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散歩と雑学と読書ノート


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         千歳川とインディアン水車

私が散歩で最も多く歩いている場所はインディアン水車の周辺である。  今年も秋サケ(シロザケ)の遡上が始まりインディアン水車が本格稼働している。北海道新聞の記事によると、9月8日までの累計で前年の同じ時期と比較して8割ほど増しの約4万匹を捕獲している。日本海さけ・マス増殖事業協会(千歳)によると、今年も例年とほぼ同様の7万6400匹以上の捕獲と、7200万粒の採卵を計画している。サケの遡上のピークは10月中旬ごろまでとのことである。

私は9月27日に、ずいぶん久しぶりで千歳川の川底を泳ぐサケを見ることができる「さけのふるさと 千歳水族館」に入場した。水族館は小学生でにぎやかだった。以前に来た時に見逃していた2Fのアイヌ文化の紹介などをパネルや映像でおこなっているコーナーも観ることができた。

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     (水族館前に展示されているインディアン水車の実物)

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            (千歳水族館)

放流されたサケの稚魚のうち千歳川に戻ってくるのは100匹中1匹程度といわれている。

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            (サケの稚魚)

水族館のB2では日本初の水中観察窓があり、水車近くの川底が自然のままに観察できる。ここではあまりうまく撮影できなかったが2枚の写真を提示する。

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(右上の小さな魚の群れはウグイで産卵したサケの卵を狙っているのだと私は聞いたことがある)

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      (目の前で泳ぐサケを観察できる)

水族館では新しい試みとして、横浜市の水産研究・教育機構資源研究所が美々川(千歳川の支流)に試験的に放流し遡上してきたベニザケを許可を受けて5匹捕獲して展示していた。同時に水車の周辺に住みついた野生化したアメリカミンクが展示されている。蛇足ながら千歳川にはカモメ(オオセプロカモメ)が住みついている。札幌でも住みついたカモメが見つかっているそうである。前々回の記事で私が載せた千歳川の写真に写っていた鳥はカモメとみて間違いないと思う。

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               (ベニザケ)

水族館2Fの「なるほど!?サーモンルーム」ではインディアン水車の歴史やアイヌ文化に関する紹介がなされている。インディアン水車の歴史に関しては後でふれる予定でいる。ここではアイヌのサケ漁に関してすこしふれておきたい。

千歳アイヌのサケ漁をめぐるパネルには次のように書かれている。

アイヌはサケを獲るときも、カムイへの感謝と敬いを忘れず、川を汚す行いを禁じ、サケを根絶やしにするような漁法や独占すること戒めていました。このようなアイヌの習慣や信仰は、かって長い間北海道のサケ資源を守ることにつながっていたと考えられます。

またここではアイヌがサケ漁で使用された漁具(マレㇰ)が展示されている。

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     (マレㇰ、捕獲時に針が巧妙に変化する)

「読書ノート」

今月(9月)のNHK「100分de名著」で、知里幸恵著「アイヌ神謡集」  が取り上げられていた。講師は言語学者でアイヌ語学、アイヌ口承文芸学が専門の 中川裕である。                                   

「アイヌ 神謡集」は1923年に出版されたアイヌの手になる初めての本である。13篇の物語が書かれていて、最初の物語は有名な「梟(フクロウ)の神の自ら歌った謡『銀の滴(しずく)降る降るまわりに』」である。著者の知里幸恵は本書の出版  1年前に19歳で亡くなっていて、今年が没後百年にあたる。知里幸恵は心臓の病を抱えていた。 

今回のテキストで最初に紹介されている神謡は「梟の神が自ら歌った謡 『コンクワ』」である。これは、村を守るカムイであるシマフクロウが主人公の物語である。シマフクロウは人間の村にシカもサケもやってこなくなり飢饉になっているわけを天に問いただそうと、自分の代わりに天に談判(チャランケ)をするカラスやカケスを送るがうまくいかず、最後に来たカワガラスの若者がチャランケに見事成功して村にシカやサケがやってくるようになる。人間の村にシカやサケが来なくなった理由はそれらを人間たちが粗末にあつかったからである。                                                                               ところで、チャランケという言葉はイチャモンと同じような意味で使用されているのを私は聞いたことがある。

