さなのばくたん。を観たら、BigLove...により情緒が爆散した
3月7日 さなのばくたん。-ハロー・マイ・バースデイ-
そこで特大の爆弾が投下された。
その爆弾により、オタクは情緒を爆散させることとなる。
そんな爆弾こそが、
「ゆびきりをつたえて」
その曲である。
観た人はわかると思うが、もちろんここの曲までの全ての構成が、このクライマックスに向けて構成されており、本当にひとつの「作品」と仕上げてくる構成。
お誕生日イベントで単純にワイワイとやるだけでなくそうした丁寧な構成にするのは冷静に考えると気がふれてるとしか思えないが、この構成には観てる人誰もが舌を巻いたと思われる。
ただ、ゆびきりをつたえてがオタクの情緒を破壊したのは、構成がうまいだけでなく、ここに大きな”文脈”が乗っていたことに起因しているだろう。
文脈をうまく説明するには、オタク特有の自分語りを挟んでいくしかない。
自分が名取さなを知ったのは、確か2019年になったあたり、某配信の切り抜きがバズったりしたところのタイミングだ。
その時点で、いくつか動画はみるなど押さえてはいた。
設定として不穏な部分を出しつつ、そこは謎のまま、ミームやダジャレをいう、中々おもろい活動スタイルだな~とは思っていた。
配信は追うことはなかったが、ツイッターでダジャレをクソ言ってるのが印象的で、TLにいるオモロ枠としてぼやっと認識する程度の存在だった。
ただ、この頃の自分には配信というコンテンツ形式に肌に合わなく、
配信が主流となっていくVtuber界隈を追うことは無くなっていた。
そして時は唐突に2年たち、2021年2月ごろ。
これというきっかけがあったわけではないが、急にVtuberをいろいろ見始めることになる。
その間の2年ぐらいはVtuber回りでバカほど炎上をターン制で行ってた印象というか、おそらく事実があり、割とそれも落ち着いてきたころで、観てもいいものかな、と印象が回復してきたからとかだったと思う。
とはいえ配信を見始めたとかではなく、きっかけは動画メインで活動してた人からだった。確かおめがシスターズとか、ぽんぽけちゃんねるあたりを見るところから。
元々案外いわゆるふつーのYoutuberを急に流し見するのは存外好きだったので、その延長としてみれるところから入っていた。
その流れで、いつの間にか一般的なコンテンツとなってた切り抜き動画をみながら、昨今のVtuber事情をいろいろ学んでいった。
浦島太郎の自分にとってみれば一番印象的だったのは、登録者数の水準がしらん間にクソインフレしてたことだ。
結構な数、特にホロライブあたりは登録者が100万人を結構超えてたりする人も多く、全体の水準もかなり上がりつつ、あんまり表現はよくないが、率直にいうと、
「”観れる”コンテンツになってるな」と感想を抱いた。
ここら辺を漁っていく中で、配信自体に抵抗というほどまでのものはなくなり、時代はいつの間にかVtuberというコンテンツはかなり一般的なものとなっていた。そんな状況でメインで追ってっていい人いれば、いわゆる”推し”がいてもいいなぁと思いつつ、
「そういえばTLのオモロであるとこの名取さなはどうなんだ?」と確認をしてみると、
登録者20万人台。いやすごいにはすごいが、自分の記憶では時の人となっていた名取さなも、数字だけで観たら結構苦戦してるのかとビビり散らかした。
そして自分は逆張り気質がある。オタクなので。
あんまり王道な「みんなが観てる!」みたいな状態だとあんまり観る気をなくしてしまう。
そういう意味はではこの数字はいい塩梅だ。
「ツイッターだけじゃなくて配信も観てやるカァ」が追い始めるきっかけだった。
コメントの温度感が心地いいとか、顔と声がいいとかそういうところもあるが、正直それを満たすのは他にもいるとは思う。
結局のところ最初の入りは、「めぐり合わせと逆張り」なんだろう。
さて、浦島太郎をしている間に、
「名取さな」というコンテンツはブラッシュアップされてるのは間違いなく感じたのだが、それこそ最初に見た頃を考えると、かなりにじさんじやホロライブの流れに乗ったコンテンツ展開をするような印象を受け、かなり一般に迎合をしているような印象を受けた。
(実際交友関係の変遷からも明確な”それ”は感じるが、この程度の言及にとどめる)
設定に関わる不穏部分も、2020年に1本動画こそ上がっていたが、それ以上は特にない。
自分自身が名取さなを追い始めたころはちょうど、ちゃんとさなのばくたん。が初めて開催できた年ということもあり、年々とどんどんオリ曲も増えていく。
こうしてどんどんと、デカく、王道なコンテンツとなっていく名取さなをみて喜ばしさと同時に、
なんともいえない、「自分の応援は必要なのか?名取さな1人でなんとかなるんじゃないのか?」という感覚を覚えていた。
もちろんそれ自体手垢のついたような悩みで、それに対する手垢のついたようなアンサーはあるが、元はといえば逆張りから始まっている。手を離れていく感覚は感じていた。
いつの間にか「時代に合わせてうまく変化する女 名取さな」という風にとらえるようになっていた。
そんなことうっすらと感じながら、そこにぶつけられたのが、「ゆびきりをつたえて」だ。
いってしまえば患者名取概念、というのはあまり今主流なVtuberコンテンツとはあまり迎合しない。
最近の主流はあくまで設定をエッセンスとしながら、あくまで身分を隠すような仮面として機能させることが多い。
そんな中患者名取概念は、特にそういった面で得をすることはない。むしろ活動の幅を狭める足を引っ張るような存在と言ってしまうこともできる。
そう意味では、なんとなくフェードアウトして死に設定にすることだってできたはずだ。
だが、「名取さな」はそれを選ばなかった。
よりによって、1年で1番力を入れてるイベントの、1番大事なラストにこれを持ってきたのだ。
あくまで「名取さな」はこうであると。
そして、患者名取概念は「わたし」であると同時に、昔からみている人にとっては「初期の名取さなの象徴」としてみえる
一般に受け入れられるにつれて、「わたしここまでこれたよ」というフレーズがどこか一足飛びに行ってしまい、見失うような感覚すらあった。
でも違う。初期の頃から今は、ずっと地続きで、
「なりたかったわたし」だけじゃ足りない。「わたし」をそこに足しても足りない。そこに「あなたが望んだわたし」がいるからこそ、「名取さな」がいるという、そういった大きな「ありがとう」を感じた。
まあ、自分がそう勝手に思ってるだけなんでつがw
でも、「名取さな」はせんせえあってこそという熱いメッセージは全編を通して感じたし、あんな手の込んだBig Love...を盛大に伝えるなんて、質量が告白と一緒だろ…とは思うし、そりゃ情緒は死ぬんですわな?
でも、こちらこそ今回のイベントで、返しきれないほどのものを貰ったし、それにせんせえたちはさらに答えていくだろう。
そういう循環、いや双方向性によって「名取さな」はもっともっとすごいところまでいってしまうんじゃないかと感じさせてくれた誕生日だった。
ほんとうにおめでとう。
そしてこれからもよろしく。
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