失われた香りたちを求めて
金木犀といえば、小学生の十月を思い出す。
家の門のすぐ脇に金木犀の木が植えてあって、朝の「行ってきます」とともに金木犀の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。とても心地よかった。
そうやって幼心のうちに、秋の次には金木犀が訪れ、金木犀の次にはきまって冬が訪れることを知った。
私たちの記憶がちょうどそうであるように、365日を通して気体分子の組成はグラデーション的に変化している。
人の記憶と香りはとても強固に結び付いているという。
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はたして、何千何万の香りと記憶の「組」が内部に蓄積されているのだろう。
私たちはすっかり忘れたつもりでも、無意識は意識的に鮮明に記憶している。
香りがトリガーとなって、脳内に、心中に、壮大なパノラマが先鋭化される。そしてその準備がある。
親切にも、おせっかいなそのような機構が我々の身体に組み込まれているのだ。
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冬がやってきた。
冬の香りは好きだ。自分のそれぞれの冬を構成している記憶たちが好きだから。
今までどれほどの香りを吸収し、これからどれだけの香りを受容していくのだろう。
そしてその香りと対をなす未来の記憶はどのようなものなのだろう。
過去の香りたちを内部化し、未来の香りたちに期待を込めたいと思う。
求める心にはすべてを開花させる力がある。
マドレーヌを食べるのは、マルセル・プルーストだけではないのだ。
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