神謡はカムイが主人公の物語である。そのカムイとは何を指しているのか。カムイはよく日本語では「神」と訳される。しかし、カムイは神とはちょっとちがうのであると中川は言う。動物も植物もみんなカムイであり、人間(アイヌ)はカムイにとり囲まれている。そうだとすると、カムイは「自然」だと言えそうであるが、人間が作った、家や舟や刀や鍋などもカムイなのである。中川は結局のところ、「環境」という言葉がもっともカムイに近いと考えていますと述べている。人間とカムイは対等な存在で持ちつ持たれつの関係にある。

ところで、シカやサケは他の動物とは違ってあまりカムイ扱いされないという。集団で移動するからだろうと中川は述べているが、私にはそう言われてもなぜだろうと腑に落ちない感じが少し残っている。しかしアイヌの世界では、シカやサケは精神を持ったカムイではなく、天界にいるカムイ(鳥?)が人間の世界に住む生き物に降ろす食べ物として考えられていた。

シカやサケはアイヌにとって極めて重要な食べ物であったが、明治政府は、   1878年(明治11)に自家用のサケ漁を禁止、1889年(明治22)に道内のシカ猟を全面禁止した。さらに1899年(明治32)には「北海道旧土人保護法」を制定し、保護という名目で、狩猟採集民族であるアイヌ民族に農耕民化を促すという過酷な試練を強制した。

知里幸恵は「アイヌ神謡集」の序文で、和人に支配されたアイヌ民族の不幸な運命を名文で綴っている。

アイヌ学を創設した言語学者の金田一京助が旭川にきて知里幸恵を見出し、その才能に感嘆した金田一は東京の自宅に幸恵を招き本書が成立した。しかし、金田一は当時の日本社会のなかで主流の考えであった、同化説を支持していて、アイヌ民族は日本人として生きるべきだという考えであった。幸恵は恩人でもある金田一のそのような考えに、直接強く反論はしなかったのだろうが、恐らく複雑な思いを抱き強く反発していたに違いない。

中川は知里幸恵が日記の中に次のように書いていることを紹介している。

私はアイヌだ。何処までもアイヌだ。何処にシサム(和人)のやうなところがある⁈ ……シサムになれば何だ。アイヌだから、それで人間でないという事もない。同じ人ではないか。私はアイヌであったことを喜ぶ。私がもしかシサムであったら、もっと湿ひの無い人間であったかも知れない。

「北海道旧土人保護法」が廃止され「アイヌ文化振興法」が制定されたのは1997年(平成9)のことであり、2008年(平成20)に「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が国会で採択された。そして2019年(平成31)に「アイヌ施策推進法」が施行され、法律で初めてアイヌ民族を「先住民族」と明記し、アイヌ民族への差別や権利侵害を禁止した。徐々に知里幸恵の意思にそう形になりつつあると思えるが、あまりにも遅すぎると言うべきである。

私は残念ながら聞いたことがないのだが、「『アイヌ神謡集』をうたう」というCDがあることを中川は述べている。アイヌ語の普及活動に尽力した映像作家片山龍峯さんとアイヌ口承文芸継承者である中本ムツ子さんによるものである。中本ムツ子(1928~2011)さんは千歳市蘭越の出身で千歳アイヌ文化伝承保存会の会長を務め、地元の文化伝承活動の中心的役割を果たしたという。                               私は中本さんが千歳の蘭越の出身であることを知って、小学生高学年から中学生の頃を思い出した。その当時私はアイヌの文化についてはほとんど何も知らないままアイヌの人々が住んでいる蘭越に何度か出かけていったことがある。昭和30年前後のことである。

