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08/01の日記 (夏休みだし)

7歳の息子が、夏休みの宿題の絵日記が書けないー!と悶えているので、「そんなもん、あったことそのまま書いたらええねんで」とか言いながら、ふと「でも、あったことそのまま書いても、おもんないな…」と呟いてしまった。

たしかに絵日記だから、先生も読むだろうし、友達だって読むかもしれない。何より自分があとから読んで、楽しい絵日記のほうがよい。後から読んで、「あぁ、あの時楽しかったなぁ」と思い出せるような絵日記の方がよい。

とかなんとか偉そうに言っているが、日記なんて到底おもしろいものなんて書けない。毎日おもろーなこと思いついたり書けたりするなら芸人さんになるし、そもそも芸人さんだって、苦労した末に面白ことを思いついているわけで。

それで、息子に偉そうに「絵日記なんてちょちょいと書きなはれ」と言うくらいなら、自分だって日記でも書くかと思い奮い立った30代後半の夏。お父さんも夏休みなのだ。

それで今日は久々の日記ということもあって、幸せについて考えてみました。重いなー。久しぶりの日記なのに。

なんでそんなことを考えたかと言うと、昨日夕方、ベランダにお気に入りの椅子を一脚持ち出して、缶ビールと茹でたての枝豆持って一杯晩酌やったら、「うわぁ幸せ」って思ったんですね。それで、僕は昨年のことを思い出したんだけど、昨年は自慢でも冗談でもなく、僕はスペインのある島のビーチでビール片手にチキンウィングを頬張りながら、「うわぁ幸せ」と思ったんですね。でも「うわぁ幸せ」の度合いが、昨日のそれと昨年のそれと全く一緒なの。(なんでスペインの島なんかにいたかというと、ただ近くに住んでいたから。三重から淡路島に行くくらいの感覚なんです、ほんとに。きっと淡路島の方が楽しいです。人によるだろうけど。)

僕はいまマンションの三階に住んでいて、ベランダから見える景色はと言うと、お隣にある立派な一軒家の屋根、つまりは立派な瓦が同じ高さにあって、少し遠くを見れば数年前に建てられた至極立派な高級マンションがずらっと並んでおって、いつかあんなとこに住んでみたいなぁ感がすごい。つまりは恐らく、スペインのビーチから望むバレアス海と比べれば共通しているのはお隣さんの屋根の瓦が綺麗な青でそれが波打っていることくらい。

でもこんなベランダでもいいところがあって、風がよく抜ける。なので洗濯物がよく乾く。あと2-3畳くらいの広さはあるので、椅子に座ってビール飲むにはちょうどよい。

そんな場所でビール飲みながらぼけっと考えていたのだけど、幸せというのは積み重ねられるものでもないし、後にとっておくこともできない、あの時の「うわぁ幸せ」をゴソゴソと取り出してビールやワインと楽しむこともできなくて、それはその一瞬でしかないのだと。そして幸せはずっと一定に続くものでもない。そんなことわかっとるわい。

かといってじゃあ不幸せを「しゃーないな」と言ってある程度受け入れられるかというと、そんなタフベイビーな精神もそんなに持ち合わせていない。できればずっと幸せでいたいし、「うわぁ幸せ」と毎日思って暮らしたい。「今日はちょっと幸せ」「今日は全然幸せじゃない」「今日はどちらかといいうと不幸せだ」なんて考えて生きるのもちょっとしんどそうだし。

「幸せ」にはきっと人それぞれ、型がある。僕の場合、場所とかどうとか関係なく、昼からビールが飲めればどうやら幸せ。そりゃあ天気は晴れていた方がいいし、次の日休みだったらもっといいし、うまいツマミが横に並んであったりしたら、もっともっと幸せなんだろうけど。ひとまず「昼からビール」の型にはめてしまえば、ひとつの幸せは得られるわけだ。

あとはその幸せの型を、いかに不安を取り除いて過ごせるかだ。たとえばお金の不安とか、仕事の不安とか。でもそういう不安を克服したり、なんとか折り合いをつけたり、そういうちょっと嫌なこともセットじゃないと、やっぱり幸せって感じられないような気もする。

ちょっとした不安や嫌なことを、なんとかうまくやりながら、小さな幸せの型に自分をはめていくの。簡単そうで、なかなかできないけど。

そんなことを考えて、今日はとりあえず暑さ堪らずビニールプールを買ってきました。今のって、空気入れなくもいいやつがあるんですね。便利だなー。

プールに水を張って、おもちゃの魚とか水鉄砲とかプカプカ浮かべて子どもたちをパチャパチャと永遠に遊ばせながら、僕は足だけ突っ込んでまたベランダでビール飲むんだ。うわぁ幸せって、絶対いっちゃうやつだ。夏休みはつづく。

お蕎麦屋さん開きたい。