私と家族

私は一人暮らしというものをしたことがない。
生まれてから現在まで、家族とずっと暮らしている。
家を出ていったことも、出ていく予定も今のところはない。

ぽつぽつと「独り立ちすべき」とか「嫌にならないのか」とかいうありがたいお言葉をいただくが、まあ金銭的にも環境的にも今のところする必要がないと判断している。

そういうお節介(言っちゃった)とは別に、こんな言葉をいただくことがある。

「家族、仲いいね」

まあ当然といえば当然な感想だと思う。

といっても、家族仲の良し悪しなんてものは人によって色や程度が違うのだから、何とも言えないのだけれど。

そんなこんなで今回は家族について関係各位が身バレしない程度に語る。私との関係性を。
いや、関係性は家族なんだが。

一番強い存在の母

弊家には家族内カーストがある。最初に言っておくが一番カーストが低いのは私だ。
大黒柱は父なのだが、カーストが一番高いのは母である。
母はいわゆる専業主婦で、自宅で父の仕事の手伝いをしつつ家事をメインに生活している。家にいる時間が一番長い為、機材類の配線日曜大工的なことも、すべて弊家の場合は母がやる。

私を育てたのは8割方母だ。私だけではなく家族全員、母に育ててもらったといっても過言ではない。
人として教育をしてくれて、面倒を見てくれた。私が迷惑をかけるたびに叱ってくれて、私が嘘をつくたびに全てを見破った。
目ざとい母である。人の癖をすぐに指摘しては嬉しそうにする。Wi-Fiの調子が悪くなると一番に気付く。

そんな母は自分の身体の変化に気付くのも速かった。
もう10年近く前のことだが、母は乳がんに罹った。(現在は完治しており、超健康)
胸のしこりにいち早く気づいて、早期発見だった。その為、死亡リスクは極めて低い状態で治療に臨むことができた。

それでも、抗がん剤治療が始まれば、髪も抜けるし、心身ともにやつれていった。
治療期間中ばかりはもちろん家事なんてできないし、家にいる間もずっと明かりを消した寝室にこもって、ズーキーパーをやっていたのをよく覚えている。

あの時が弊家の一番の試練だったと思う。今のところ。
母以外の全員で家事をそれぞれ分担して、母の持つストレスや鬱憤を受け入れて、とにかくみんな大変だった。
家族がさらに一丸にはなった。といえば聞こえはいいけれど、身内が病気になって学ぶことや成長になることなんてない。そんな感情で締めることはできなかった。ただ心配と不安が心を負担させるだけだ。病気になんてならないのが一番いい。

とはいえ、手術痕は残ったものの今では超元気だ。

今はあつ森にドはまりしており、私の家の前にゴミ袋を配置する嫌がらせをするのが日課の様子。

普通のおじさんでギリギリ人間の父

今年還暦を迎えた父は一言で言ってしまえば変人だ。

某有名大学に入学したものの4年ほど留年した挙句に中退したり、道に落ちているメガネを拾ってしばらくかけていたり、理由は判明していないがどんなに勧めても頑なにLINEをやらない。
父は自営業で、現在はコロナの影響でずっと家にいるが、基本的にいつも忙しい身だった。
昼まで寝て夜遅くに帰ってくるような生活だったため、学生の時はほとんど父には家で会っていなかった。
時間を共にすることが少なかったので、未成年の頃はまだどこか距離がある人だと思っていた。

父は仕事仲間からも謎な人だと思われているようで、父の仕事関連の人と話すと必ず「お父さんってどんな人?」と聞かれる。
「普通のおじさんですよ」と返すとみんな「へえ! 家では普通のおじさんなんだ!」とホッとしたように言った。

ちょっと距離を空けて見れば、誰だって普通のおじさんだよ。とは言えなかった。
距離を詰めて見てみたなら、普通のおじさんだって何かしら変なところあるよ。とも言えなかった。

私は自身の年齢の割に(年齢を公開していないので何とでも言えるが)、YMOだとか大瀧詠一だとかを嗜んでいるのだが、それは父の影響に他ならない。
フランキー堺とか若尾文子とか、誰かに教えてもらわないと知らなかったような人たちを知れたのは、父が教えてくれたからだ。そういった点も含め、父は私に一番影響を与えてくれた、指標のような存在だ。
流石に拾ったメガネをかけたことはないけれど。

彼は今年還暦を迎えたもののヘビースモーカーの大酒豪だ。もう今更やめられない、と言ってはいるが一応健康に気を使って最近はWii Sportsに勤しんでいる。古くない?

夜21時になると「ウィ、ウィ」と鳴きながらのっそりとやってくるので、「Wiiおじさん」と家族から呼ばれている。
普通のおじさん改め、Wiiおじさん。

2歳半離れた姉

姉は私とは性格や考え方がことごとく違う

私は勉強が嫌いで、なるべく勉強をしないで済む進路を選んできた。
姉は勉強が嫌いではなく、周りの誰よりも努力をして割と有名な大学に行った。

私は夢見がちで、いわゆる将来の夢をまだ諦めきれずに未練がましく追っている。
姉は小さい頃から現実主義で、趣味であるお笑いや音楽のライブ鑑賞ができる資金さえあれば人生を楽しめる。

私は姉より年上に間違われる。
姉は私より年下に間違われる。

私は昔から骨折などの外傷が多く、外科に通いがちだ。
姉は喘息持ちでストレスが身体に出るタイプで、内科に通いがちだ。

しかし、凸凹な私たちだが、趣味趣向はかなり似通っていて、ライブやイベントに二人で行くこともよくある。
はたから見ればただの友達だ。
そう、私にとって姉は一番仲がいい他人、みたいな人である。

そんな姉は去年あたりに仕事を辞めた後、軽度のパニック障害と診断を受け、現在コロナというのもあり完全に休業中。
(パニック障害と言っても怒られるくらい雑に言えば暗所恐怖症みたいなもので、日常生活に支障はない)
日中は資格を習得するために勉強をしている。

私と枯れ葉だと、枯れ葉の方が好きらしい。
私とうんこだと、ギリギリ私の方が好きらしい。

末っ子

私は家族の中で年齢も身分も一番低い。
小さい頃は多動症を疑われるほどにいつも三点倒立をしていたらしい。又、落ち着きがなく、納豆を勝手に開けて食べたり、生卵を勝手に割って食べたりして母をよく困らせていたようだ。

そして、言葉を覚えると嘘をたくさんついていた。これはめちゃくちゃ覚えている。
学校の先生にも友達にもほらを吹きまくっていた。普通に考えてバレるようなかわいい嘘だったが、少し歳を重ねるとせこい方向に知恵が働いていき、家族(主に母)にも小さな嘘をついたり隠し事をするようになった。

「お小遣いを漫画やゲームに使った」だとか。「夜に隠れてゲームをした」だとか。
母にはいつもバレた。だから私は悪質な嘘をついたりごまかしたりすることをちゃんとやめることができた。

「嘘はついていない」とごまかすことは今でもたまにある。
あと、このnoteを書いたことは頑張って隠し通す。


ここまで書いて、私にとって家族は~みたいな締めを用意しているわけではなく
今日もゆかいな仲間たちが待ってる家に帰るだけなのだ。

いやあ、長生きしてほしいもんですな。

おやすみ。

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