私は最近になって特にアイヌ文化やアイヌ民族のことをもっと詳しく知りたいと思うようになった。来年には、アイヌ民族博物館とウポポイ(民族共生象徴空間)のある白老に行ってみようと長女の夫と約束している。

北海道に生まれ育ったものとして、私は北海道が、アメリカやニュージーランドやオーストラリアと同じように、「入植植民地」(セトラーコロニー)であることを自覚しておくべきだろうと思う。つまりわれわれ移住者が北海道に移住してきて主権者となり、先住民族であるアイヌ民族を迫害し不平等なままにしていたことを自覚する必要があるだろうと思う。現在やっと今後どのように共生していくべきかを考える土俵ができつつあるように思う。しかし、多くの課題が今後に残されている。

* 「アイヌ文化で読み解く『ゴールデンカムイ』」中川裕著、2019 、    集英社新書   

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私は次女に勧められて、Netflixで「ゴールデンカムイ」(野田サトル作)のアニメを見てすっかりはまってしまい、本書を手にした。著者の中川裕は「ゴールデンカムイ」の連載開始時からアイヌ語監修を務めていて、本書は漫画の名場面を引用しながら行った「ゴールデンカムイ」の解説書であると同時に最高のアイヌ文化入門書である、

先に取り上げた「アイヌ神謡集」でも「ゴールデンカムイ」についてふれられていて、中川はその中で次のように述べている。

 この作品は、日露戦争直後の北海道を舞台に、帰還兵・杉本佐一とアイヌの少女アシリバがバディを組み、埋蔵金を探して旅をする冒険活劇です。明治末期のアイヌ社会やアイヌの人々を、これほど真っ向から物語の中心に組み込んだ作品は、ほかにありませんでした。

「ゴールデンカムイ」は2022年4月に31巻で完結した。なおアニメの第4シリーズが11月から開始されるとのことで楽しみにしている。


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                                             2020年 自費出版

今回はアイヌに関して触れてある2篇のエッセイを掲載させていただく。     「幻覚をめぐる覚書-知覚もつれー」のつづきは次回に書かせていただく予定である。

インディアン水車
インディアン水車は、私の住む千歳市の貴重な観光資源であると同時にサケのふか事業の一端を担ってもいる。秋になると、日本海の栄養をたっぷり身に付けたサケ達が、おそらく一週間以上はなにも餌をとらずに、千歳川を産卵のために遡上してくる。解剖学者・三木成夫は「すべての生物は太陽系の諸周期と歩調を合わせて食と性の位相を交代させる。」と述べ、北海道のサケの一生にその典型的な姿をみてとっている。千歳川のサケ達は今年もまた、性の位相を完結して自らの終末を迎えるために戻ってきた。その最後が人間によって介入を受けるという事実に私は少し複雑な思いを誘われるが、そんなサケ達を見に私は出かけた。インディアン水車は我が家からは歩いて15分ほどのところにある。千歳川に設置されたインディアン水車の前で、立派な体型のサケ達が群れをなし、そのすぐ後ろに小さなウグイの群れが続く。ウグイはサケが産卵した卵を狙っているのだ。サケのほとんどは産卵しないまま、水車で捕獲されて市内の、さけ・ますふ化場にまわされる。そこでふ化されたサケの稚魚が、毎年放流される。今年はそのうちで戻ってくるのは5万匹程度だろうと、一緒にサケを見ていた人が教えてくれた。


インディアン水車は、素朴ながらなかなか見事なからくりを発揮する。この水車は明治29年にはじめて設置されたそうだ。北海道開拓の教師として招聘された、アメリカ人に教えられたものらしい。水車の前で私はふと、千歳のアイヌ民族のことを思い浮かべた。明治29年のこの時期には、彼らはすでに住みなれた場所を追われ、サケ漁やサケ祭りも著しく制限されていたのではあるまいか。インディアン水車と同時に、この場でアイヌのサケを巡る文化にも直接触れることができたら素晴らしいのにと私は思った。


