結子ちゃんを偲ぶ

私が初めて竹内結子ちゃんを認識したのは、2002年のことだった。
言うまでもなく伝説の月9ドラマ、
「ランチの女王」を観てのことである。

彼女に対する私の最初の感想は、
「宇多田ヒカルに似ている」だった。
目をきょろきょろさせて、小動物のような仕草で
画面上を走りまわって演技する姿が、
バラエティ番組で慣れないトークに挑戦する
ヒカルちゃんの姿に、なんとなく重なったからだった。

外はねのショートカット、長い助走をつけてからのドロップキック、
ブッキー演じる純三郎くんを翻弄するなっちゃんの姿はあまりにも鮮烈で、
ドラマの放送が終わる頃には、私はすっかり彼女のファンとなっていた。

それからというもの、
私は「結子ちゃんが好き」であることを、周りに吹聴してきた。
あまりにも、してきた。
今回のことで、周囲を心配させてしまうくらいに。

小学生の通過儀礼である「プロフィール帳」の
「好きな芸能人」の欄には、迷わず彼女の名前を書いた。
ちょっと気恥ずかしい時には、「竹内U子」と書いていた。
(アルファベットを使った伏せ字の用法を知らなかったのである)

私が勝手に「似ている」と思った結子ちゃんとヒカルちゃん、
つまりは「私の二大大好き女性芸能人」が「共演」することとなったのは、
2005年公開、三島由紀夫の遺作を映像化した作品、「春の雪」だった。
ブッキーとの共演の再来でもある。

まだ中学生で、
「エッチな映画だな」というクソガキ丸出しの感想しか抱けなかった私だが、
いま思うと、春の雪という映像作品が、
私の純文学への門戸を広げるきっかけだったように思う。
あの映画がなかったら、仕事で文章を扱うこともなかった。というのはさすがに大げさだが、
結子ちゃんの存在が一因であったことは間違いないように思う。

結子ちゃんの美しさを余すことなく観られるのは、
これまた月9、2008年1月期の「薔薇のない花屋」だと思っている。
「盲目と偽って主人公から金銭を騙し取ろうとする女性」という
なかなか複雑な役どころであったが、
何より当時の彼女は飛びぬけて美しかった。
なんせ、1話の登場シーンから凄かった。

雨に濡れ、
白杖(本当は視えている設定だけど)をつきながら現れる登場シーン。
しっとりとまっすぐでワンレングスの黒髪、
伏し目がちな笑顔。

これ以上に美しいものがこの世にあるのかと思った。
これが無料で観られていいのか?と思った。
彼女がもっとも輝いていたのは、あのドラマだったと、
12年経った今も思い続けている。

また、結子ちゃんの魅力はドラマだけでは収まりきらなかった。
2000年代のCMは、彼女一強だったと言っても過言ではない。
令和でいうところの広瀬すず、橋本環奈といったところだろうか。

当時のトップ女優たちを集めて展開していた広告、
資生堂「TSUBAKI」のCMでも、結子ちゃんの美しさは際立っていた。

結子ちゃんは顔だけでなく、髪もすごいのである。
たっぷりと量があり、艶があり、
どんなアレンジをしても、どんな髪型でも、美しいのである。

つい最近まで、「TSUBAKI」のCMは観ていた。
なんなら、訃報を知る直前まで、「Dear WOMAN」、歌ってた。

私の青春時代は、間違いなく結子ちゃんとともにあった。
三浦春馬くん以上に、ともにあった。


なんで死んだんだろう。

まず、泣いた。訃報を知らせてくれた友達に電話して、
わざわざ電話口で、泣いた。
そんなこと人生で初めてだった。

そのあと用事があったので、
こんどは同じく結子ちゃんが出ていたCM、
これも資生堂だが、「エリクシールシュペリエル」の「Gift〜あなたはマドンナ〜」を口ずさみながらシャワーを浴び、
身仕度を整え、家を出た。

途端に怒りが込み上げてきて、
母に電話し、
「これだけ魅力を放って人を虜にして周囲に愛されてきた人間が突然死ぬなんてそんなもの芸能人という自分自身を商売道具にするコンテンツとして成立していない許せない」
といったことをまくしたてた。
母には申し訳ないことをしたと思う。

能町みね子さんが『結婚の奴』の中で、
友人でライターの雨宮まみさんの死に際して怒りの感情が湧きあがってきて、
焼香も「一つかみを投げつけて終わらせた」と書いていたことが
印象に残っている。

亡くなった人に対する怒り、
それは親しい友人だからこそ生まれるものなのだろうか、
と考えていたのだが、
私にとっては、それが結子ちゃんだったのかもしれない。

なんで死んだんだろう。

明確な理由が知りたい。
下世話な詮索がしたいわけではない。
あれだけ美しい人に対して、死後下世話な感情を投げつけて
愚弄する気などない。
今だって彼女は人々の心の中に美しく在るべきだ。

そういうことじゃない。
あれだけ美しく明るく、人々に光を与える存在のように見えた彼女が、
なぜ死んだのか。

いっそのこと、何か大きな罪を犯していて、
それが露呈する恐怖から、とかでもいい。
人間くさい理由を、嘘でもいいから提示してほしい。

輝かしい、少なくとも私からはそう見えた彼女の人生の結末が、
こんな形で幕引きされていいはずがない。
結子ちゃんの人生の最後に、絶望があってほしくない。

日常の延長線上に、絶望があってほしくない。
日常のすぐそばに、死があっていいはずがない。

私は結子ちゃんのように美しくないし、
人々を惹きつける魅力もない。
だからこそ、生きたいと思った。
どんなに人を魅了しても、その最後に絶望に塗りつぶされ、
死を選んでしまうのは、残念なことだ。
死は、魅力を無に帰すことだ。

死んで魅力を無駄にするより、
無様に生きる方が、よほど魅力的だ。


さようなら、結子ちゃん。
もう少し落ち着いたら、また「TSUBAKI」のCMを観に、
YouTubeに行きます。
薔薇のない花屋も、またそのうちレンタルします。

暗闇に閉ざされた気持ちが、
どうか今は安らかに解放されていますように。


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