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三秒もどせる手持ち時計(2章6話:宴が終わると)

6.宴が終わると

 午後7時。小豆沢祥子あずさわしょうこが、『鶴と水面』を片付ける旨を説明し、神奈川凛かながわりんが台車に載せて運んでいく。桜子によると、参加者の酔いが回らぬうちに片付けるのが習わしだそうだ。
 秀次は桜子の話を聞きながら、周囲を見渡した。高砂席では、京子きょうこ北村涼きたむらりょうが会話をしており、その隣で、小豆沢蓮也れんやは静かにお酒を飲んでいる。
 また、料理の近くでは、ビールを持ったあやめが揚げ物を摘まみながら、柚葉ゆずはと話している。すると、近くいた愛葉心あいばしんが祥子に何かを告げ、パーティールームから出ていくのが見えた。
「愛葉君は、いつも食事を摂ったら、すぐに戻られるのですわ」
 桜子が、秀次の疑問を補完してくれる。
 
 午後7時半。再び小豆沢祥子がマイクを取った。小豆沢京子が、お色直しに行くそうだ。
 すると、秀次の元にあやめと柚葉が来た。あやめの手には、ハイボールと焼うどんの入ったタッパがあった。
「そろそろ、花火大会が始まるから、二階に上がりましょう」
 柚葉が言った。
「柚葉ちゃんのお部屋でも、お酒飲んでもいいんだって。二人とも何かいる?」
「じゃあ、俺はハイボールで」
「わたくしも、同じでお願い」
 あやめは、笑顔で返事し、なぜだか袋に三本のハイボールが入っていた。
 
 午後7時45分。赤、青、緑、さまざまな色の花が夜空に打ち上げられる。柚葉の部屋から見える景色は、黒い背景に色取り取りの花が絶え間なく咲き、奥に見えるモダンな離れと庭の緑と一体化している。
「あら、柚葉。動画も撮ってるの?」
 桜子が、柚葉に尋ねる。窓の隅を見ると、充電コードを取り付けたビデオカメラが置かれている。画面を見ると、どうやら一時間前から録画していたようだ。
「折角だから、動画に残しておこうと思って」
「それ見ながら、お酒飲めそうだね」
 あやめも微笑む。秀次は、改めて柚葉のビデオカメラを見た。そして、花火を撮るにはアングルが少し低いかもしれないと思った。
 すると、噴水のように降り注ぐ花火が見えた。横を見ると、あやめが焼うどんを食べながら眺めている。
「あれ?京子さん?」
 誰かの声が聞こえた。と同時に破裂音が響き、巨大な白い花が夜空に咲いていた。
 
 午後8時。
「そろそろ、京子さんのお色直しも終わった頃かしら」
 桜子が口を開いた。
「かもしれないね」
 柚葉もそれに同意する。すると、桜子が秀次の方を向いた。
「では、戻りましょうか。もう少し、何か摘まみたいですし」
「そうだね」
 あやめも、同意見だそうだ。見ると、タッパに入った焼うどんが綺麗に無くなっていた。
「えっ。まだ食べるの?」
 秀次が驚いて、あやめに聞いた。
「うん。まだまだ、食べたりないよ」
 秀次たちは、パーティールームに向かった。柚葉は、もう少し花火を見るという。
 パーティールームに入ると、京子が北村涼とお酒を飲みながら会話しているのが見えた。その姿は、黒いドレスに白いスカーフを身に着け、髪には白い花が携えられていた。
 秀次は、京子の姿を見て、和服姿より少しスリムになったような気がした。
 すると、桜子は不敵な笑みを浮かべながら、京子に近づいていった。
「桜子さん。また、京子さんに嫌味でも言いに行ったのかなぁ」
 秀次が、あやめに言った。
「桜子ちゃんなりのコミュニケーションかもしれないよ。それに、なんだか二人とも楽しそうだし」
 あやめは、そう言いながら食器にローストビーフとマッシュポテトを乗せている。
 すると、祥子が近づいてきた。
「お食事、お楽しみ頂けておりますか?」
「はい。とっても。このマッシュポテトも、とってもおいしいです」
 あやめが、笑顔を答える。
「お楽しみいただき何よりです。このローストビーフとマッシュポテトは自家製なんですのよ。良ければ、今度作り方をお教えしましょうか?」
 と、祥子も微笑む。
「えっいいんですか。ぜひお願いします」
 秀次は、あやめの作るローストビーフとマッシュポテトも食べてみたいと思った。
 
 午後8時40分。
 気がつくと、パーティー参加者があやめを囲んでいた。あやめは、陶器のコップを片手に天ぷらや寿司を食べている。
(食事をしているだけで人気者とは、あやめもやりおるのう)
 秀次も同感だった。あやめの美味しそうに食べる姿は、見ていて何だか癒される。
「へぇー。凛さんって涼さんの元生徒なんですか」
 あやめの声が聞こえた。
「はい。凛は、私が大学時代に働いていた進学塾の生徒でして」
 北村涼が言う。
「涼さんは、それもあってか、小豆沢家によく来てくれるんです」
 神奈川凛が言う。
「それだけじゃありませんけどね」
 北村涼曰く、最初は彼の会社が展開するネットビジネスの関係で、小豆沢蓮也と繋がったそうだ。さらに、神奈川凛との縁もありプライベートでも来るようになったという。
「私は、もう少し桜子さんにお近づきになりたいんですけどね」
 北村涼は、桜子を見て言った。
「あら、わたくしは今の距離感が心地よいですわ」
 桜子は、やはりお気に召さない様子だ。
(おっ。またしても楽しそうな雰囲気ではないか)
 なぎさの悪い笑みが目に浮かぶ。
(なぎささん。悪い癖が出ていますよ)
(秀坊よ。ツクヨの真似事はよさんか)
 なぎさは、苦笑いをしていそうだ。
 すると、京子も話に加わって来た。
「真田さんと言いましたっけ」
 京子は、微笑みながらあやめに話かける。
「良い食べっぷりですわね。見ていて幸せな気持ちになりますわ。誰かと違って」
「あら、誰のことかしら?お義姉さま?」
 桜子も、微笑みながら返す。秀次は、京子と桜子はあやめの言う通り楽しんでいるのかもしれないと思った。
「ところで、真田さん。何を飲んでいらっしゃるの?」
 京子が、桜子を無視して言った。
「鰭酒です」
 あやめが答える。
「いいですねぇ。私も飲もうかなぁ」
 北村涼が言う。
「そうね。あなたもどう?」
 蓮也は、京子の問いに頷く。蓮也は、パーティーのほとんどの時間を高砂席で過ごしているようだった。
「そう言えば、愛葉様も好きでしたね。鰭酒」
 凛が言った。
「そうですね。凛さん。鰭酒を持ってくるついでに、心さんも呼んできていただける?」
 祥子が凛にそう頼む。すると、凛は「わかりました」と言い、パーティールームを出ていった。
 その後も、秀次とあやめや桜子の関係や涼の会社の話で盛り上がった。特に、涼が大阪で知り合いと会社を立ち上がる話が興味深かった。
 すると、勢いよくパーティールームの扉が開いた。神奈川凛が、戻ってきたのである。しかし、彼女の表情は蒼くこわばっていた。
「祥子様。大変です。離れの玄関で、『鶴と水面』が粉々に割れています」
 それを聞いた全員の表情が固まった。そして、時が動き出した時には、午後9時を指していた。

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