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競技ゴルフと私 4

 競技ゴルフをしているといろいろな選手に出会います。
 いろいろな意味で良い選手もいれば、良くない選手もいます。悪い選手もいました。最悪だったのは、スタート前にライバル選手のボールを隠したり、クラブを隠したり、人のクラブを折る選手までいました。
 ゴルフは紳士、淑女のスポーツと言われますが、そうでもないと思う事が多々あります。
 今回は良い選手の事について書きます。

 私がアメリカに滞在していた時に出場した、ユタ州アマチュアの予選会に出た時の事です。
 この試合は1日に36Hプレーします。カートは使わず担ぎでラウンドします。ゴルフ場もソルトレイクにあり結構な山岳だったと思います。夏の暑い日にプレーしたのでとにかく体力がないと、集中力が持たない試合でした。
 結果は36Hで8オーバーぐらいで予選落ちしました。ただ後半の18Hのスコアが良かったのと、さらに後半のハーフのスコアが一番良かったと記憶しています。

 この試合で同伴した時のプレーヤーではなく、違うプレーヤーについてです。
 その日私は、朝6時頃のスタートで、2Rを8時間ぐらいで終え14時過ぎにはスコア提出も終え休んでいた時に、先輩が27H消化してクラブハウスに戻ってきました。
 その先輩のペアリングの選手がスター選手だったのです。
 ペアリングが分かった時点で先輩はその選手と一緒にラウンドできる事に興奮していました。
 彼は大学4年で、もう直ぐ卒業でプロ転向すると言われていましたし、過去にこの大会にも勝っていました。
 全米アマチュアにも出ていましたし、全米のマッチ32にも残った選手でとても有名でした。
 親、兄弟、おじさんもプロゴルファーで、おじさんはシニアツアーで何勝かしていました。弟も後にUSPGAのメンバーになってシードも獲得しています。
 そんなプロゴルフ一家のお兄さんでした。

 その時までその選手のことは全く知りませんでしたが、先輩からすごい選手だと聞いていたので、上がってきた先輩に先輩のスコアやその選手の話を聞きました。 するとハンパない、見たことも無い球が飛んでいくと感動していました。

 私もどうしてもその選手が見たく、ついて歩くことが許されているのか分からなかったので、間近で見るには先輩のキャディーをするしか分かりませんでした。
 アメリカの試合は基本的にキャディーを付ける事は何も問題がなく、アマチュアであっても友達や知り合いがキャディーをする事は普通の事です。
 そこで先輩にキャディーを願い出たら、感謝され、助かると言ってもらえました。なんせ、山岳コースを2R担ぎのプレーなので。
 私は2R半を担ぐ事になりましたが、疲れていた感覚がなかったので、とても楽しみでした。

 そして後半のティーグラウンドに向かいました。
 ティーグラウンドでその選手を見たとき、体格的にはガッチリしていましたが、そんなに大きな男性ではありませんでした。背も180cm無いぐらいで、私よりは大きいですが、どちらかというとスラットしていました。
 顔もどちらかというと優しく、童顔に見えました。カッコ良いし、可愛らしく見えました。大学カラーのオレンジのポロシャツに、黒のスラックスを着ていました。(オクラホマ州立大学)ユタ州出身でしたが、オクラホマの大学に行ってました。
 クラブセッティングはオクラホマ州立大のキャディーバックに、全てPINGのクラブが揃っていました。プロ一家全てPINGと契約していたみたいで、彼もPINGからサポートを受けていました。
 そのセッティングがものすごくカッコよく見えたと記憶があります。
 私もその影響か、後に日本に戻ってからPINGのアイアンセットを購入しました。

 彼にもキャディーが付いていて、父親がキャディーをしていました。父親も過去プロゴルファーでしたが、引退というか地元にいて生活しているみたいでした。
 その父親は大きかったです。

 後半キャディーをすると紹介されると、2人からよろしくと握手され先輩の後半9Hがスタートしました。

 彼がどんなスイングをしてどんな球が飛んでいくかワクワクしながら見ていました。
 そして彼がティーショットをドライバーでボールを打った瞬間、ボールを見失ってしまいました。
 どんなスイングをするのかじっくり見ていたとはいえまさか見失うとは。
 横から見る事になるのですが、横からでは慣れていないと見失います。打球の速さと、高さが分からないのです。
 そしてセカンドに来てビックリ。あんなとこまで飛んで行ったのかと。
 私の飛距離をはるかに超えて行ってました。当時自分で言うのもですが、飛ばない方ではなかったですし、競技に出てもあまり距離で置いていかれる事はありませんでした。アメリカで置いていかれる事はありましたが、たまにで大体は私がセカンドを最後に打つことが多かったです。
 それをはるか超えて行ってました。

 次からは見失わないように、スイングと打球を見るようにしました。

 まずスイングですが、確かにバランス良く癖がないスイングで、キッチリとフィニッシュが決まります。力強さと、柔らかさを兼ね備えたスピード感あふれるスイングでした。こう書くと盛っているようにや、誇張しすぎに聞こえるかもしれませんが、その時の感動はこんなものではありません。
 そんなスイングを目の前で見たことが無かったのです。日本人のゴルファーでは出せない感じです。

 そして打球ですが、打球の速さが尋常じゃない様に感じました。
あっと言うまに頂点に達し、そこから緩やかに落ちてくるドローボールです。
 打ち出しがいきなり高いのではなく、ライナーで上がって行く感じで頂点に達します。その頂点が高いのです。見たことも無い高さなのです。
 その頂点が300Y先にあるのではないかと思うぐらい、はるか向こうに頂点がありました。
 そこからボールが落ちてきた落下地点があり得ないとこにあるのです。すごいキャリーでした。ランはそんなに出ていたとは思いませんが、キャリーがすごいのでランは必要ない感じです。

 その後彼が3W打ったり、アイアンを打ったり ウェッジを打つのを見ました。
全てのショットで放たれた弾道が、今まで見たことも無い放物線を描いて飛んでいきました。
 7アイアンで200Yぐらい飛んでいくので、200Yを7番で打って飛んでいく弾道というのが、異次元の速さと高さでした。
 全ての弾道が速く、高い飛球線を描いていました。

 現代ではその様な弾道を打つプロはいくらでもいるかもしれません。
 しかし当時はまだ道具が今とは違い、ドライバーのヘッドも300CCが出始めた頃でした。私もまだその時は250CCのドライバーでプレーしていましたし、ボールも今ほど飛ぶとは思えません。その頃やっとウレタンカバーのボールが出始め、アメリカではまだタイトリストのプロフェッショナル90やブリジストンのプリセプトが主流でした。日本ではツアーステージMC392やダンロップのニューブリードでした。
 その道具の時代にハンパない弾道を放ってました。

 先輩はアメリカツアーの選手を見たことがあり、その中でもタイガーの弾道は別格だったと言っていましたが、タイガーと同じ様な弾道だと言っていました。
 アメリカツアーに行っても彼は飛ぶ方になるとも言っていました。
 私はツアーを見た事が無かったので、ツアー選手はこんな弾道なんだと。
 こんな弾道が打てないとツアーで戦えないのかと。
 全く別の競技をしているかの様にも感じましたが、あまりゴルフの事が分かっていなかったのか、もっと練習して彼の様になれるとも思っていました。

 ただただ感動の9Hでした。
 先輩も良いプレーでパープレーぐらいでラウンドしていたと思いますが、全く思い出せません。キャディー業務の事もしっかり出来たのか、出来なかったのか記憶にありません。

 そして彼はホールアウトをして握手で戻って行きました。

次回に続く








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