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いちDMPの思い出語り

某ウイルスが猛威を振るっていることもあり,年明け以降大会に出ていない。

大会にでないとモチベーションはダダ下がりになるらしく,デュエマに触らない日も多くなった。

構築記事を書けるほどデュエマに触っていないものの,何らかの形でデュエマとの縁は残しておきたいと思い,今回の記事を書こうと考えた。

思い出を語るだけなら環境を知らなくてもできるというわけだ。


僕は双極篇からの復帰勢だ。

そして,復帰後は天門を相棒としてここまで歩んできた。

この記事では,復帰からの歩みを当時のデッキレシピとともに振り返りたい。


1 過去のデュエマ歴

僕は基本セット第3弾の頃からデュエマをはじめた。

もっとも,デュエマをやっていたといっても,たまに数パック買い,ありあわせのカードで兄弟と遊ぶ程度であった。

他人と対戦したのは次世代ワールドホビーフェアのフリー対戦くらいである。

そんなこんなでいつのまにかやらなくなった。

持っているカードをみるに,転生編直後くらいにやめたようである。


2 復帰のきっかけ

双極篇頃に復帰した。

そのきっかけは下記ツイートのとおりである。

当時を遊んでいた元子供であれば共感してもらえるだろうが,アルカディアスやバロムは憧れだった。

コロコロで大々的に取り上げられ,このカードが欲しいと親にねだってパックを買ったものの,ついにこれらヒーローを手に入れることはできなかった。


大人になって時間潰しにたまたま入ったカードショップでかつて憧れたカードを見つけ,ついつい買ってしまった。

他のTCGはやっていなかったので,なぜカードショップに立ち入ったのか今となってはわからない。

しかしながら,この出来事によりかつてのデュエマ熱が再燃することになった。


昔のデュエマしか知らず,対戦相手もいない僕は,ストレージから適当にカードを買っては,当時のカードと合わせて遊んでいた。


ストレージから探すなかで気に入ったカードが

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ヘブンズ·ゲートだ。


僕がデュエマをやめた直後くらいに登場したカードであり,ストレージではじめて目にした。

エンジェル·コマンド主体のデッキとも相性がよく,しかも大型を出せる豪快さが気に入った。


そこで僕はヘブンズ·ゲートを主体としたデッキを組むことになった。

右も左もわからない僕はストレージの安いカードを買い集めてデッキを組んだ。

今では,noteやtwitterで強いデッキの情報を入手する方法を知っているものの,当時は完全な手探りだった(DMwikiは見たかもしれない。)。

手探りではあるものの,当時の自分としては納得いくものができた。


3 はじめての大会

デッキを組めば誰かと対戦したくなるのがDMPの常。

検索にてデュエマフェスというものの存在を知った僕は,早速参加することにした。

結論からいえば散々で苦い思い出だった。今でもよく覚えている。

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当時のデッキレシピ。


当日は僕含め3人だった。僕はハンドルネームで参加できることを知らず本名で参加した。

一人目はデスザーク対面だった。はじめて見るデッキで何が起きたかわからないまま負けていた。

二人目は対戦を拒否され不戦勝だった。初心者は対戦すらしてもらえないのかと非常に悔しい思いをした。


僕は,これでへこたれずに翌日も別の店舗のデュエマフェスに参加した。

この判断が今に繋がっているのだ。当時の自分を褒めてやりたい。


その日も当然ながら全敗であった。

しかしながら,この日は前日と違い,フリー対戦に付き合ってもらったり,アドバイスをもらったりできた。

人のせいで傷つくもあれば,人のおかげで救われることもあるのだ。


僕は,この日の経験をきっかけにデュエマフェスへの参加を続け,負ける度アドバイスをもらって,天門をいじり続けた。


こうして2週間ほどで初めて1勝できた。

このときのレシピが以下の画像である。

2018年7月頃

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対面は覚えていない。


初勝利は奇跡だったのか,その後も負け続けた。

あるとき,同じく天門を使うプレイヤーからアドバイスをもらった。

曰く,天門といっても色々なタイプがある,コンセプトを決めるべきだと。


僕は,ダイヤモンド·エイヴンを気に入っていた。ヘブンズ·ゲートの発動が勝ちに直結するヒロイック性がよかった。

そこで,ワンショットキルに特化した天門を組むことにした。

これが以下のレシピ。

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コンセプトを決めてからは少しずつ勝てるようになってきた。


