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「ちょっとトイレ行っていい?」という問いの傲慢

みなさん、トイレ行ってますか?

どうも、ザルソバです。

仕事中の言葉遣いには気を付けているつもりです。話は具体的に、丁寧に、そして決して高圧的にならないこと。

桜井政博さんが著書の中で『プロデューサーである自分は他の人に仕事をしてもらう立場である』と書かれていましたが、指示を出す際はなるべく「◯◯してもらっていいですか?」とお願いをする言い方にしていました。

しかし先日。

上司にあたる人物と一緒に仕事をしていて、そろそろお昼でも食べに行こうかという時間。
近くの味噌ラーメン屋に向かうため、二人で職場を離れようとした瞬間に上司の口からその一言は放たれました。


「ちょっとトイレ行っていい?」


この時、僕は思いました。

僕がダメだと言えば、この人はトイレに行かないのだろうか。

「トイレに行っていい?」という問い。
つまり上司は、部下である僕にトイレに行く許可を求めていることになる。彼がトイレに行くことの決定権はこちらにある。
しかし「いや行くことは許可できません。トイレを我慢したままラーメン屋の行列に並んで下さい」と仮に僕が言っても、上司はトイレに行って手を洗うなり用を足すなりするでしょう。

それは、「トイレに行っていい?」という一言はこちらにその可否を問うものではなく、僕がその行為を承諾することを前提とした発言だからです。

しかしこの言葉のズルいところは相手には「はい」と言わせるところです。

仮にものすごく急いでいる時でも
「トイレ行っていい?」
「はい」
と会話をしてしまったら、最終的な判断をしたのは承諾した側となり、例えばトイレが長かったことでラーメン屋に長時間並ぶ羽目になっても、その責任が有耶無耶になります。

そう思うと、自分が指示を出す際の「◯◯してもらっていいですか?」なんて言い方も、気遣いでも何でもありません。
少し噛み砕くと「◯◯してくれるよね?答えは聞いてない」というリュウタロスマインドに溢れる自分勝手な言い方なわけですから。

世間には、相手の常識を信頼した問いかけがよくあります。
説教の定番フレーズ「自分が同じことをされたらどう思う?」なんていうのはその最たる例で、自分は「何とも思わないな……」と考えてることが殆どですが、このフレーズを使われる時は謝るしかない状況なのでただただ謝ります。


相手はこちらと同じ常識をもっているだろう、だから自分の期待している答えを返してくれるだろう、なんていうのは傲慢でしかありません。

空気を読んでもらうとか、意図を汲み取ってもらおうと相手に甘えるのではなく、こちらの意思をしっかりとストレートに伝えることが大事だと改めて思いました。

じゃあ「◯◯して下さい」と指示を出して断られたら……

「俺が行く」とヒルマ・ゲントになるしかないでしょう。奇声あげて暴れていい仕事なら自分でやりますよ。
ウルトラマンブレーザー超おもしろいですよね。


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おしまい

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