ところで、今年は、東日本大震災で大きな犠牲をだした。その復興はまだ途上である。そして福島の原発事故によって、改めて放射能物質をコントロールすることが不可能であることを思い知らされた。
われわれは新しい生き方を模索し、選ばなければなるまい。教師はいないが、なにかを学ぶべき事があるとしたら、すくなくとも今のアメリカ人からではなく、インディアンやアイヌやあるいはアポリジニのような人々の生きざまからではないかと、私はサケをみながら思った。                                       (2011年8月)

付記                                     このエッセイでふれているインディアン水車に関して私が参考にした本がいま手許にないのだが、今回水族館でのパネルを読んでみると私が知っていた内容とはずいぶん異なることに驚いてしまった。そのパネルによると、実際は千歳市の初代水産課長である伊藤一隆が1886年(明治19)にサケのふ化事業の視察のために渡米し、コロラド川上流のインディアン区域で水車によるサケの捕獲がなされていることに関心を抱き、持ち帰った水車の図面を改良して1896年(明治29)にインディアン水車として千歳川に開設したというのが正しい歴史のようである。さらに水車による漁法を行っていたのはインディアンではなく、フィンランド、ノルウェー、デンマークなどの北欧の移民やその子孫であるというのが事実とのことである。私はその旨訂正しておきたいと思う。しかし、インディアンやアイヌやアポリジニのような人々の生きざまから学ぶことがあるだろうという考えは今でも変わっていない。むしろ強まっている。

「アイヌ学入門」 瀬川拓郎、講談社現代新書、2015
本書の著者は、アイヌ民族を「日本列島の縄文人の特徴を色濃くとどめる人々」と規定する。縄文時代は北海道から琉球列島にかけて一万年以上も続いている。アイヌ民族はその縄文時代の伝統を引き継いだ、比較的純粋な縄文人の末裔であり、われわれ和人は、弥生時代に朝鮮半島から渡ってきた人々と交雑して成立した集団の末裔である。なお琉球人は和人よりはアイヌに近縁といわれている。本書はアイヌの歴史を文化の交流史として描いており、評論家の三浦雅士氏が述べているようにアイヌの歴史叙述に新生面を切り開く名著である。

著者によるとアイヌ民族は自然と共生する民族であると同時に、異民族と生々しい交流をくり広げる交易民であり、北東アジアのヴァイキングとしての特徴もあわせ持つことが近年次第に明らかにされてきているという。本書には、クマ祭りが本州のイノシシ祭りを元型としていた可能性があるということ、元寇と同じ時期にアイヌも元と戦いその後交易をしていたこと、北海道の砂金が奥州藤原氏の黄金の文化の一部を支えていた可能性があることなど興味深い事柄が満載で読み応えがある。(2015年8月)

付記
本書の著者瀬川は先に私が読書ノートで取り上げた、中川裕著 アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」 に「黄金の民・アイヌ」というタイトルの寄稿文をよせて、次のように、アイヌが砂金採掘を行う集団であったと思われることに触れている。

北海道の名付け親で探検家の松浦武四郎が、現在の厚岸町幌万別付近で、「ここには金の古い採掘場跡がある」と聞き取っている。その松浦よりも200年以上前の探検家フリースがやはり厚岸を訪れて同じ場所が砂金の採掘地であった可能性があることを記述している。さらにフリースの記述より、千島のクナシリ島でもアイヌが砂金の採掘と精製を行っていた可能性があることを瀬川は読み取って、アイヌは予想をはるかに超える砂金採掘の専門的集団であり、かれらもまたゴールドラッシュの熱にうかされていたのだ、と私にはおもわれますと述べている。

そのうえで瀬川は、アイヌが大量の黄金を蓄えたという「ゴールデンカムイ」の設定は、もちろん「ありえたこと」だといわねばなりません。と記している。

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