と”言葉”は必ず対応するものがあるわけじゃない。それでもある程度は自分の”感情や思い出”を”言葉”にして他者に伝える能力は必要だと思う。じゃないと、諦めなきゃいけないものが増えすぎてしまうから。

・口が達者で、丸め込める側にとって、”正しさ”は一種の暴力になりえるし、”正しさ”を使うときはそのことに自覚的でなきゃいけない。”正しさ”は、相手の感情や思い出や歴史を蹂躙している可能性を一時的に忘れさせてもくれるから。その歪みはどんなタイミングでも生じうる。

・さらに一番最後のシーンで、りんが外を見ているところで終わるのもなんかすごく悲しかったな。この後どうなっちゃうんだろうと思って。少なくとも幸せなイメージは全然浮かべられなかったから。


目じゃないとこ 耳じゃないどこかを使って 見聞きをしなければ
見落としてしまう 何かに擬態したものばかり
『擬態』

・わたしが長々と書いたことが端的に全て詰まっている素晴らしい歌詞...。

・こう考えるとめちゃくちゃミスチルの影響でかいかも。日記書いててもよく浮かんでくるし。



・1時間半くらい昼寝したからめちゃくちゃ気持ちがいい。これは毎日したほうがいい。わたしはなぜ昼寝もせずに毎日過ごしているんだ…と思った。国に義務付けてほしい。法改正。可決。全会一致。”全て国民は、14時〜15時半の間は睡眠をとらなくてはならない”。マニフェスト。希望。キボンヌ。

・久しぶりにほぼ一日中ずっと家にいる日だったけど、こういう日が月に一回くらいはあったほうがいいかもしれない。最近、サイクリングしている時間とか、なんかの移動時間とか全部、もったいないな…とか思ってしまっていたから。擬似冬眠も時には必要なのかも。

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