4 ドロマー天門への転向

デュエマをはじめて1~2ヶ月たつと天門以外のデッキにも手を出すようになった。

具体的には,連ドラやドロマーハンデスである。

連ドラは今でもモルネクに形を変えて使い続けている。

ドロマーハンデスは今では使っていないものの,ハンデスで得たノウハウが今の構築に繋がっている。


さて,天門に話を戻そう。

天門を使うなかで大きな課題があった。

ハンデス対策である。

ワンショットキル特化の天門は,通常の天門以上に手札の要求値が高い。

そのため,手札に干渉されると身動きが取れなくなるのだ。


この課題を考えるうえで,ドロマーハンデスを使った経験がいきた。

黒のカードを入れるという選択だ。

2018年11月頃のデッキレシピ。

ワンショット天門 2018_11_18

それ以降,僕はドロマー天門を使い続けるようになる。


デュエマにのめり込むなかで,超次元にも手を出すようになった。

2019年1月頃のデッキレシピ。

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ミラダンテ+カイザルバーラ+ダイヤモンド·エイヴン+レティーシャ or ロージアを揃えることでワンショットキルをすることができるようになった。


5 初めての優勝

デュエマに慣れ,そこそこ勝てるようになったし,顔見知りや一緒にフリー対戦する友人もでき,デュエマが楽しくなった。

こういった周りの人がいたことで続けられたのだろう。

もっとも,なかなか優勝は遠かった。


そんなこんなでデュエマに復帰して1年が経とうとした2019年5月,ついにそのときがきた。


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一度優勝すると勝ち癖がつくのかその後もたまに優勝できるようになった。


2019年7月頃の優勝レシピ。

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ワンショットキル特化のコンセプトが通用しなくなった。その現実を目の当たりにし,コントロール気味にせざるを得なくなった。

当時は大きな決断だったような気がする。


この頃になると,新しいカードを取り入れたり,環境に合わせたカスタマイズもできるようになってきた。

ゲームでも勝てるし,デュエマを通じた友人ができるしで,一番楽しかった時期かもしれない。


ちょうど超天篇の前半くらいだった。

僕は,夏の殿堂入りからデッドダムド登場直前までの環境が一番好きだ。

様々なデッキが活躍できたからであるものの,前記の自分自身の事情も影響しているかもしれない。


6 noteでの発信

超天篇後期もデュエマは続けていたものの,正直不満は強かった。

もちろん環境に抗おうとあれこれ構築は弄っていた。

2019年12月頃のデッキレシピ。

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こんな超天篇が終わりようやくといった頃,ご存知のとおり,某ウイルスが現れた。

王来篇期は,感染状況が酷いときはデュエマから離れ,落ち着いたらデュエマに復帰する日々が続いた。

リモートデュエマに手を出そうとしたものの,パソコンの性能の問題かうまくいかず,断念した。

デュエマに触れていない期間も長く,デッキの数を減らしたりもした。

新しいカードを買わなかったり,新しいデッキを組まなくなると,どうも飽きてくる。

使うかどうかわからないカードをとりあえず買うというのも意味のあることなんだなぁと思った。


このような日々が2年目に入り,大会に参加できなくてもデュエマに触れたいということでnoteでの発信をはじめた。

それ以降の天門の構築は,以下の記事に詳しい。


2020年11月に優勝したときのレシピ。

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2020年12月頃のレシピ。

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2021年7月の優勝レシピ。

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2021年12月の優勝レシピ

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記事を書くことで自分の構築にもフィードバックされていると考えている。


7 終わりに

途中から駆け足になった気がする。

慣れというのは恐ろしいもので個々の出来事の印象が薄くなってしまうらしい。

そのときどきで色々思うことはあっただろうが,問題なく続けられたというのは概ね楽しかったということなのだろう。


思えば,カードショップによる構築済み環境デッキや適切な情報に触れなかったために随分と遠回りした気がする。

しかしながら,試行錯誤の日々をいまでもハッキリ覚えている。それだけ自分にとって非常に濃い経験だったということだろう。

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