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三秒もどせる手持ち時計(3章8話:相反する思想)

8.相反する思想

 桜子がカフェを後にして数分後、彼女からチャットが届いた。どうやら、もうすぐ北村涼と別れるので近くのカラオケボックスに来て欲しいとの事だ。
「これって、なぎさちゃんたちとも話したいってことだよね」
 あやめが言った。なぎさも、それに同意した。
 秀次も、桜子とツクヨに話を聞きたかった。何より、涼の目の奥の僅かな濁りが気になって仕方なかった。
「あやめちゃんは、どう思った?」
 あやめは、首を横に傾け、斜め上を見た。
「うーん。何だろう…。嘘は言ってないけど、全部は言っていない感じかなぁ」
 あやめにも、やはり違和感があるようだ。

 カラオケボックスに入ると、桜子が待っていた。すでに、受付を終えたらしく、伝票の付いたバインダーを持っている。
「早かったですわね。じゃあ、行きましょうか」
 部屋に入ると、桜子はツクヨを呼び出した。続けて、秀次もテーブルに『逆巻き時計』を置いた。
「ストレスが溜まりましたわ。桜子のお肌も荒れそうですわよ」
 そこには、素の小豆沢桜子がいた。しかし、秀次には彼女が何かを取り繕っている様に感じた。
「さて、何から話しましょうか…」
 桜子の話では、涼は冷泉から秀次とあやめがセミナーに参加したと聞いたという。
「先ほど涼さんが言っておられた“透明な球体”というのが、『強運の賽』なのでしょう?あやめさんが、興味を持たれていたとか」
「うん。一応、聞いとこうかと思って…。恐かったけど…」
 あやめは、冷泉の表情を思い出したのか、曇った表情をした。
「そう言えば、あの時、俺たちは名乗って無かったと思うぜ」
 秀次の問いに、あやめも頷く。
「それは、涼から聞いたのかもしれぬな。聡一郎の仲間として注視されたであろうし…」
 なぎさが、左手で口を隠しながら言う。秀次は、セミナー会場にあったビデオカメラの映像から割り出しのかもしれないなと思った。
「桜子さんに聞くのは間違いかもしれないけど、あいつの言った事が本当なのか?」
 秀次は、疑問を投げかける。
「今日の話に関しては、嘘はありませんでしたわ」
 桜子は、先ほど涼との別れ際に、『魔性の香水』を使っていくつか質問をしたそうだ。それによると、冷泉の過去や涼の思いに嘘はなく、秀次とあやめに言い忘れたことも無いという。
「涼は、嘘をついておらぬと…。であらば、冷泉に現在と過去の違いを突き付ければ、相反する思想の狭間で揺れ動き、やがて『強運の賽』による決断に至るやもしれぬ」
 秀次も、なぎさの意見に同意した。確かに、それであれば冷泉の人生の方向性を左右する重要な決断に当たるかもしれない。
 さらに言えば、聡一郎たちが探している被害者の声も重く圧し掛かる可能性も少なくないと思った。
「じゃが、わらわは涼の言動の方が気にかかるのじゃ」
 なぎさは、涼の言葉に二つ疑問に思うことがあるという。
 一つは、北村涼がどうして秀次にこの話をしたのかであった。それは、あやめが『強運の賽』に興味を示したと聞いたからかもしれない。
 しかし、秀次が“透明な球体”、つまり『強運の賽』の秘密を知っているとまで言ってのけたのかが疑問だという。
 もう一つ、冷泉和也への思いである。終始、涼は冷泉への尊敬や憧れの言葉を出していた。彼にとって、かつてはそうだったかもしれない。
 しかし、現在はどうなのだろうか?本当に冷泉を救いたいと思っているのだろうか?それにしては、引き下がり方が淡白すぎるのではないか?というものであった。
「確かに、そうだな。涼さんは、何をしたいのかがわからない。単純に、冷泉を助けたいと思っている素振りだが、俺にはどうにも腑に落ちない」
「何か裏がありそうだね」
 あやめも同意する。
「そうですわね。前回の件も、一見、涼さんには動機が無さそうでしたが、実はしっかりとした動機がありましたし…」
 桜子の話では、以前の小豆沢家の一件で涼は柚葉と凛のアドバイザーとしての立ち位置を誇示していた。しかし、後日、蓮也に聞いたところ、どうやら京子は涼の紹介するビジネスに真っ向から反対していたという。
「つまり、涼さんは商売に邪魔な京子さんを排除する目的で、あんな事をしでかしたのか」
「そうですわ。なので、今回も本心がわかりませんわ」
 桜子が、視線を落とす。
「桜子ちゃん。『魔性の香水』で他に何か聞き出したの?」
 あやめが、不安そうに桜子を見る。すると、桜子はさらに視線を落とした。
「わたくしは、先ほどの話の他に、わたくしに何か隠していることはないかと問いました。すると…」
 桜子の表情は、さらに暗くなった。秀次は、このような桜子を見るのは初めてだった。
「わたくしに近づいた理由を話されたのですが…。それが、下心に溢れていて非常に不快な内容でしたの」
 桜子は、不快感と怒りで震える声を必死で抑えている様に見えた。
「桜子さん。お気を確かに。もう終わったことです」
 ツクヨは、彼女なりの慰めの言葉を述べた。
「…ですので、今後はあの方と二人でお会いすることは金輪際ありませんわ」
「…ごめん。嫌な事を思い出させて」
 あやめが言った。すると、桜子が彼女の目を見て言った。
「気にしないで。わたくしは、あなた方を大切な友人だと思っていますわ。それに、この件は自分で言い出したことですし、友人との約束を反故にはしたくありませんでしたし…ね」
 桜子は笑顔を見せた。それは、重荷から解放されたように清らか表情をしていた。
「毎度、そんな役ばかりさせて、申し訳ない」
「そうですわよ、秀次さん。代わりと言っては何ですが、これからも、あやめさんと共にわたくしの友達でいてくれればうれしいですわ」
 桜子は、笑顔でそう言った。その表情は、妖艶なそれではなく、無垢な少女のような笑顔だった。
「何言ってるの。私たちは、桜子ちゃんともう友達だよ」
「そうだよ」
 桜子は二人の言葉を聞いて、少し涙ぐんでいた。

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