見出し画像

三秒もどせる手持ち時計(3章7話:過去と現在)

7.過去と現在

 秀次とあやめは、海岸沿いにあるカフェに来ていた。外では、帆船が相も変わらず汽笛を鳴らしている。
 北海道に行った数日後、小豆沢桜子あずさわさくらこからチャットが届いた。どうやら、北村涼きたむらりょう冷泉和也れいぜいかずやについて話したい事があるらしい。
「ここ、なんだか懐かしいねぇ。私にとっては、大切な場所になっちゃったから」
 あやめが、笑顔で言う。それは、秀次にとっても同じであった。あの日、この場所での出来事が無ければ、隣に真田あやめがいなかったかもしれない。
「…そうだな」
 秀次は、照れを隠しながら無表情で言った。
 すると、扉を開ける音が聞こえた。見ると、桜子と涼が少し距離を取って歩いてくる。
「お待たせしました」
 桜子がそう言って、涼を奥の席へと促した。桜子の出で立ちは簡素であり、以前ここで会った時とは別人のような雰囲気であった。
「お久しぶりです。以前は、ご迷惑をおかけしました。座ってもいいですか?」
 涼は、控えめな姿を見せた。
「今日は、涼さんがあなた方にどうしても話したいことがあるというので、お招きしたのですわ」
 桜子は、まるで出会って間もない間柄かの如く余所余所しく話した。
(…女狐も、この北村涼という男を信用していないように見えるの。秀坊も、全てを鵜吞みにするのではないぞ)
 なぎさの警戒心が伝わってくる。
「ところで、秋山さんと真田さんは弊社のセミナーにご参加いただけたとか…」
 涼の声が、波音に混じりながら聞こえた。
「どういった印象を受けられましたか?」
 涼が真剣な眼差しで問う。二人は、どのように答えようかと思案した。
「どうと言われましても、あぁいったセミナーに参加した経験がありませんので、何とも」
 秀次が、当たり障りのない言葉を述べた。
「真田さんは、どうでしたか?」
 あやめの顔が、強張っていくのを感じた。
「…わかりやすく説明されているという印象でした」
 あやめが、やや小声で言う。
「…お二人とも、あまり良い印象では無かったと見受けられますね」
 涼は、深く息を吸っていった。
「あの冷泉の姿は、本来の彼ではありません。以前は、もう少し…」
 涼は、少し視線を上げた。
「いや、今とは違い冷静に熱量を伝えられる人物でした」
 確かに、あのセミナーから受けた印象は冷静ではあるものの、熱というものを感じられなかった印象だ。
「冷泉は、かつて――」
 
 北村涼が、冷泉和也と出会ったのは五年前であった。冷泉が、涼の勤務していた弁護士事務所を訪れたのが始まりだという。
 冷泉の相談内容は、日本の会社設立にまつわる法的措置についてであった。相談を受ける中、涼は冷泉の経歴を聞いて驚愕した。彼は、アメリカの大学で経営学を学び、そのままシリコンバレーの企業に就職した。さらには、七か国語を操り、いくつもの学位を取得していた。
 涼も、自分のキャリアには一定の自信があった。しかし、冷泉と比べると足元にも及ばないと感じざるを得なかった。  
 涼は、当時の彼の印象をこう述べる。冷静かつ明晰でありながら、それに奢ることも無く内に秘めたる熱意を燃やしていたと。
 やがて、涼は冷泉を代表とする合同会社ジェネロッドの立ち上げに参加するようになった。冷泉も、日本の法に明るく、優秀な人材を求めていたらしい。
 涼は、冷泉の熱意やカリスマ性に惹かれていった。そして、現状では冷泉に遠く及ばないが、いつか肩を並べて歩みたいと思うようになっていた。
 合同会社ジェネロッドの業績も順調だった。何より、『弱者に寄り添い、能力を開花させる手腕』が評価された。さらには、近年の副業ブームや感染症による社会変化も伴って利益の拡大が続いた。
 しかし、旧態依然とした日本社会は、かつての時代を羨望した。社会が、感染症の影響に一定の決着を付けた頃から、業績が緩やかに後退し始めたのである。
 冷泉と涼は、あらゆる施策を実行した。ネットビジネスのセミナーも、その一つであった。しかし、すでに多くの企業が参入していた事もあり、冷泉の思い描く成長には至らなかった。
 そして、冷泉が長期休暇を申し出た。涼は、冷泉の新たなる策謀を信じて、それを受け入れた。
 二か月が経った。涼が待ち合わせ場所に向かうと、そこに冷泉がいた。しかし、その姿は嘗ての熱意が消え、明晰さと冷静さだけが残ったような印象だった。
 さらに気になったのは、見覚えのない透明な球体を肌身離さず持っているところだった。見ると、その球体には見える全ての面に“吉”と書かれたサイコロが三つ入っていた。
 冷泉は、会社方針から日常に至るあらゆる場面で、それを転がしていた。涼は、当初それに対して懐疑の目を向けていた。しかし、その後の冷泉の方策は全て的中し、合同会社ジェネロッドの業績も上向き始めた。
 ある時、涼は冷泉に今後の向かう先を尋ねた。すると、彼はこう言った。
「弱者を選別し、利用価値のある人材へと作り変える。それこそが、我々の使命だ」と。
 
 涼が、語り終えると深く息を吸い、緩やかに吐き出した。彼は、深刻な表情を崩さない。
「冷泉は、あのサイコロを手にしてから変わってしまったように思えるんですよ」
 涼は、少し前のめりになり、言葉を続けた。
「君たちは、あの球体の秘密を知っているのだろう?だったら、辞めさせてくれ。そして、彼を解放やってくれないか。凛や柚葉さんの思惑は疎か、私が君を指名しようとしていたことまで看破した君なら出来るんじゃないか」
 秀次は、返答に困った。桜子は、どこまで彼に話したのだろうか?何より、彼の目の奥には僅かな濁りを感じるのは気のせいだろうか?
 すると、桜子が口を開いた。
「という訳ですの。わたくしには、何のことやらさっぱりわかりませんが、秀次さんは何かを知っているかもしれないとのことですわ」
 桜子は、無表情で言った。どうやら、神具の事などを詳しく話した訳では無さそうだ。
「…と言われましても、俺たちにも何のことだかわかりません。ですので、涼さんのご相談は承諾しかねます」
 秀次は、業務的な言葉づかいで丁寧に話した。
「…そうですか。それは残念です。では、何かお困りのことがあれば、いつでも以前お渡しした名刺から連絡ください」
 そう言うと、涼が立ち上がった。
「貴重なお時間をいただきありがとうございます。桜子さん、行きましょうか」
 すると、涼は出口に向かって歩きだした。
「後ほど連絡しますので、少し待っていていただけるかしら」
 桜子が小声で話し、涼に着いていった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?