グッドバイ、世界 弔い

サカナクションのグッドバイは、中二くらいの頃にたまたま車のラジオで聴いて感動して、初めてCDを買った曲です。
その頃は友達が本当に居なかったりして毎日死ぬことばかり考えていましたが、死のうと思っていることは誰にも話してはいけないと思っていたので、「グッドバイ 世界」という言葉を、こんな大物のミュージシャンが堂々と歌ってもいいんだ、と思って、なんだか安心していました。結局死ねなかったのですが。

22歳になって、ギターを覚えたわたしは、ふと思い出してこの曲を練習しました。あの頃わからなかった歌詞を、自分なりに理解しました。
2番で、ストイックに何も欲しがらずにいたけど、君を待ってしまう、ここに立ってすぐに変わってしまう、と歌っています。
他人に対してなにか求めることはあまりよいことではない、というのは私が紡いできた価値観のひとつですが、きっと私は大好きな他人を前にすると、いつもなにかを求めて、満たしてもらおうとしています。わたしのことを好きになって欲しい。理解して欲しい。共感して、寄り添って欲しい。
その汚さと気持ち悪さが私は許せないけど、彼らが綺麗に歌ってくれることで慰められるので、その部分が好きです。
誰にも求めないなんて、完璧にやろうとしても、人間は神様ではないので無理なのです。

また、「どうだろう 僕には知ることができない ありふれた幸せいくつあるだろう」「どうだろう 僕には見ることができない ありふれた別れもいくつあるだろう」というところで、全く同じものを見ても、見えているものは人によって全く違うということを感じます。
言葉を交わしてなにかを共有しても、頭の中のことをそのまま伝えることはできません。
言葉でものを伝えるとすると、感じたことを言葉に変換したときに少しかたちが変わって言葉の枠組みに囚われ、相手がその言葉を解釈する時にもすこし形が変わるので、人になにか伝えようとしても、伝わった時にはだいぶ形が変わっています。

「僕には知ることができないありふれた幸せ」を知る人、「僕には見ることができない、ありふれた別れ」を経験する人が、たくさんいます。
わたしには、ある人が感じられる幸せを、感じられません。ある人が経験する別れを、経験できません。
同じ出来事を経験しても、違うものを見ているからです。
この曲を聴く時、人間は真に孤独なのだと、何度でも感じさせられます。もしも、どんなに大好きな人と同じ時間に同じものを見て感想を共有しても、見ているものが違ううえ、ことばで伝える時に形が変わっています。
わたしには、それがとても虚しく、耐え難いことだと感じられます。それが面白いのだという人もいるでしょうが、わたしには耐え難く、そして、一生変わらないことです。

そして、この曲をギターで練習している時期に、人が死にました。わたしはその人と昨日まで連絡をとっていたのに。
彼は、朝にはもう冷たくなっていたそうです。

死ぬということは、二度と戻ってこないということで、好きな部分はもちろん、不満も全部消えてしまうことなのだと思いました。お互いにきっと不満もありながら思いやりで保っていた関係性は死によって無理やり切られました。
死のうしていた14のときは人が死ぬことが周囲の人にどんな影響を与えるかを考える余裕がそんなにありませんでしたが、初めて身近な人が突然死に、死の影響の大きさを見せつけられました。

なんで勝手に死ぬんだろう、とやるせない怒りみたいなものも沸いたし、わたしがもっとこうしていれば、私のせいかもしれない、とも思いました。
彼を亡くした悔しさからこのような思考に陥ったというのももちろんありましたが、人が死んだというのに罪の意識を感じたり、誰かに責められたりすることを恐れている私はなんて自分勝手なのだろうと思いました。

それでも自分の人生は強制的に続きました。自分の生活の営みは続けなければならず、眠ったり、食べたり、勉強したり、眠ったりする自分が許せませんでした。
卒論の提出も待ってはくれないのでめちゃくちゃで提出したし、葬式で授業を休んだ分はちゃんと減点されました。彼の職場は、彼が死んだ日も、彼を焼いた日も、いつも通り営業しました。
世界や社会は、人がひとり死んでもなんにもならないのでした。

人の死を絶対に、美談やコンテンツとして消化したくないという思いがありますが、彼が彼の人生を幸せだと思えていたかどうかばかりが気がかりでした。若くして死んだし、疲れていたとは思いますが彼が不幸ではなかったと信じたくなってしまいます。でも、彼は何も言わないのでわかりません。もう彼は死んだのだから、わたしが彼にしてあげられることも、してもらえることももうなにもありません。
ですが、世界から何を歌うんだろう、と考えたとき、いつまでも、私の知らない彼の幸せや彼の痛みや別れを決めつけずに尊重していようと思いました。
他人に対してできることは、いつでも想像力を持つことだけです。
人の幸せや人の悲しみを尊重することが、人間にできる他人に対して精一杯の誠実だと思います。彼の人生が幸せだっただろう、と決めつけることも、辛かったのだろう、と決めつけることも、したくありません。
彼を守れなかった罪滅ぼしではなく、言えなかったありがとうやごめんなさいがたくさんあるし、たくさんお世話になったから、そうしたいです。

彼に対して、グッドバイ、と思います。
「グッドバイ」って、さようなら、や、またね、とは全く違くて、かなりポジティブなニュアンスを含むように思います。「グッド」が入っているくらいですから。せめて彼のこと、彼にしてもらったこと、彼の好きなところや弱点を、忘れないぞと思います。彼は絶対に、俺の事忘れないで〜!と言うタイプの人だったからです。
魂の存在とか、天国の存在とか、見えないものを信じて人は救われますが、葬式で会った彼はなにも言わず、本当はそれが答えで、なにも無くなってしまったのだと感じました。
なにもなくなっても、また会えるかわからなくても、忘れないでいようと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?