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運命かと思った

私は最近、恋をしてのぼせていました。
20年越しの恋でした。
手が届くかもと舞い上がっていました。
が、今はしぼんでいます。
この恋はやっぱり片思いだったかな、と。

それは築40年近い、輸入住宅でした。
私が結婚してこの地域に越してきたとき、まだ小さな長男と散歩をして見つけた家でした。
白い壁、緑のトンガリ屋根、特徴的な窓が整然と並び、木製の玄関ドアはスッキリと、でも暖かく迎えてくれそうな顔をしていました。
どんな人が住んでいるんだろう、中はどんな作りなんだろう、こんな家にいつか住んでみたいな、と、胸がときめきました。

そして20年以上がたち、その家は何度かリフォームを繰り返していましたが、まだ元気に建っていました。
ある日、その家が売り出されているということを偶然にも知りました。お値段は決して安くはないけれど手が届かないということもない値段でした。
私はすぐに見学を申し込み、懇意の工務店さんを連れて見に行きました。
中はまあまあ傷んでいて、大きなリフォームが必要な状態でした。
それでもリフォームの見積もりを出してもらい、資金計画を何度もたて、夫とも相談し、購入するつもりになっていました。
夫は、私がそれほど好きなのであればと賛成してくれました(夫自身が両手をあげて賛成ではなかったところは、今となってはさすが現実的なひとだなと思っています)。

そこにタイミングよく、不動産取引に詳しくとても信頼しているかたと会えることになり、そのひとにも相談してみることにしました。
もう買う気は満々でした。以前にも、そのひとからは家の購入を後押ししてもらったことがあったので(二番手で買えませんでしたが)今回も応援してもらえると思っていました。
ところが。
詳細を相談すると、そのひとは眉根を寄せて「うーん」と唸りました。
その家はあなたがた夫婦の手には余るのではないか、ということでした。
理由をいろいろ教えてくれ、今の私はその物件に「恋をしている」状態なのだと言われたのです。
20年前に見かけてときめいた家が、今、買えるかもしれない。それは恋心が再燃してしまっただけ(はい、運命だと思いました)。
でもいろいろとうまく行かなそうな気配を自分でも感じていたはず(確かにアレもコレも大丈夫かな、と…)。
普段のあなたならもっと現実的に判断している。無理なことは無理だとわかるひとだから、と(そうなのか…)。
etc…

ちょっと、いや、かなりガッカリしました。
気持ちは80%くらい、その家での生活を夢見ていましたから。

でも確かに、不安があったことも間違いありませんでした。
見積もりをとったリフォームを施しても、おそらく不安は半分も晴れないだろうと思っていましたし。
住んでみてから、不便を我慢するか、もっとお金をかけて直すか、どちらかを迫られるだろうという予感さえありました。
もちろん、建売を買っても、新築しても、完全に安心ということはないと思います。でもこの物件を購入することは「建売のまさか」「新築のまさか」よりもっと出現率の高い「まさか」が起こるのではないかと思っていました。

そう思うと、この物件は「家」という高い買い物なのに不安要素が大きすぎる、と認めざるを得ませんでした。

いい夢から目覚めてしまったとき、とってもとっても残念ですよね。下手すると午前中の気分までも上がらないときもあります。
今、まさにそんな気持ちです。とてもがっかり、気落ちしています。
でも心の中で「間違っていないよ」という声もしています(あの葡萄はすっぱい、という負け惜しみでしょうか)。

今夜は、このがっかりさを、深層心理に問うてみたいと思います。
信頼している人との相談結果とはいえ、諦めるにしても自分の意志で決めたいと思いますし。

運命だ、と思ったのですよねえ。
恋というのは厄介なものです。
大層なお金のかかってしまう恋ですから、
「墓場に近き、老いらくの 恋は怖るる何ものもなし」(川田順
とは行きません。

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