掌編7分間の旅『僕はロボット』

僕はロボット。

僕は地球歴337年の長閑《のどか》な片田舎に、お母さんのお腹から、お兄ちゃん、お姉ちゃん、僕の三人兄弟の末っ子として生まれた。
 僕がロボットになったのは周りのものごとを理解しはじめる3歳頃の夏の話で、市役所に出かけたお母さんが、各種申請を済ませてから、ロボット適性検査を受諾した後、行政が発行したパスを受け取ったのがはじまりだったらしい。その頃に丁度お父さんが死んでしまって、お母さんが女手一つで三人の幼な子を育てるのは厳しいと思ったのがきっかけだった。行政書類に則ってロボット適正手術を受けた僕は各種基礎教育を受けた後、ロボット大学に進学し、リベラルアーツをはじめとした教養を身につけた後、どのような人間が死んでしまって、またどのような人間が死ぬべきとされているのかを学んだ。

科学が発達しきった現在、人間の叡智を結集せしめて分かったことは、その科学体系の先鋭を以ってしても、全ての人間を救うのは不可能だという事実だった。なまじバタフライエフェクトの研究ばかりが進んでしまったものだから、どんな出来事がどんな人間に影響を及ぼし、その結果どんな人間が幸福になり、どんな人間が不幸になるかのかまで証明してしまった人間は、その中で、人間は自分自身の運命を自分自身で背負わなければならないという懊悩《おうのう》を宿命づけられ、またそれから社会的に逃れるため、人間の外部にロボットという存在をつくらざるをえなくなってしまった。

 人間の運命を操縦できるほどの知性を工学的に作ることができないのは科学的に証明されてしまっていたから、人類はあえなくユニバーサリティーと一部人権を放棄して、生化学的な処置を施して高度に適性をもたせてみせた頭脳と肉体を、人間を質材に作り上げ、それをロボットと呼称し、社会の外側という言葉によって社会に配置することによって、運命を本当の意味で選択するという苦役から逃れることに成功した。

ロボットとして選出される人間はありとあらゆる情念をなくす代わりにロボットによるロボット管理局から再優先の生存権と、その他社会権を付与されるのだった。
ロボット制度が生まれて間も無かった頃は、社会も貧しく、食べていけない人間が多かったため、半ばを身売りするような形でロボットになったものもいたらしい。

「管理No.262359は二ヶ月後の7月30日、自身の母であった女性を救うため、ロボット規約を犯し、当該規則に則って、投薬による安らかな死を迎える。」

前々からわかっていたことだが、今日正式に僕のもとへと通達がやってきた。それは清潔な正方形で出来た、家具の少ない部屋の中での出来事だった。通知を広げてそれを知った。丁度昼を迎える頃だったから、ベットの上にそのままに置いて、ダイニングへと移動する。

「それにしても、手術の失敗の後遺症とはいえわからない感覚だな?たかが自分を生んだ雌性への愛着のために法規を犯して千人を殺す道を選んで、おまけに自分の身まで当該規則の犠牲にしちまうなんてよ。」

目の前でプレートに乗ったチキンライスを食べる同僚のスティーブが言った。だだっ広いダイニングに同じ服を着たロボットたちが、前ならえに並べられた何列もの長机を前にして椅子に座っている。
「でもふざけた話だと思わないか?手術の失敗も本当は手術をする前にわかっていたことで、それはロボットになる前のお前たちには知り得なかったことなんだろ?にもかかわらずお前が死ななきゃいけないなんて、飛んだお役所仕事だよ。こう言っても無駄だとは思うが、今からでも遅くはない。とっとと自分のことを生んだ雌性なんて見捨てて、これからもここで楽しく生きていこうぜ。」

チキンライスを頬張りながら、僕に視線を投げかけるスティーブ。それはスプーンから溢れた米粒に投げかけた眼差しとワンセットのようにくっついていた。

「いや、いいよ。僕は僕の母さんを助けて死ぬよ。」
「千人の無辜《むこ》の人びとを犠牲にしてもか?」
「命を勘定してもいいカウンターを、一体神様は誰の命に授けたのかな?」
「その言葉。そっくりそのままお前に返すよ。まあ、そんなこと言ったら俺たちもそうか。」

そう言ってスティーブは立ち上がった。

「じゃあ。俺は仕事に戻らせてもらうよ。今日も無辜の一人の命より、無辜の千人の命を選ぶ。それが俺たちがこの社会から与えられたゲームのルールだ。正しいのか正しくないのかなんて人間は問題にしたことがない。ただルールに適っているかどうかをずっと問題にし続ける。俺は未だにそう信じてるよ。」

僕だって未だにそう信じてる。僕はロボットだったが例外的にたまたま情念と呼ばれるものが与えられた。だからこそ感じたいんだ、僕の罪を。僕にしかできない命の救済を。そうでない人生に、一体なんの意味があるというんだ?

