女性らしさと従属させられること
最近銭湯に行くと、店員に性別を間違えられて男性用のおふろを案内される。
寒くなって、着込み、コロナ対策でマスクをするので、性別の判断材料が髪の長さだけになるのだろう。相手はご老人で老眼もあるのだろう。心の中で悪態をつきながら女です、と伝える。利用者の性別を、店側が判断するシステムの最悪さに辟易もする。
私の体は私のもので、人に判断されたくない。
これは余談だけど、あるときにこの老人が身体障害を持ってることに気づいて、狼狽した。もうろくじじいって、心の中で悪態をついた日だった。不味いこと考えたぞ、と思った。障害者だから私の性別を間違えて判断してるわけではないのに、「障害がある人に悪態ついてはいけない」って思ってる自分がいることに気づいてもっと狼狽した。区別をつけて、悪態をついたり優しくしたりできることが理想。余談終わり。
最近パートナーができて、髪を伸ばして香水つけていい匂いをさせてほしいって言われた。女性らしさを、求めない人だろうとタカを括ってたので、驚き、悲しんだ。
境界線を侵入してこられた気持ちにもなって攻撃的な気持ちやら恐怖やらでぐちゃぐちゃになった。
どうしてこんなに抵抗感があるのか考えるのがこの日記のテーマ。自分の体のことって、自分で決めたい。人にどうこう言われたくないってのが大きい。
でも脱毛の広告やコスメや香水の広告も見ると綺麗にならなくちゃいけないのではと思う。いまのとこどれくらい追い求めるか自分で決められてるけど、パートナーに求められると、嫌われたら嫌だからやらなくてはって気持ちになる。昔付き合ってたひとが求めたことを私ができないと愛が覚めることを示唆する人だったからかな。
女性らしさってきりがなくて、顔が綺麗で、顔も髪も、身体もケアして、細身で、でもほそすぎなくて、三食自分で作って、ジムも通って、読書会に参加し、でも頭が良すぎず、パーティーに行って遊び、でもセックスはせず、子育てをして、フルタイムで仕事をして、、とかってキリがない。ここに加えて、男性に従属して、、というのが絶対入ってくるので地獄が始まる感覚。親や体育会系の先輩、付き合ってたひととかからの言うこと聞いてくれって求められたことが思い出される。
女性らしさに関して、パートナーの希望に合わせることが、パートナーに従属する第一歩になる気がしてる。
女性らしさのどれかを求められると、相手に従属してほしいって求められてた記憶が刺激されて恐怖感がでてくる。
昔の傷はまだ回復してなかったのか。
父親から求められた、話を永遠に聞いてあげて賞賛して、怒鳴られても聴き続けて、聞かないなら経済的援助をしないと脅迫されながら、聞き従うという女性らしさを求められたことがあった。その後縁切って、体を売るか死ぬかのどっちかの道しかないなと考えながら家を出た。
以前付き合ってた人は、やっぱり彼の話を聞き考えを認め、求められる髪型や顔や身体にして、言語力を上げ、掃除洗濯食事の役割を持たせられ、暴力があった。怒鳴る、身体中に痣を作られ、やめてくれって言葉が通じなかった。彼女はおれの言うことを聞くものだという感覚を持っていた人だった。
今のパートナーに女性らしさを求められたとき、父や付き合ってたひとといたときの、悲しさや怒り、捨てられたくない気持ち、物のようになった、一人で生きていけない、いろんな気持ちがぐちゃぐちゃした感覚が湧き上がって、付き従いおもねるか、別れるか死ぬかの選択肢が思い起こされた。書いてて驚いたけど、この人たちと一緒にいたときこんなに不安定だったのか、、。縁切れて本当によかった!
これからも、自分の判断で自分のこと決めたいし、女性らしさをどれだけ自分が求めるかは私が決めていきたい。パートナーの意向は大事かもしれないけど、女性らしさに関しては、求められたくない。求めることが叶わないなら話し合うしかないのかな。相手もたぶん話し合えるひとだと思う。言葉が通じてる気がする。
昔の傷痕はまだかさぶたのままで、完治するかわからないけど、自分で自分のこと決めて着実に自立して生きていける自信を増やしながら生きていきたい。
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