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三秒もどせる手持ち時計(3章11話:変化)

11.変化

「お前ら、ちゃんとやってるか?」
 飯田が、戻ってきたようだ。しかし、あやめと水口の視線は冷たい。当然である。自分が引き起こしたトラブルをあたかも無かったかのように振る舞っているのだから。
 すると、あやめが何かを言おうとした。しかし、秀次はそれを静止した。
「飯田さん。スペックの洗い出しが終わったので、送ります」
 秀次が言った。そして、飯田は遅いという意味の言葉を述べ、自席についた。
 しばらくすると、千賀も職場に戻ってきた。そして、パソコンを開けると「なるほどな…」と呟いた。
 秀次は、千賀に先ほど見つけた資料を送っておいた。それを見てくれたのかもしれない。すると、確認するという意味の返信が返ってきた。
 その後も、やはり飯田から指示がない。どうやら、秀次が送った資料を見ながら考え込んでいるようだ。それにしても、時間が掛かり過ぎではないかと、秀次は思った。
 秀次は、とりあえず水口とあやめの仕事を手伝った。もう既に、要因も分かったし、代替え案も見つけた。後は、千賀の判断を待つだけだ。

 時間は、十六時半を回った。
「秋山。これを見てくれ」
 千賀は、自分のパソコンを見ながら言った。どうやら、千賀も代替え案を検討していたらしい。それは、最新機種を少しカスタマイズして、案件に落とし込めないかというプランであった。
 しかし、そのプランにはいくつか障壁があった。まずは、技術的な可否、次に時間的な制約、そして上層部の判断である。
「それを踏まえると、秋山のプランも持っておいた方が良さそうだ。さっきの案は、課長に説明できそうか?」
「はい。大丈夫です」
 すると、飯田が怪訝そうな目で見てきた。
「係長、勝手に進められたら困ります。何かプランがあるなら、私が勝山課長に責任を持って報告しておきます」
「なっ」
 秀次は、思わず声をあげてしまった。飯田は、自分で問題を起こしておいて、あたかも自分が解決したかのように報告するつもりなのだろうか。
 すると、千賀が立ち上がった。しかし、その表情は恐ろしいほどに柔和で穏やかであった。
「分かった。今、メールを送ったから、詳しく説明するよ」
 千賀は、そう言って飯田の後ろに回り、肩に手を置いた。すると、飯田の表情が変化した。気のせいなのだろうか。
 奥から勝山が歩いてきた。上層部とやりあったのだろうか、ひどく疲れている様に見える。
 終業のベルが、鳴った。周りには、帰り支度する社員がちらほら現れ始める。
 飯田が、立ち上がった。そして、
「定時ですので、私は帰ります」
 と言った。
「ん?課長に報告しなくていいのか?説明はまだ途中だぞ」
 千賀は、飯田を引き留める。しかし、その声にはあまり意思を感じない。
「いえ結構です。係長の方で、ご報告お願いします」
 すると、飯田は足早に職場を後にした。
 秀次には何が起こったのかが、まるで分らなかった。勝山への報告に拘っていたはずではなかったのか?なのに、あれほどまでも、あっさりと帰宅するとは思いもしなかった。
「飯田は、どうした。まさか、帰ったのか?」
 勝山も、驚きを隠せない様子であった。
「どうやら、やる気を無くしたみたいですね。それより課長、これを――」
 千賀は、二つの代替え案を提示し、秀次と共に説明した。すると、勝山は検討するという言葉を返し、秀次たちに帰宅を促したのであった。

「秋山さん。飯田さんは、突然どうしたんでしょうね」
 水口が言う。
「…わからない。でも、飯田さんらしいと言えば、そうなんだけどな」
 あの時、千賀は何かしたのだろうか?ただ、後ろに回っただけだったが。
「まぁ、いいんじゃないか。やる気を出した飯田さんの方が、厄介だったし」
「…そうだね」
 あやめの表情も冴えない。
「私、今日の一件で、この会社が嫌いになっちゃたかもしれない…」
 あやめの意見も無理もない。見栄や忖度にまみれて、無駄な仕事をしたのだから。
「僕も、将来について考えなきゃいけないと思いました」
 水口も、嫌気が差してしまったのかもしれない。
 二人の会話を聞いていると、秀次は自分が何に拘っているのだろうかと思い始めた。今まで、職場を中心に物事を考えていた。しかし、視野を広げれば、幾らでも可能性があるのではないか。そう思った。
 すると、脳内から声が聞こえた。なぎさが戻ってきたのだろう。
(…なんだか、冴えない表情をしておるのう。わらわが居なくて、そんなに寂しかったかの)
 なぎさは、良くも悪くも空気を読めない。仕方がないので、秀次は今日の出来事を手短に話した。
(…無能な働き者ほど、厄介なものはないからのう。じゃが、千賀とその無能とのやり取りも少し気になるのう)
 なぎさは、少し考え込む様子を見せた。何か思い当たる事でもあるのだろうか。しかし、なぎさはそれに関して何も言ってこなかった。淡い予想か、それ以下の推論にしか至らなかったのだろう。
 すると、再びなぎさの息遣いが聞こえた。
(まぁ、独りよがりの野望は、百害あって一利なしという教訓かもしれぬの)
 秀次も、なぎさの意見に同意した。隣では、あやめと水口が副業について話している。
 それを聞きながら、秀次も環境を変えるか、何かを始めるかを考えなければならないと強く感じた。

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