星野源やオードリーについて考えたこと2023 推しと共感と成長といろいろ


この辺を読みながら考えたことなどをつらつらと書きます
星野源さん、”人見知り”を斬る - 青春ゾンビ
オードリーから気持ちが離れていった2023年|星之助
私個人としては、そこまで気持ちが離れていない一方で、大量に溢れるコンテンツを追いきれなくなっていると同時、無理して追わなくてもいいかなとは思うようになってきている。
私は作家の朝井リョウさんと同年代で、朝井さんが確かラジオで語っていたように、約10歳年上の若林さんが吐露する不安や悩みをみながら、先取りでいろいろな悩みを教えてくれたり、それへの対処法を教えてくたりすることに共感したり、同調したりしてファンになっていっていたのだと思う。
それはある種、じゃない方、陰キャ、あっち側(どれも自分から発信するのはそんなに言葉としては好きではないですが)、から出たスターであり、スターでありながら共感できたり・仲間でいてくれることへの感謝だったりも含まれていたんじゃないかと思う。
ただ、彼らはずっと努力・成功・ステップアップし続けているスターな訳で、そんな彼らに共感するには自分も成長をし続けなければいけない、そしてそれがだんだん苦しくなってくる。本来はそんなことは必要ないはずなんだけど、好きになったきっかけが共感だったばっかりに、自分達で勝手に課してしまっている。そして、それは星野源さんやオードリー若林さんにはなんの罪もないのはもちろん。
もちろん、彼らほどの成功を手に入れることなんて、まぁ、無理なのだが、それでも自分なりに自分の人生を生きていて、その中で目標を達成したり成長したりできてれば、ある程度共感はできるのだとは思う。しかし、ファンになったきっかけが、「社会で上手くやれない自分」からの彼らへの共感だと、そこがなかなか難しい。
最近、彼らを好きになった世代は、少し親しみが強めのフツーのスターと同じ感じで好きになっているのかもしれないとも思う。そういうファンに世代が変わっていくのは、別に悪いことではない。
まとまらない文章にはなりましたが、何はともあれ、

  • 推しは推せるうちうに好きなだけ推せばいいし

  • 推せなくなったらやめればいいし

  • 全員が同じ熱量で推す必要もないし

  • 推しに依存してはいけないし(一時的なものは可)

  • 推しに関係なく自分の人生を生きればいい

という当たり前の結論に至りました。それはそうと、もしお会いできる機会があれば、会って感謝を伝えたいと思う気持ち悪いファンではあります。

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