「死んではいけない」の答え


あなたは、「死にたい」と人から言われたことがあるだろうか。

私には、ある。

おそらく、多くの人が経験したことがあるのではないだろうか。


私はその時、どう答えていいのかわからなかった。

(ちなみに、小学校の高学年くらいだった)

そんな時、どう答えればいいのだろう。


そうはいっても、その時どういえばよかったかなんて、

答えはたぶん出ないだろう。

大人だろうと子供だろうと、難しいものは難しい。


それでも私がこの事を書きたかったのは、

自分が死にたいと数年間本気で思い詰めていた(結果的には思ってただけですんだ)

その時に言われたかった言葉、

救われた言葉を、どうしても書き残しておきたかったから。

それを誰かが見て共感してくれたら、意味がある事だと思うし、

もしそうだとすればいいな、と思って共有したかったから。


世の中にはきっと、軽々しくアドバイスをする人がいてしまって、

そんな人が減ってほしいし、それでさらに苦しむ人も減ってほしい。


死にたいと思う人はきっと、

死にたい→死ぬの怖い

死にたい→迷惑かけたくない

のどちらかを考えたことがあると思う。


そんな時は私は、「簡単に死ぬ方法」「迷惑をかけずに死ぬ方法」など、

色々なことを検索した。

単純に「死にたい」「辛い」「寂しい」「逃げたい」などのワードも。


そこで、たくさんのひどい言葉を見つけた。

何度も何度も考えて、探して、探して、

SNSで人から言葉をもらってもありがたいなとは思っても納得はできなくて、

死にたいと思う気持ちは止まる事はなかった。


そこでようやく見つけたのだ、「尊厳死」という言葉を。

その瞬間、私はその考えに感動した。


Yahooの知恵袋に「なぜ死んではいけないのか」という質問に対しての答え

だったような気がする。

「尊厳死」の概念は、

「死にたいと思う人の想いを尊重すること」

「死にたいという事も立派な、尊重されるべきその人の意志という事」

だと私は解釈している。


「ああ、死にたがってもいいんだな。苦しい人が苦しみから解放されるのはいいことなんだ」

と救われるような気持ちになった。


決して、これを見た人に死んでほしいとか、

気軽に死ねばいいよ、とか言いたいわけではなく、

本当に死んでほしくない気持ちだけで書いているつもりだ。


自分の無力さが悲しいけど、実際に手を差し伸べる事は出来ない。

私なんかに、そんな事ができるとも思ってない。

だけど、あなたの想いは尊重されるべき、という事を伝えたかった。


願わくば、それが、私のように生きる希望となれば、

私にとって幸せなことこの上ない。

見てくださって、本当にありがとうございました!


また、こんな風に思ったことがあれば書こうと思うので、

良ければ見に来てやってください。

それでは^^


追記:読み返して書き忘れたことがあるので、

追々書き足そうと思います。

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