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自転する日記(コピー自省録④)

狂騒の、と言いたくもなった3月1日から早くも2週間がたった。
盛り上がったなあ、タイムライン。
受賞された皆様、本当におめでとうございます。
いつもガヤの端のほうで(しかも九州のど田舎から)キャーキャー言ってるだけで、ヒーローヒロインの皆さんと会えることも叶わない身ですが、お祝いの気持ちだけはしっかり抱いております。

この自省録も、2月の終わりまでは自分のダメさを開き直って、全課題さらしていくつもりでいたものの、感動の結果発表の後、さて続きを、と思うと、当然のように殊勝な気分に。

祭りが終わったあとでは凸凹も少ないただの凡作が多いだけ、という現実を改めて突きつけられた形になったので、残りは主だった課題に絞ることにしよう。
日記のカテゴリにしてますけど、もし読んでくださっていた貴重な方がいましたら、初志貫徹ならずで悪しからずです。
例によって文章はハチャメチャです。


サントリー

  (提出56本、通過0本)

いや、こんなに楽しく書かせられて?結果ゼロ、というのは本当にさみしい。どう書いたら良いのか、正解は何なのかと悩んでわからないままに書いた課題に比べると、審査員との相性が悪かっただけだ、と悪態をつきたい気持ちさえ湧き上がる。そんなにいうなら上限書けよ、という話でもあるけど。
でも何を思おうが、とにかく結果が全て。だめだった。

・飲み足りないってことは、
 青春してるってことだ。
卒業してもぜったい飲んでる。
青春がただ青いだけなんて、幻想だ。
・制服のトナリ、征服してる。
大人になるまで、
 あと何C.C.?

・冷えてた。待ってた。
・コトバじゃ照れるから、差し出した。
・今、レモンのお飲み頃。

以下は青春×C.C.レモン×文学3部作。
・これがぼくらのレモン爆弾。→梶井基次郎
・太宰読むとき、なぜか飲む。
・青春の悶、くぐったら。→五木寛之(青春の門)

・・・等々、自分なりに楽しんで書いてみたものの。


いや、自分なりに楽しんで書いてみた。というのはどうなの。
コピーは自分だけの詩ではないんだよ。
青春の悶なんて、完全なお笑い路線である。
今回のグランプリ受賞者、貝渕さんと、以前コピグラのzoom飲みでご一緒になった時に、
「最近の流行語とか、審査員は審査する時全然気にしてませんからね。というかそんなの知らないから」的なことをおっしゃっていたので(ご記憶でしょうか)、
なら思いきり古いのを出しとくかー、などと半ば反動的おふざけモードでやってしまった。課題に対する不敬罪。お遊びで書いた「だけ」のもの、というのはすぐに見抜かれる。ような気は、した。

ところで「黄春」も「レモい」も、まったく思いつかなかった。
あれだけ被ると、もはや思いつかない人間は平均点いかない、と宣告されたような気にさえなり、そしてその通りだった。
サントリーに限らず、まるきり被っているコピーを書いている方々のお名前のうちの多くが、何度も出てくるレジェンド級の方なのである。まさかのグランプリ然り、協賛企業賞然り。
そして自分はといえば、まる被りのコピーはゼロである。これにも結構重要なポイントが潜んでいる感じありありありである。
コピー脳。それが、まだまだまだまだ、自分の中にはないのである。

ただその中で、上記で太字にした1本のコピー。

「大人になるまで、
 あと何C.C.?」

(しつこくもう1度太字。)

これに関しては、今になってたくさんの反省と気づきが生まれている。
今回の眞木準賞に選出された作品、

「卒業までに、何C.C.飲むんだろ。」

に、テイストとしてはかなり近い感じ。は、一見、しないでもない。

考えていた段階では、まず「卒業」というワードは当然浮かんでいた。
けれども18歳で選挙権、という新制度に変更になったことも意識にあって、高校生活のすぐ先に待つ大人の世界、というイメージも出してみたくなってしまった。故に「大人」の方を選択した。これがミス。


そして「飲む」を言うか言わないかについても、一応は「あと何C.C.飲んだら大人になるだろう」とか考えた。考えたのだが、C.C.Lemonといえば商品の絵は誰でも思い浮かぶだろうから、わざわざ「飲む」を入れるまでもないや、と思ってしまった。
短い方がカッコイイ感じがするし、商品見れば意味わかるし。そんなことを思って省いてしまったのだ。
結果、受賞作と共通したワードは「何C.C.」だけしか残らなかった。
あれこれと思い巡らせていた時には、かなり近い世界が頭の中に広がったはずだったのに、結果としてキーとなるワードを自分で消去していった。つまり「書ききる」ことを放棄したに等しい。



こうして、「飲み物」であるということ、若者の今という立ち位置をフレッシュに伝える解像度、二つの大切な要素が抜け落ちた、眞木準賞受賞作のコピーとは「似た雰囲気はあるけれどまったく非なるもの」が出来上がってしまった。受賞された作品と見比べると、明らかな差が生まれている。
考えていた時に気づけなかった自分が悔しい。


いきなり長々書いたけど、そんな感じのサントリーの結果でした。

GIGO

     (提出56本、通過0本)

・ほら、誰でもセンター。
・たまには休もう、いつもの自分。
・暇つぶしの場所だと思っていたら、
 パワースポットだった。
・週に二、三度くらい、 我を忘れよう。
・仕事のあとはGIGOと。

いずれも軽く撫でて終わり、という作り方しか出来ていない。

上智大学

 (提出40本、通過0本)

・「いいオトナ」では終われない。
・人生はいつも、学びどき。
・わたしの辞書の、頁を増やす。
・知りたい自分に気づいたら。
・人生のアップデートは、
 永遠に有効です。
自分に種まき。

ここでも残念感が残った。最後の太字コピー。これもサントリーの時に思ったのと同じ感想がある。
今回無双されていた澤田悠太さんの作品で、同じ上智大の課題で通過されていたものに、

「自分に種をまいてみた。」

というのがありました。これは似てる。というよりほぼ同一。
凹み加減で言うと、サントリーよりこっちの方かな。
足りないのか。やっぱり足りないのか。
「書ききっていない」という問題点が、ここでも見られる。

短い方がいい。スパッとカッコよく決めたい。
得てしてそんな憧れの形だけをなぞろうとする。
結果体温の低いコピー、だから何?と思われる冷たい余白が自分のコピーには多いなあ、ということがようやくわかってきた。
次に生かさなくてはという気持ちが、今はふつふつと胸にある。

☆☆

残りの課題で出せるものはもうほんとに少ないのだけど、
ムダに長くなり疲れたので今回はこの辺で。

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