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「必要とされない側」の人間の戯言

最近、天気が良い日が嫌いだ。外に出たくなるような空気。先週末、買物のために外に出たが、公園や空き地はこれでもかというくらいに子供連れや若者がたむろしており、ため息をついた。

かれこれ1ヶ月半くらい経った。リモートワークでというのは名ばかりで、遠隔でもできる仕事だから在宅勤務をしている、というより、やることが何もないから家に引きこもっているという方が近い。一応ログを残さないといけないので、会社PCはつけて、検討中だった資料をちまちまいじったりしているのだけど、緊急でやるべき作業がない。(そして、昨日、なぜか会社PCが立ち上がらなくなって、ついに今日は自主休暇である)

自分の今の部署は、簡単に言えば企業内の「新規事業部」に近い。そういうと聞こえは良いが、別にブルーオーシャンを開拓しようとか、画期的なイノベーションで社会を変えようとか、そういう大それた考えでできた部署ではなく、「景気がそれなりに良いし、人・金・時間にある程度余力があるんだから、副業的に金稼ぎをしてみますか?」という非常にモチベーションの低い「新規事業」だ。

まあ、弊社グループのもともとの出自から、どうしても、官僚的な体質が抜けず、それでいて口だけは一丁前に民間を気取っているから、やることなすことが中途半端なのだ。肝心の仕事の大半は外部委託。会社の中にいる人の能力が低い、ということに起因しているところもないわけではないが、経営陣が「専門家はどう言っているか」「他社事例はどうなっているか」ということばかり気にしており、根底に「手弁当で作業したものなど使えない」といった思想があるというところもある。

社員は社員で、自分たちが大企業の傘に守られていることを自覚せずに、経営陣や外部委託先に文句ばかり言って、中途半端な知識とスキルで「俺たちはこのフットワークの重い社風のなかで、やれることはやっている」と大きな態度を取っている(このnote記事もそうだ)

おっと、話が逸れてしまった。

そんな弊社で、「今流行りだし、コンサルか協力業者を入れれば自分たちでもできそうだから、とりあえずやってみますか?」という感じで検討が始まったなんちゃってな「新規事業」など、この状況のなかで、不要不急の事業の典型例であり、遠の昔に皆の関心がなくなってしまっている。

(ちなみに弊社が属するグループ会社の本業はインフラ的にはなくてはならないものが結構な割合を占めていて、今そのオペレーションは綱渡り状態だと思う。そんな状況で、やれることがない社員が居るなら、その綱渡りの本業の方に人を回せ、とかも考えるのだけども、その本業側で「使える」人材の数など知れている、という話もあって、、、以下スパイラル)

そんなこんなで、私は今の状況で、この部署のこの立場でできることはほとんどない。そういえば、かれこれ何年も(いや、生まれてからこの方か?)人の役に立つ仕事なんてほとんどしていない、と思えてくる。いや、当然、仕事(やそれ以外)で、感謝されたことがないと言えば嘘になるし、「自分のおかげ」と自負できる機会もあった。

でも、いま、医療従事者やスーパー・コンビニの店員、介護や保育などのサービス業、インフラ・物流、行政といった社会を回している人たちとは明らかにその「必要とされ方」の質が違うと思う。

そういう業種の人たちの不断の努力があって、自分はそのおかげで、引きこもりを続けているのだけど、とてつもなくもどかしい、というか、虚しい。

大した仕事もしなくても、社宅に入って、それなりに給料の出ている「安全地帯」から、この虚しさを訴えていること自体がとてつもなく卑しいし、人によっては、「こっちは今それどころじゃないし、猫の手も借りたいぐらいなんだ」と腹立たしく思うだろう。そんなことを考えると、どんどんと独りでネガティブになってくる。

かといって、死にたくなるほどテンションは低くない。何もしなくてもとりあえず今日・明日を生きていけていることが、申し訳ないのだけど、こればかりはいろんな巡り合わせ、運もあるから仕方ない、と開き直ることができる。

自分には、この状況下で、何かすぐに役に立つスキルを持っているわけではないし、冒険心もチャレンジ精神もない。仕事が嫌で仕方なかった時期に少し転職も考えていたが、今この瞬間、自分のために、あるいは誰かのために動き出そう、というモチベーションはさらさらない。

そんな「安全地帯」はいつまでもない、どうせいつか痛い目に合う、という考え方もあるかもしれない。でも、そういった安全地帯が失われる恐怖心に対する想像力がほとんどないから、こういう選択肢を取っているともいえる。

想像力が欠如するうちに気づけば、「安全地帯」だと思っていたのは「凪」の世界になっているかもしれない。


そう、「凪」


大きく息を吸ってみる。何も変わらない。向かい風もないし、追い風もないし、周りに取り付く島もない。もうどこへも行けなくなっている。食料が積んであるから、明日・明後日に飢え死にするわけではないけど、長期的な不安はあるし、「自分探し」としては、かなり絶望的な状況だ。

でも、時間は多分流れている。凪の中で微かに抱えている「もどかしさ」「虚しさ」は、(周りにどんなに腹立たしく思われようと)大事にしないといけない。多分、それだけが、この状況での自分の指針だし、自分が人間でいるギリギリの証だと思う。

心はいつまでもザワザワしていたほうがよい。窓の外を見るともうすっかり日が落ちていることに気づいて、現実に引き戻された。

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