朝の寒々しさが過ぎ去ったころの公園。水面を行き合うアシカたちのように人々が交差するところを横切ったところにある噴水に腰掛けて、ぼくはよく僕の良心というものについて考えるようになっていた。

ロボットか生まれる前、僕たちの良心はその良心がどんな帰結をもたらすのかわからないという意味でブラックボックスだった。だが今はその性質は損なわれている。僕たちの良心が何をもたらすのかは全て計算可能になり、良心が社会と整合するように僕たちロボットは作られたというわけだ。そこでは良心の中身いかんは問われない。ただ良心が社会を上手く回す仕組みとして機能するようなアセスメントがあるだけだ。究極的には社会に良心さえ存在していれば僕たち自身は存在する必要がないし、僕たちは良心と整合された社会で、欲求の充足さえ目指していればそれで万事上手くいく。そういうふうにいくように社会はロボットによって初期手持ちから設計されているし、初期手持ちへの存在論的な問いもロボットによって設計された社会の範疇に当然入っている。だから僕がこうして良心について考えていることも、設計された社会の範疇を決して出ることは論理的にも実際的にもありえる話ではなかった。

だが僕は自分の良心のありかを探してならなかった。それはつまり初期手持ちがなぜそのように存在したのかという問いだ。だが僕は決してなぜ手術の失敗があったのかという答えのない問いは立てない。「母を生かし千人を殺す」という僕の決心(あるいは良心)を僕がどこまで信じていられるかという話をしたいんだ。

母とその男はつい最近出会ったらしい。男は軽薄な思想家で、今社会を動かしている良心よりももっと素晴らしい良心を社会にもたらすことのできる人間は、たとえ前時代の良心に逆らったとしても、全ての行動は許されるという考えをもっていたらしい。幼い頃に自らの主人となった人を亡くした上、困窮のために自分の子供の一人を「前時代の良心」に捧げなくてはならなかった母は、無教養な人間だったためか、その軽薄な思想家に共鳴を覚えてしまう。男は全人類をロボットから救い出すためにとある秘密結社を立ち上げる。男の方策はこうだった。

『当然この行動もロボットに筒抜けになっているが、「千の命よりもたった一人の命の救いを全人類が求めれば」ロボットはその要請に答えざるを得ない。そのために「千の命」よりも「たった一人の命」よりももっと著大《ちょだい》な「全人類の求め」という仮象のために地球暦以前の人類が希求した「神」という概念を復活させよう。それが僕の画策したことだったのさ。当然「全人類の求め」なるものは「千の命」や「たった一人の命」と所詮どんぐりの背比べにすぎない。これは無教養な君には今まで黙っていたことだったけどね。だが人間は所詮自分たちの罪と罰が部族間の復讐《ふくしゅう》の延長にすぎないとしても、そこに超越的な意味がなければやっていられない生き物なのさ。地球暦になってからというもの人類はそのことを忘れているが、思い出させるのは簡単さ。』

その台詞は薄い暗がりの部屋の中で語られた。

だが男は自らも超越的な意味がなければ生きていけないことを決して認めようとはしなかった。そのことを認めないために詭弁を弄し、そのために一つの街が夜天の下の火炎に焼かれ、千人の命が失われた。

全ての炎が掻き消えた時、廃墟となった街に降り注ぐ向こう側の太陽の中で、罪に喘ぐ男は、本来なら千の命の代わりに死に、彼の思想に終止符を打つはずだった母に抱きしめられながら、自らが歴史から引用した神に懺悔した。そして母はかつて夫であった唯一人の男への想念を手放し、彼の唇へと接吻する。

彼らにとっての始まりの朝が、僕にとっては最後の朝だった。僕はベットから見える窓辺から、今彼らにも等しく降り注いでいる太陽を望んだ。それは足と手の指先の筋肉から始まり、僕の四肢を登るようにゆっくりと弛緩が始まっていく。重たくなった瞼が閉じ切るまで、僕は今日という日に登ったいつもと変わらない朝日をみつめつづけた。

「母さん」

僕は枕元で聞かされる物語に揺られるようにして、最後の眠りについた。

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