エヴァを見てきたから叫ばしてくれ。(ネタバレするので未見注意)

シン・エヴァンゲリオン劇場版を見てきたから感想だったりこれまでの自分の思いを語らせてくれ。(まだ自分の友人達が見ていないので語り合える仲間がいない。)

私とエヴァの出会いは中学の頃、オタクな友達と破のDVDをみたところからでした。

なんだこれはと。もうドハマりし、当時中学校の図書館になぜなあったエヴァの考察本を穴が空くほど読んだものです。

そこからワクワクしながらQを高校の友達と見に行き、呆然とした顔で劇場から出てきたのを今のように覚えています。

あれから約8年ぐらい。なんどもなんどもDVDを見直し、あたらしく出来た友達にも布教して。

これまでいろんな事を乗り越えてきました。

そしてついにやってきた3月8日。初日に席を予約して万全の状態で上映日をむかえました。


俺たちが観たかったエヴァだ。

これにつきます。エヴァというのはみる人によってみたいモノが変わる不思議な作品だと思います。

かわいい女の子達がみたい人、かっこいいカヲルをみたい人、

機械がガチャガチャするシークエンスに燃える人、美しい映像に酔いしれる人

そしてエヴァと共に生きてきた人、庵野監督に首根っこ捕まれてる人。

エヴァと共に生き育ってきた私にとってシン・エヴァンゲリオンはまさしく私のみたかったエヴァであり、エヴァでは無いものでした。

いきなり画面に出てきたトウジの姿。それだけで涙が出ていました。

そこから続く希望の風景。

Qでは終始シンジ君の気持ちになって見ていましたが、シンではいつのまにか第三村で生きているトウジやケンスケ、そして居場所を見いだしていく黒い綾波と心がシンクロしていました。

Qではニアサードによって破壊されつくした絶望の世界だけが映されていましたが

それだけじゃない。それを乗り越えていつか来るかもしれない終わりに怯えながらも一日一日を懸命に生き抜く人々の姿がありました。

この時点で私は旧劇とはちがう。全く違うエヴァを庵野監督は描いているとそう思いました。

無気力となったシンジ君が少しずつ意思を取り戻していく。まさにこれは希望の物語なのだと。

意思を固めたシンジ君がヴンダーへと行くときの表情。

これは私が追い求めた破のシンジ君。それだけじゃない酸いも甘いも噛み締めた大人になろうとしてるシンジ君がそこにはいました。


Qのときさんざんネタにされていたミサトさんの手のひらクルー。

わたしは正直14年も経っているんだ。そりゃあ考えも変わるに決まっている。そんな風に考えていました。

しかしミサトさんは加持さんから託された想いを背負いながら、シンジ君一人に行かせてしまったその罪を背負って生きていたのでした。

ここにきて加持さんの存在が重く突き刺さる。随所であった通りおそらく海洋研究所がヴィレの前身ということだったのかなとも思います。

そして向かい合うシンジとゲンドウ。

やはりエヴァは親子を描く物語なのだとそう思いました。

おそらくエヴァはループしている。その中のひとつに旧劇があり、ビターエンドとなったのは、シンジがゲンドウがそれぞれ親子として向かい合わなかったその結果なのだろうとおもいます。

そしてシンでは向き合った。だからこそあの終わりなのだろうと思います。

エヴァのない世界。正直シンマリとなるのは予想外(なんならアスケンも驚き)でしたが納得です。

いや納得とかそういうんじゃない。

こうしてエヴァの呪縛からすべての人が解放され、それぞれの道を歩んでいく。

私も私の道を歩んでいかねばならない。

シン・エヴァンゲリオンはそうした希望の物語でした。


私は大人になれてるんだろうか。

加持さんみたいな大人になりたいと思っているうちにGTOやってた頃の反町と同い年。

大人にならなきゃなぁ。




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