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仕事の遊びしろ〜マニュアル化の落とし穴


前職(メーカー)の、オープンワーク(在籍していた人視点での企業評判サイト)を見ていた。
生々しい批判もいっぱい。
見ていて共通した意見として、「個々の仕事のレベルが低い」「雑用感が高い」という意見が見られた。
実は私のホンネの転職理由の一つとして、業務が「コモディティ化されすぎているように感じる」というものがあった。 
※コモディティというのは、一般化されているという意味。
乱暴な言い方すると、「誰がやっても差が出しにくい」ということだ。
私も在籍時に、書き込み者と同じく、業務に同じような印象を持ったことがある。
その理由を突き詰めたときに、「マニュアル化し過ぎている」という考えにぶち当たった。
つまり、「誰がやっても同じ」になるように会社ぐるみで標準化・マニュアル化した結果、仕事の下請け感が強まっているのではないかと結論づけたのだ。(アウトプット方法にもマニュアルでかなり標準化される。)

標準化、マニュアル化をすると個々の仕事は、単なる上流工程(上司)から割り振られる画一的なタスク化してしまう。
だから、複数の人が「雑用感」とコメントしているのだと私は思っている。
私の主に所属していた営業部でさえも同じで、売るためのルール、規定を作りすぎた結果、組織の統制はとれるが、面白みや、仕事・提案の遊びしろが年々少なくなってることに気付いていた。
値段の上限・下限だけでなく、提案書もひな型や流れがほぼ決められていた。
提案に使用するソフトも共通。
提案そのものの差は付きにくい。

マニュアル化、標準化で能力・個性により結果の差が出にくいとどうなるか?

◉人事査定は仕事の質・ユニークな取り組みではなく、量で評価される傾向が強くなる。

◉個々の仕事量は仕事を与える側(マネジメント層の割り振り)に起因する部分が多くなる。

◉上司の個人的な好みや、年功序列、派閥などの恣意的な要素で割り振られる仕事が決まる傾向が強くなる。

※中間管理職は、「課員にタスクを割り振る者」という要素が極めて強くなる。

皮肉にも人事配置、評価や査定はエビデンスのボリュームが薄く、主観的で曖昧なものになりがちになる。(※考課者の資質にもよる)
オープンワークの中でも、査定や考課の曖昧さの記述もあったが、真の原因をとことん突き詰めると「コモディティ化」に行き当たるのだと私は思う。

複数の部署で会社を見たが、この傾向は同じだった。一見フラットに見える組織構成は、見通すとバリバリのトップダウンマネジメント。これに工業規格的な思想での業務規約が細部に渡り、散りばめられていた。
もちろんこれらには業務(製品)の品質を安定させる良い面もある。
ただ、自由にモノを言えたり、実際にその発言が形にできる、形にした提案をフォローアップする。明るく組織を活性化する仕組みが機能してないと、組織の空気は堅苦しく、重くなる。「誰がやっても同じ」という無力感が漂う。
在籍末期は残念ながら、後者の雰囲気で、

会社の仕組み的にボトムアップで仕事の変革を楽しむ余地は少ない→スキルアップは困難・もしくは微増→自分の市場価値がこのまま行くと低下する→転職が妥当

と判断・結論することにした。

家庭事情も転職理由の一番だったが、これらの会社全体流れ・今後に感じるところも同じくらい大きかった。

さじ加減は難しいのだろうが、会社がマニュアルや決まりを作る際には、同じだけ「遊びしろ」を創りバランスを取ることをしなければ組織は窮屈になると思う。

「遊びしろ」こそ仕事の楽しさだし、働きがいに繋がるのだと思う。

「遊びしろ」が部下の育成につながったり、新規事業、会社の活性化に繋がったりする部分もある。若者、馬鹿者、よそ者の3者を受け入れる体制がある組織は、変革力を維持していける。

ここを馬鹿にしたり、摘み取ることは得策ではないと思うのだ。

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