窓ぎわのトットちゃんと
『続 窓ぎわのトットちゃん』が出版された。予約して発売日に届いたもののまだ読んでいない。その前に『窓ぎわのトットちゃん』をもう一度読みたくなったのだ。
初めて読んだのは小学生の頃。親が本棚の整理をする為に床に積まれていたのを可愛らしい女の子の表紙に惹かれて読み始めた。階段に座って夢中になって読んだのを覚えている。
トモエ学園が羨ましかった。あの頃はクラスに居場所なんてなくて、先生からすればじゃれ合いだという、される側からすれば虐めを受けており下ばかりを見つめていた学校生活。
小林先生のようにストレートに「君は、ほんとうは、いい子なんだよ。」とあるがままを受け入れて欲しかった。実際はクラスの皆んなに合わせられない空気読めない奴だった訳で心の底から学校生活を楽しめたのは高校の3年間でしかない。
トモエ学園へ通えたら、どんなに素晴らしいかと想像しては現実と向き合っていた。
初めはトットちゃんの目線から見ていた世界が、トットちゃんよりも上の年齢になり、それからトットちゃんのお母さんの世界から捉えるようになった。
子どもたちが幼稚園へ通う頃、お弁当は"海のものと山のもの"を意識していたし、あの頃、自分の子どもに合う学校を必死になって探したであろう途轍もない苦労も想像できる。そして、次男坊チビ介が通った幼稚園はなんとなくトモエ学園に似ていた。
黒柳徹子さんはウクライナ侵攻をみて『続 窓ぎわのトットちゃん』を書かれたそうだ。トモエ学園は戦争で奪われてしまっている。ウクライナでもまた、同じような事が起きている。
もう一度『窓ぎわのトットちゃん』を読んで、それからのトットちゃんの物語を読もう。
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